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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



アジアカップ2007
日本 0-0 韓国 (PK 5-6)
(2007/7/28 NHK-BS1)

延長戦に入ってからの、特に韓国の選手の消耗は激しかった。後半10分過ぎに、1人退場者を出し、その後の65分間を10人で戦い、PK戦でも6人全員が決めた韓国の精神力に感動した。しかし、若者の憔悴しきった表情は、必ずしも見たいと思える光景ではなかった。

日本の選手たちも試合のたびに、頬がこけていくのがわかった。大会期間中に、相当、体重が落ちたのではないか。東南アジア4カ国で開かれたアジアカップ2007は、サッカーをやるには、あまりにも厳しい環境だった。

FIFA(国際サッカー連盟)は、選手の負担を軽減し、環境の違いによる不公平感を解消するために、標高2500メートル以上の高地での国際試合を禁止しようとしている(その後、3000メートル以上に変更されている)。

アジアカップ2007を見続けて、同じように、気温と湿度についても、ガイドラインをつくらなければならないのではないかと考えた。場合によっては、光化学スモッグについても。

しかし、サッカーは世界の、大衆のスポーツでもある。どこでも、だれでも楽しめるのがサッカーの魅力だ。

ボリビアがFIFAの高所対策に反対するのも十分に理解できる。また、猛暑のなかでの試合を禁止したら、1年中、1日中、猛暑の土地では、サッカーができないことになる。これもおかしな話ではある。

ならば、せめて、厳しい環境のなかでの大会では、延長戦をなくすとか、延長戦の時間を短くするとか、交代選手の数を多くするとか、あるいは、(あまり効果がないかもしれないが)ゴールデン・ゴール方式を採用するとか、大会独自のレギュレーションがあってもいいのではないか。

国際試合(Aマッチ)の結果は、FIFAランキングの基になったりするので、国際基準の下で、すべての国際試合が同じ条件でおこなわれることが望ましいのかもしれない。しかし、厳密に言えば、すべての試合で、条件が異なるのがサッカーだ。

サッカーのルールの根底にあるのは「常識」である。その「常識」をもとに、柔軟に考えることができれば、サッカー選手の寿命を縮めるような過酷な試合を減らすことができるのではないだろうか。

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日本 0-0 韓国 (PK 5-6)
(2007/7/28 NHK-BS1)

ペナルティキック戦もサドンデスに突入。韓国の6人目、キム・チウが決めた後、日本の6番目に羽生が登場したしたときに、嫌な予感がしたファンは多かったのではないか。

そして、羽生の蹴ったボールは、韓国のGKイ・ウンジェの右手にとめられた。

オシム監督にとって、羽生は、オシムのサッカーを理解し、実現する、貴重な人材である。このアジアカップでも、初戦から交代出場し、いくどもチャンスをつくった。この韓国戦でも後半途中から中村憲剛に代わって出場し、延長後半には決定的なシュートを放っていた。

しかし、羽生はゴールを決めることができなかった。枠のすぐ外側だったり、クロスバーやディフェンダーに当たったり。それを見ていて、彼の決定力不足というよりも、ツキのなさを感じていた。このアジアカップ2007は、羽生の大会ではなかったのだ。

そして、日本にとって最後の試合の最後の場面。サッカーの神様は、「羽生の大会ではなかった」ということを、改めて宣告した。

ボール回しにこだわり、停滞気味だった、この大会の日本チームのサッカーに、アクセントをもたらし、活気づけようとがんばっていたのが、羽生だった。

その羽生を悲劇のヒーローにしてしまうのだから、サッカーの神様というのは、なんと冷酷なのだろうか。

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