教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

琵琶湖の「悪者」をバイオ燃料に 水草から精製、成功

2009年04月04日 13時55分10秒 | 受験・学校

 驚くばかりの繁殖力で夏には琵琶湖の湖面を覆い、航行の障害や悪臭の原因となるウオーターレタスから、バイオエタノールをつくる技術を滋賀県東北部工業技術センターや京都大学などの研究グループが編み出した。これまで駆除に手間ばかりかかっていた「厄介者」が、ガソリンの代替燃料として実用化される日は近い。  正式名ボタンウキクサ。繁殖力がきわめて強い外来種で、毎年夏から秋にかけて琵琶湖南部の入り江を埋め尽くす。生態系への影響も懸念されているため、県は07年度、約7千万円を費やし、ほかの水草と合わせて約2800トンを除去した。  「エネルギーに転用できないか」と考えたのは、同工業技術センターの松本正主任専門員。07年度から研究に取りかかり、翌年度からは京大産官学研究センターの牧野圭祐特任教授(生化学)と京大エネルギー理工学研究所の渡辺誠也助教(分子生物学)らも加わった。 成功の決め手は渡辺助教が開発した酵母だった。水草にはトウモロコシなどの穀物にはない糖類が含まれ、エタノールへの変換を邪魔していた。この糖類を発酵させる酵母を遺伝子操作でつくり出し、高濃度のエタノールが精製できるようになった。  商業ベースにのせるため、3年後をめどに琵琶湖岸に実証プラントを建設する予定だ。  牧野特任教授は「琵琶湖の水草を貴重な資源として利用することで、エネルギーを地産地消するモデルを作りたい」と話す。』アサヒコム

外来種のボタン浮き草の駆除と琵琶湖の船の航行障害や悪臭いも防げバイオエタノールも出来一石二鳥です。琵琶湖の生態系を脅かすものからごみ処理や廃棄物として処分しないで再利用が出来本当に良かったと思います。高濃度のバイオエタノールの実用化が計られ、四季の美しい自然の琵琶湖が湖水の浄化と共に復活しますよう祈ります。地球環境保護と言う大事な視点から、身近な物で皆が扱いや処理に困っているものから新しい発明や開発を手がけてほしいと思います。資源に乏しい日本ですから、資源に役立つものへの転用や利用が必要不可欠です。滋賀県名物のフナ寿司の原料となるゲンゴロウ鮒も外来魚ブラツクバスやブルーギルの繁殖増加で少なくなってきていますが。ブラツクバスを肥料に使う研究も進んでいるようです。琵琶湖の自然環境と生態系を維持し琵琶湖で魚業を営み生計を立てている生活を守る為に外来魚を放流したりせずに駆除すべきです。以前は琵琶胡名物の鯉や鮒の刺身、鮎のてんぷら、鮎やもろこ、瀬田しじみの佃煮を名物料理として大津の旅館で出していました。今は琵琶湖産のものが少なくなって来ています。琵琶湖の水質の悪化とも関係が有ると思います。琵琶湖の伝統ある郷土料理も廃れてしまっています。琵琶湖で取れる伝統料理の作り方や水産資源の鯉や鮒、鮎、もろこの料理法も知らない若いお母さんも増えているのではないでしょうか。食料自給率の日本での低下や地産地消が叫ばれる中、日本の湖の水産資源や身近な伝統ある郷土料理や特有の食材を守り育て。継承する為に湖の環境保護と生態系統の維持に努力すべきだしと思います。ある魚釣りを趣味とするタレントが、琵琶湖のブラツクバスやブルーギルを駆除しなくて良いといいましたが。日本の伝統ある独特な琵琶湖の魚業や地域の人達に長年愛され親しまれ、食べられて来た貴重な食材の水産資源を損なうような言動には、日本に対する郷土愛と大和男、日本人としての自覚の足りなさを感じます。日本人としての自覚と魂を売り渡したような日本人も今や有名人にも多すぎます。琵琶湖でブラックバスの釣りの楽しみより長年伝え、守り続けられてきた琵琶湖を中心にした滋賀県の伝統文化や琵琶湖の郷土料理をないがしろにして日本を語るな無かれと言いたいです。昨年からの産地偽装や輸入冷凍食品の安全性の問題も日本の食糧危機や食料自給率の問題への提起と日本の地産地消の大切さを問い直した事件と思います。生活習慣病の原因のメタボリックシンドロームは、日本の伝統食材の中に防ぐ成分が含まれていると研究発表されています。先人からの智恵で継承されて来た四季の季節間溢れる日本の伝統料理や郷土料理を守り、日本の美しい自然を愛する郷土愛を日本人として持つべきでは有りませんか。適地適作の日本の伝統食材を皆で守り、生産を増強すべきでは有りませんか。地球の温暖化や自然破壊による天災や飢饉から日本人の食生活を守る為に今から、食料危機に備えるべきだと思います。下記に琵琶の美しい情景歌った有名な名曲琵琶湖周航の歌を書かせて頂きました。

☆滋賀県高島市のホームページから引用 琵琶湖周航の歌

この歌は、大正6年に高島市今津町で生まれました。
時代を越えて歌い継がれるこの名曲は、市の宝物です。

琵琶湖周航の歌
                 
     作詞  小口  太郎
     原曲  吉田  千秋

  われは湖の子  さすらいの
      旅にしあれば  しみじみと
     のぼる狭霧や  さざなみの
      志賀の都よ  いざさらば

  松は緑に  砂白き
      雄松が里の  乙女子は
     赤い椿の  森蔭に
      はかない恋に  泣くとかや

  浪のまにまに  漂えば
      赤い泊火  なつかしみ
     行方定めぬ  浪枕
      今日は今津か  長浜か

  瑠璃の花園  珊瑚の宮
      古い伝えの  竹生島
     仏の御手に  いだかれて
      ねむれ乙女子  やすらけく

  矢の根は  深く埋もれて
      夏草しげき  堀のあと
     古城にひとり  佇めば
      比良も伊吹も  夢のごと

  西国十番  長命寺
      汚れ(
けがれ)の現世(うつしよ)遠く去りて
     黄金の波に  いざ漕がん
     語れ我が友 
熱き心

曲は「ひつじぐさ」のメロディを
借りたものとわかり、昭和54年には「作曲者は吉田千秋」と名前まで特定できましたが、
身元は不明のまま。
 平成5年6月に、今津文化会館で開催された「琵琶湖周航の歌開示75周年
記念イベント」の準備のさなか、実行委員会は「吉田千秋は大正4年に東京から
新潟県に転居している」との手がかりで、新潟県の地元新聞に消息探しを依頼したところ、
偶然にも関係者の目に止まり、ついに作曲者の詳細な人物像が判明したのです。
大海から針を探すにも等しい吉田千秋探しは、急転直下の展開をみせたのでした。


小口太郎
明治30年生まれ。長野県岡谷市出身。第三高等学校(現京都大学)に学び、のち東京帝国大学(現東京大学)に進む。三高在学中の大正6年6月28日、ボートで琵琶湖周航の途次、今津の宿で周航の歌の詞を仲間に披露した。「有線および無線多重電信電話法」の特許を取るなど、多才であった。26歳で永眠。


身。若くして肺結核を患う。
現東京農業大学に学びながら、音楽やローマ字関係の雑誌に投稿を始め、
大正4年、雑誌「音楽界」8月号に「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」を発表した。
24歳で永眠。この歌は、大正6年に高島市今津町で生まれました。
時代を越えて歌い継がれるこの名曲は、市の宝物です。

url http://www18.ocn.ne.jp/~abc8181

                                                            

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