穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

6-2:ムスタングかもしれない

2018-08-29 13:34:40 | 妊娠五か月

「なぜ大都市や工業地帯を空襲するB-29の護衛戦闘機が房総半島の真ん中にあらわれるのかな」、と言われると確かに変だなと思いますね。あまり考えたこともなかったが」と老人は思案顔でいうと首をかしげながら茶を飲んだ。

 「そうだ、あの頃しきりに言われていたのを思い出したが、房総沖や九十九里浜沖にアメリカの空母や戦艦が出没していると大人たちが話していた。米軍の関東上陸作戦が間もなく始まるともっぱらの噂でね。その場合九十九里から上陸するとか駿河湾から上陸するのではないかと戦々恐々としていた。だから房総沖に本当に敵の海上部隊が展開していてもおかしくない」

「とすると、それら空母の艦載機が房総半島を横切ってテニアンやサイパンから飛来する爆撃機と関東上空で合流する可能性もあるかもしれませんね。もっとも昭和二十年に入ると日本軍の迎撃能力も弱まって護衛戦闘機なしで、しかも昼間低空で爆撃をしたというから護衛戦闘機の活躍する機会も少なくなったとか聞いたことがある」

老人は感心して「お若いのに感心ですね。戦史に詳しいね」とお世辞を言った。

「私の知人にノンフィクション作家がいてね、本土空襲について調べて本に書いたことがあるのですよ。その友人から聞いたんです」

「なるほどそうですか」

「思い出した。その時友人が言っていましたが、昭和二十年に入ると護衛戦闘機が空中戦をする機会も減って、したがって弾薬もほとんど使わなくなった。そういう弾薬を満載して着陸あるいは着艦すると事故を起こした場合に長期間後続の帰還機が着陸できなくなる。海上に不時着せざるを得なくなるというんですよ。だから弾薬を使わなかったり大量に残っている場合は海上とか人家のないところに連続射撃して弾倉を軽くするのが必要らしい」

「なるほど、それでどうせ捨てるなら射的のゲーム感覚で田んぼに舞い降りて小学生を標的にするわけだ」

「そうそう、その本の中で友人が書いていましたが、アメリカ人のパイロットの談話として地上で動くものがあればなんでも撃った、と引用してましたね」

Tは確認した。「機銃掃射を受けたのはいつ頃ですか」

「何時頃って、そうね」と老人は戸惑ったようだ。「昭和19年の暮れに疎開してね、そう毎日のように戦闘機の機銃掃射があったのはかなり温かくなった季節だったような記憶がある」と思い出しながら答えた。

「そうすると、房総沖の艦載機ではなくて硫黄島からのムスタングかもしれない」とTは友人の著書を思い出しながらつぶやいた。

「ムスタングって」と老人が頓狂な声をあげた。

「P-51というのが正式名称ですがね」

老人は膝を叩いた。「それですよ、P-51だ、P-51だって大人たちが騒いでいたのを覚えている」

「それなら硫黄島が陥落した4月以降のことでしょう」

「ふむ、そうだね、連日夏のような日差しが続いていたのを思い出したよ。P-51だとどうして硫黄島になるのですか」と老人はたづねた。