平敷はTがテーブルの上に積み上げられた本を取り上げた。「次は『死刑のための殺人』か、なんだい、これは。読売新聞の記者が書いた本か」
「2008年3月の事件で、常磐線の駅で無差別に通行人に切りかかった事件だ。土浦通り魔事件というやつさ」
「ふーん、そんな事件があったのは記憶しているな。しかしこのタイトルはどういう意味だ。死刑のための殺人というのは」とTの顔を見た。
「引きこもりで家でゲームばかりしていた24歳の青年が死にたくなったという話さ。しかし自殺が出来ないのさ。だから人を二人以上殺せば国が死刑にしてくれるだろうと思った」
「この犯人の精神はまともなのか」
「裁判所はそう判断して死刑にした」
「よく分からんな」
「まったくわからない。君の今度の本が訳の分からない殺人事件を取り上げるというから格好の素材じゃないか」
「どうして自殺が出来ないというのかな」
「自分ですると痛そうだというのだ」
「本当かい。死のうとする人間がそんなことを考えるのかな」
「失敗する可能性も恐れたらしい」
「やれやれ」というと平敷は次の本を取り上げた。「今度は文庫本か。『秋葉原事件、加藤智大』か。秋葉原事件というのはトラックで日曜日の歩行者天国に突っ込んだという事件かな」
「そうなんだ」
「これは覚えている。なんか犯人が本を書いたとかいうんだろう。それはないのか」と平敷は残っている本をひっくり返してタイトルを見た。
「見つからなかったな。必要なら自分で探してくれ。まだ入手できると思うよ」
「これはいつの事件かな」
「土浦通り魔事件の三か月後だ。連鎖反応だと言われているようだ」
「そういえばスティーブン・キングのメルセデスという小説は秋葉原事件を下敷きにしていたな」
「そうかい、それは知らない。2008年の6月8日の事件だ。6月8日というのは2001年に起きた大阪池田小学校の事件発生の日だ。たぶん犯人は記念日としてこの日を選んだんじゃないかな」
「そんなことが書いてあるのか」
「いや、俺の想像さ。俺の考えでは池田小学校事件から始めるのがよさそうだ。通り魔とか大量殺人というのは前世紀の初めから沢山あるが、あまり資料がない。津山30人殺しなんてのは文庫本があるようだが、書店では見かけなかった。横溝正史が八墓村とかいうモデル小説を書いているらしいがね。20世紀の後半にも通り魔事件は結構あるが資料がない。インターネットで調べると各事件2,3行要約したようなリストがあるくらいだ。それに生活苦で借金取りに追われて切羽詰まったとか、覚醒剤を飲んでいて精神錯乱の末に通行人を襲うとかそのたぐいの事件で、深く切り込むような内容は無さそうだ」
「それで君は21世紀しょっぱなの池田小学校事件から始めたらという意見か」
「まあね、座標軸としてはその辺から始めればまとまるんじゃないかというのが俺の予感だ」
まてよ、と平敷は残っていた2冊の本を手に取った。「2つとも相模原障碍者施設の大量殺傷事件の本だな」
「その2冊は買っては見たが目次だけしか見ていない。犯人を分析するというよりも社会問題として障碍者に対する差別意識を糾弾するという視点が中心のようだから、君の問題意識とは関係ないようだ。犯人の目的や動機ははっきりとしている。重度の障碍者に対する優生学的ともいえる信念による事件だから、動機が分からないという通り魔の範疇にははいらない」
「わかった。一応持って行っていいかい」
「もちろんいいよ。おれが持っていても読まないだろうから。何かの参考になるかもしれないよ」