なんとも急な話で驚きましたが・・・。ヨンドクが韓国の蔚山現代FCへと完全移籍することとなりました。
2011年の加入からおよそ3年半。すっかりカターレ富山の「顔」と言うべき存在となったヨンドク。
加入初年度の2011年は、今から思えばそれほど目立つ存在では無かった気が。それでも、10試合連続勝ち無しで迎えた第20節鳥栖戦での決勝点。初ゴールは値千金の決勝点となったのでした。
本格ブレイクを果たしたのは2012年。すっかりスタメンに定着し、それまでチームにいなかった果敢にドリブル突破を狙っていくスタイルにファン・サポーターは熱狂。
そして、彼の代名詞でもある「ヨンドクミドル」。第6節松本戦で見せた無回転シュートには度肝を抜かれました。その年のチームMVP獲得も、納得の活躍であったかと。
2013年、それまでなぜかアウェイでしか得点がなかったところ、京都戦でホーム初ゴールが決勝点。ちょうど息子の活躍を見に来日していた親御さんの前で決める、という孝行息子ぶりを発揮したのでした。
そして、第27節札幌戦では、再び伝説級のミドルをたたき込み、雨の中応援に駆けつけたホームのファン・サポーターに熱狂を届けたのでした。
そして、2014年。不振に喘ぐチーム状況にあっても、それでも主力としてその力を発揮してもらわねばならない・・・そう思っていたなかでの、今回の移籍。わだかまり、とまでは言いませんが、残念に思う気持ちもまた事実としてあります。
ヨングン、ヘジュン、ガオといった他国からの後輩にとって、先駆者として、兄貴分として面倒見の良さを発揮。
流ちょうな日本語での丁寧なファンサービス、気取らない礼儀正しい好青年っぷりは、多くのファン・サポーターに慕われたものでした。
カターレ富山の歴史に、その名を刻んだヨンドク。忘れ得ぬ選手として語り継がれることでしょう。
蔚山現代FCといえば、2012年にAFCアジアチャンピオンズリーグを制している韓国でも有数の名門クラブ。
決して長くはないサッカー選手としての人生のなかで巡ってきたこのチャンス。存分に活かしてほしいところ。
所属するチームは変わっても、応援する気持ちに変わりは無し。
いままでありがとう。
これからも頑張ってほしい。そして、いつかまた富山で元気な姿を見られることがあれば、言うこと無しです。
2011年の加入からおよそ3年半。すっかりカターレ富山の「顔」と言うべき存在となったヨンドク。
加入初年度の2011年は、今から思えばそれほど目立つ存在では無かった気が。それでも、10試合連続勝ち無しで迎えた第20節鳥栖戦での決勝点。初ゴールは値千金の決勝点となったのでした。
本格ブレイクを果たしたのは2012年。すっかりスタメンに定着し、それまでチームにいなかった果敢にドリブル突破を狙っていくスタイルにファン・サポーターは熱狂。
そして、彼の代名詞でもある「ヨンドクミドル」。第6節松本戦で見せた無回転シュートには度肝を抜かれました。その年のチームMVP獲得も、納得の活躍であったかと。
2013年、それまでなぜかアウェイでしか得点がなかったところ、京都戦でホーム初ゴールが決勝点。ちょうど息子の活躍を見に来日していた親御さんの前で決める、という孝行息子ぶりを発揮したのでした。
そして、第27節札幌戦では、再び伝説級のミドルをたたき込み、雨の中応援に駆けつけたホームのファン・サポーターに熱狂を届けたのでした。
そして、2014年。不振に喘ぐチーム状況にあっても、それでも主力としてその力を発揮してもらわねばならない・・・そう思っていたなかでの、今回の移籍。わだかまり、とまでは言いませんが、残念に思う気持ちもまた事実としてあります。
ヨングン、ヘジュン、ガオといった他国からの後輩にとって、先駆者として、兄貴分として面倒見の良さを発揮。
流ちょうな日本語での丁寧なファンサービス、気取らない礼儀正しい好青年っぷりは、多くのファン・サポーターに慕われたものでした。
カターレ富山の歴史に、その名を刻んだヨンドク。忘れ得ぬ選手として語り継がれることでしょう。
蔚山現代FCといえば、2012年にAFCアジアチャンピオンズリーグを制している韓国でも有数の名門クラブ。
決して長くはないサッカー選手としての人生のなかで巡ってきたこのチャンス。存分に活かしてほしいところ。
所属するチームは変わっても、応援する気持ちに変わりは無し。
いままでありがとう。
これからも頑張ってほしい。そして、いつかまた富山で元気な姿を見られることがあれば、言うこと無しです。