うな重を平らげた平敷はベルトを緩めると消化を助けるかのように腹をさすり始めた。
「だいぶ腹が出てきたね」
「毎年ふとくなるんだ。ズボンがきつくなるので新しく作るときにはウェストを緩めに作るんだけど、今度は腹がフィットするまではズボンがずり落ちてしょうがない。そのためにベルトをきつく締めると気持ちが悪くなる。それにいくらベルトを締めてもズボンが落ちて来るんだよ」
「どうしてだろう」
「おおかた脂肪だから弾力があるのだろう。きつく締めれば腹に食い込んできて内臓を圧迫するせいか、むかむかしてくるんだ。君はどうなんだ、あいかわらずスリムだね」
Tはテーブルの上にある楊枝入れを引き寄せながら「その代わり歯が悪くなったね」
中年盛期に入った二人は悩みを託ち合うのであった。
「ところで動機には共通点があるのか。それが俺には分からないところだが」
「それがないのだ。大体人を殺すというのは、怨恨だろう。それがない。ないというと語弊があるが、殺戮の対象との間には個人的な怨恨はないのだ」
「ようするに復讐ではないのか」
「そう、殺人の原因には利害関係というのがある。金銭目的だな。強盗殺人とか保険金、遺産狙いとかね。それに関係したケースは一件もない」
「しかし、それぞれ事前に場所を選んでいるだろう。その地域に恨みがあったということはないのか」
「さあ」と言ってTはしばらく考えてから、「選んだ場所はたまたま土地勘があったということだろう。アメリカのように高性能で殺傷力の高い銃器がだれでも簡単に入手できるようなら大量殺人も比較的容易だろうが、日本の場合はほとんどが刃物だからな、出刃包丁で複数の人間を殺傷するのは大変な仕事だ。仕事というと語弊があるかな」
「そうだろうな、土地勘があるからどこそこで左に回ると人っ子一人いない畑に出るとか知っているわけだ」
動機については分かったが誘因というかきっかけというのはあるのか、と平敷は聞いた。
「きっかけというのはこじつければあるようだ。宅間守の場合は三番目の妻に復縁を迫ってストーカー行為をしていたが、警察や弁護士が介入してきてうまくいかなくなったというのがきっかけらしい。もっともこれは石原慎太郎が『凶獣』で自分の創作だと断っているが、なにかしら類似の経緯が公判で議論されたからだろうと思うね。
秋葉原事件の場合は、派遣会社の職場でのトラブルで勤務をやめたというのと、インターネットの掲示板が炎上したとか、無視されるようになった、つまり誰も反応しなくなったということを本人が言っている。しかし、秋葉原という土地の無関係の人間を襲う理由というか動機にはつながらない。
土浦事件の金川の場合はきっかけもよくわからないらしいな。前からやろうと思っていたのをたまたま当日実行したということしかわからない」
「そこで動機無き殺人というわけだ」と平敷は呟いた。
「しかも本人の責任能力は完全にあるというのだから。精神鑑定では善悪の判断はできたというのだからね」
「それにしても動機がないというのは変だな」
「充足理由率にも反する。精神錯乱や狂気なら理由がない発作のようなものといっても通用するが、ショーペンハウアーの『充足理由率の四つの根』の第四根によれば、すべての行為には動機がある、ということだ。そうだ、動機はあるかもしれないぜ。形而上学的なね。あるいは無意識の。形而上学というのは個人によって、いくらでも歪んでくるものだから。犯人たちにもそれなりの動機があったのかもしれない」
「問題はそこだね」となにか思いついたように平敷は頷いた。
そうそう、メモには書き落としたが一つ気になるポイントがあった、とTが付け加えた。
「なんだい」
「宅間守の件だが、母親が妊娠した時にこの子を、おろしたいとしきりに言ったそうだ。夫が反対をして妊娠中絶をしなかったが。なにかオカルト的な話だ。もっとも、これは石原慎太郎の本に出てくるはなしだが」
「石原慎太郎の創作なのか」
「いや公判記録か精神鑑定のなかに出ていることだろう」
「胎児の異常な人格が母親を脅かしたのかな。いったい妊娠何か月目になると胎児は人格というか疑似人格というものが出来るのだろうか」