ばかに静かだと思ってパソコンから目を離して後ろを振り返ると麻耶は一心に本を読んでいた。何を読んでいるんだ、と聞くと彼女はほんの表紙を彼に見せた。石原慎太郎の「凶獣」だった。
「面白いかい」
「こんな男がいるんだな、と思って感心した。感心したというのはおかしいかな。多彩な経験、これもおかしいか。紀州のドンファンも顔負けね」
「ある意味では言えてるね。しかし紀州の男はドンファンじゃあない。単に金で女を買い散らかしている田舎おやじだよ。ドンファン伝説のドンファンは女をだまし泣かせ捨てるんだ」
彼の言ったことが彼女はよくわからないらしく返事をしなかった。
「さっきのことだが、妊娠して22週目以降は妊娠中絶は危ないらしい。もっとも法律的なことではなくて医学的な説らしいが」
「どうしてわかったの」
「パソコンで検索していたら産婦人科病院のホームページに出ていた」とパソコンの画面を見ながら彼は言った。「ほんとかどうかわからないな。民間病院の宣伝だからな」
「放送後30分以内にご電話いただければお安くします、みたい」と彼女はピント外れの警句を飛ばした。
「そうかも、しかしインターネットで公開しているから産婦人科の常識かもしれない」
「ふーん」と彼女は有益な情報を記憶に留めようとするようにつぶやいた。
「だけど不公平だよね。苦しむのは女性なんだから。生むにしても大変な苦痛だし、命の危険もあるわけだし。男も負担を分担すべきよ」
よくわからなかった彼は「どういうふうにして」と聞いた。
「男も胎児を育てるべきよ。大腸に移植してさ。医学が進歩すれば出来るようになるんじゃないかな」
「それは人間が下等動物に退化することじゃないのかな。下等動物にはそういうのがいるみたいだ。それより現実的なのはインキュベーターで妊娠初期から育てるなんてことが将来は可能になるかもしれない」
「インキュベーターって」
「人工孵化機とか人口保育器というのかな。いまでも未熟児で早産したのを中に入れて育てるのさ。ただ限界があってある程度胎児が成長していないとだめらしい」
「どのくらい」
「さあ、八か月とか」と彼はあてずっぽうで答えた。
「そういうのは技術の進歩で出来るようになるのかしら。試験管ベイビーというのがあるわね。あれは受精そのものを試験管のなかでさせるのよね」
「そうかい」さすがに女性のほうがこういう話題は詳しい。
「だけどその受精卵を母体に戻して出産するんじゃないか。受精から十か月間試験管でそだてるのかな」
「多分子宮に戻すのね」
「そうだよな、完全に試験管から出産状態に育てるとなると、オリヴァー・ハドウみたいだからな。まだ小説の世界の話だろうな」
「何の話よ」
「サマセット・モームの小説のなかに出てくる魔術師さ、人造人間を作る実験をする話だよ」