教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

消費増税法案、単独提出も…民主・輿石幹事長

2012年01月04日 19時36分49秒 | 国際・政治

読売新聞 1月4日(水)13時23分配信『 民主党の輿石幹事長は4日午前の記者会見で、消費税率引き上げの関連法案を巡る与野党協議に関し、「どうしても野党に協力いただけない場合、あきらめない覚悟で(やる)。それが政権与党としての使命だ」と述べ、野党の協力が得られない場合は民主党単独で国会に提出することも辞さない考えを示した。 これに先立ち、輿石氏は党本部での仕事始めであいさつし、「国難とも言うべき課題を、一つ一つ乗り越えていかなければならない」と述べ、東日本大震災からの復興や消費税率の引き上げなどに取り組む決意を強調した。』

、「どうしても野党に協力いただけない場合、あきらめない覚悟で(やる)。それが政権与党としての使命だ」と述べ、野党の協力が得られない場合は民主党単独で国会に提出することも辞さない考えを示したのは政治家として頭がおかしいです。

「絆」を核に新しい日本の時代をつくる新春インタビュー 谷垣禎一総裁に 聞く機関紙「自由民主」第2493号掲載『野田総理を選んだ民主党議員は総選挙で「4年間は消費税を引き上げない」と訴え、当選してきた人たちです。野田総理、安住淳財務大臣も新聞社の候補者アンケートで、「任期中の消費税増税」に反対していました。そんな民主党政権に、消費税の増税を提起する資格はありません。もし、どうしてもやるのであれば、もう一度国民に信を問うところから出発しなければなりません。』の発言通で、小沢一郎元代表の番頭格の輿石民主党幹事長までも御乱心状態の民主党です。三枚舌で嘘も方便では、もう各野党を騙すことは出来ません。
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山手線、40年ぶりに新駅…品川―田町間

2012年01月04日 16時05分03秒 | まち歩き
読売新聞2012年1月4日(水)14:32

山手線、40年ぶりに新駅…品川―田町間
(読売新聞)

 『JR東日本が山手線の品川―田町駅間(東京都港区)で、約40年ぶりに新駅を建設することがわかった。2013年度に新駅を含む周辺の再開発工事の着工を目指す。 山手線の新駅は1971年に完成した西日暮里駅(荒川区)以来で、30駅目。再開発エリアは11年末、外資系企業の誘致を図る国の「国際戦略総合特区」に指定され、新駅は同エリアの利便性を高める要となる。 新駅が予定されているのは、両駅間の港区港南、芝浦付近で、品川駅の北側約1キロの地点。両駅間は2・2キロと山手線の駅間で最も長い。新駅には並走する京浜東北線も停車する計画だ。 品川駅は東海道新幹線が停車し、羽田空港までは京浜急行線で約15分で結ばれている。27年にはリニア中央新幹線で名古屋まで40分で行ける東京の新たな玄関口となるが、新駅は品川駅から所要約2分で、最も近いJR駅となる。 再開発が計画されているのは、品川―田町駅間にある車両基地「田町車両センター」(20ヘクタール)の跡地約15ヘクタール。大規模なオフィス街や商業施設の建設が予定されている。国際便が拡大している羽田空港にも近いことから、今回の再開発エリアは、11年12月に国の「国際戦略総合特区」に指定された。国は特区で働く外国人の入国審査などに関する規制を緩和、都は特区内の企業の法人事業税の減免などで、外資系企業の誘致を図っていく。 JR東では、北関東から上野駅が終着駅となっている宇都宮、常磐、高崎の3路線を東京駅まで延伸し、東海道線と直通運転する東北縦貫線を13年度中に完成させる予定で、その後は東海道線などの車両を止める車両基地が大幅に縮小される。再開発はこの空きスペースを活用する。』(2012年1月4日14時32分  読売新聞)

JR東日本が山手線の品川駅―田町駅間、東京都港区で、約40年ぶりに新駅を建設することが分りましたので、新駅周辺の駅前再開発工事の決定で、駅周辺の土地の値段は上がると思います。今後羽田空港への交通機関の利便性が高まり、国際線の増便も復活するのではないでしょうか。

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バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし?

2012年01月04日 15時29分24秒 | アート・文化

読売新聞 1月4日(水)10時56分配信 【ワシントン=山田哲朗】何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した。 研究チームは、2010年、米インディアナ州で開かれた国際コンテストに集まった21人のバイオリニストに協力してもらい、楽器がよく見えないよう眼鏡をかけたうえで、18世紀に作られたストラディバリウスや、現代の最高級バイオリンなど計6丁を演奏してもらった。どれが一番いい音か尋ねたところ、安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かった。
 研究チームは「今後は、演奏者が楽器をどう評価しているかの研究に集中した方が得策」と、名器の歴史や値段が影響している可能性を指摘している。』

何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した発表したのは驚きですが。経済的に恵まれていないバイオリニストには、お年玉とも言えますね。バイオリンの音よりもネームバリューと骨董的価値で、名器として高い値段が付いていると言う本当の事実が判明しましたね。今までバイオリンの名器と安い現代のバイオリンの 音色を比較調査しなかったことが問題です。現代は、バイオリンの製造方法と技術が進んだと思います。

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100年間の営業に幕 盛岡の観光名所 岩手銀中ノ橋支店

2012年01月04日 14時35分54秒 | 社会・経済

河北新報 1月4日(水)6時10分配信

岩手のニュース

赤れんがと、花こう岩の白いラインが目を引く岩手銀行中ノ橋支店

各所に西洋風装飾が施された営業フロア

 盛岡市中心部の観光名所の一つで、赤れんがの建物で知られる国の重要文化財(重文)「岩手銀行中ノ橋支店」が6月、隣接地に支店機能を移し、建築から100年間続いた営業店としての役割を終える。移転後は文部科学省と共同で約2年間、内部を修復し一般公開する予定。
 同支店は1911年、旧盛岡銀行の本店として建てられた。東京駅丸の内駅舎を手掛けた明治期の代表的建築家の辰野金吾と盛岡市出身の葛西万司が設計した。60年に岩手銀行本店となり、83年の本店移転で中ノ橋支店になった。94年、営業中の銀行建築としては初めて重文に指定された。
 近年は老朽化が進み、3年前に外壁の緊急修理を実施した。現在は内装の本格補修に向けて文科省が調査しており、支店機能の移転後に補修工事に入る。
 柿木康孝支店長は「これまで一般の方に内部を見せる機会がほとんどなかった。移転・改修後は自由に見てもらうことも検討し、地域の観光スポット、心のよりどころとして長く使ってもらいたい」と話す。
 赤れんがと白い花こう岩を使った外観は、盛岡のシンボル的な存在として親しまれ、多くの観光客が訪れる。内部は支店業務用の1階フロアが大きな吹き抜けとなっており、柱や天井には明治期に流行した西洋風装飾が施されている。』

 盛岡の観光名所 岩手銀中ノ橋支店は、明治の名建築です。明治期の代表的建築家の辰野金吾と盛岡市出身の葛西万司が設計した明治の名建築です。赤れんがと白い花こう岩を使った外観は、機械で建設されたものではなく、人の手で作られた建物は、基礎も堅牢で丈夫と言われています。100年間の風雪に耐えた名建築と言えます。
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NEW9日目 横山武知(たけし)の斎藤一人365日語録

2012年01月04日 13時14分38秒 | 悩み
NEW9日目 横山武知(たけし)の斎藤一人365日語録

■この不安がある中で、自分は何ができるだろう?
☆そう、考えた時、人は具体的に動き出す。現実が変わる。

人間というものは本当に不思議なもので、

不安があるのが普通だと思うと、意外と不安がなくなるものなんです。


多くの人は、不安をなくそうとしてしまっている。

人間は不安がある動物。
不安な生き物だから、不安がなくならない。
なくならないものをなくそうと思うから、苦しくなる。

この不安がある中で、自分は何ができるだろうと、不安を利用して
人生を楽んでみませんか?
  
追伸:ついに、激動の始まりといわれる2012年!!
日本一の実業家、歴史上、日本で一番納税をされている斎藤一人さんから
毎月、学んでみませんか?まずは、無料ですので、話を聞いてみてください↓
http://saitohitori365.com/manadeshi.html

たけしさんの中では、いろいろな分野の先生、例えば、スピリチュアルな先生
経営コンサルタント、経営者、アセンション系、地震の専門家、大学の教授よりも
一人さんは近未来が見えていて、それに対しての対策と、伝え方がベストだと。

あなたの福禄寿、つまり、あなたの人間関係、お金、心と体の健康は
2012年からの世の中に、対応できそうですか?準備しようとしてますか?
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原爆慰霊碑にスプレー=器物損壊容疑で捜査―広島県警

2012年01月04日 12時23分54秒 | ニュース
 『4日午前1時10分ごろ、広島市中区中島町の平和記念公園の警備員から「原爆死没者慰霊碑にペンキが掛けられている」と近くの交番に電話があった。広島県警広島中央署員が駆け付けたところ、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた石碑前面に金色のペンキのようなものがスプレーされていた。同署は、器物損壊容疑で調べている。』2012年1月4日11:47)(時事通信)
原爆死没者慰霊碑にペンキが掛ける心無いいたずらは後を立たない。、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の石碑の言葉安らかに眠って下さいは良いとしても、過ちは繰返しませぬからは、原爆被爆者や原爆死没者は、何の過ちも犯していない。何も悪いことはしていないし、何の罪もない。広島市民に原爆犠牲者が多数出たのだから矛盾する言葉の表現です。この言葉に憤りを感じるのは、人間として当然では有りませんか。ラダ・ビノード・パール「出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』原爆慰霊碑碑文についての発言と碑文論争5日には広島平和記念公園原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなった。パールは二度三度と碑文の内容を確かめた後「憤ろしい不審の色」を浮かべて
「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」

これを発端として碑文論争が活発化した。この発言を聞いた本照寺の筧義章住職はパールを訪ね「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を要望し、パールは「大亜細亜悲願之碑」の文章を執筆した。

激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて 死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジアの
解放のため その厳粛なる
誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の
中に在る その啓示
に従って 我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール

なお前半は筧住職による文であり、後半「抑圧された・・・」以降がパールの文章とする説が存在する。1970年2月11日に運動団体「原爆慰霊碑を正す会」が発足。広島市が「主語は『世界人類』」と公式見解を示す事態となった。1983年に主語をトルーマンとする札が慰霊碑に貼り付けられる事件がおこり、広島市は主語はすべての人々とする説明板を設置した。」をに読めば誤りは明らかです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラダ・ビノード・パール

ラダ・ビノード・パール肖像画(靖国神社内顕彰碑)

ラダ・ビノード・パール英語:Radhabinod Pal, ベンガル語:????????? ???, ヒンディー語:????????? ???, 1886年1月27日 - 1967年1月10日) は、インド法学者裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。ベンガル人

ヒンドゥー法を専攻。日本では主に、極東国際軍事裁判(東京裁判)において判事を務め、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。東京裁判以降、国際連合国際法委員長や仲裁裁判所裁判官として国際法に関与した。

ベンガル語表記では『ラダビノド・パル』、ヒンディー語表記では『ラーダービノード・パール』となるが、パール家の人間は「パル」と呼んで欲しいと希望している。

経歴

パール判事の顕彰碑(京都霊山護国神社にて撮影)
パール判事の顕彰碑(東京九段・靖国神社内・遊就館前にて撮影)

1886年にインド・ベンガル州ノディア県クシュティヤ郡カンコレホド村に生まれる。1907年カルカッタのプレジデンシーカレッジにおいて理学士試験に合格、数学賞を受賞。翌年カルカッタ大学にて理学修士を取得。1910年にインド連合州会計院書記生として就職した。

1911年にカルカッタ大学理学部、法学部を卒業し、1920年に法学修士試験に最優等にて合格、翌年弁護士として登録。1924年にはカルカッタ大学にて法学博士号 (LLD) を取得した。論文は「『マヌ法典』前のヴェーダおよび後期ヴェーダにおけるヒンドゥー法哲学」であった。

1923年から1936年までカルカッタ大学法学部教授。1925年にはインド学会最高の栄誉であるカルカッタ大学タゴール記念法学教授に選出された。1927年にインド植民地政府の法律顧問に就任、1937年には国際法学会総会に招聘され、議長団に選出される。

1941年にカルカッタ高等裁判所判事に就任。1944年、カルカッタ大学副総長に就任)。

1946年極東国際軍事裁判ではインド代表判事として派遣された[

1950年10月に再び来日し、約一ヶ月間日本に滞在した。その際、原爆慰霊碑の碑文について、碑文の責任者である浜井広島市長と対談を行う。広島市中区の本照寺の住職・筧義章に請われ詩を執筆した。その詩は後に本照寺に建立された「大亜細亜悲願之碑」に刻まれている。

1952年下中弥三郎らの招聘により、世界連邦アジア会議に参加。同年国際連合国際法委員会委員に就任し、同職を1967年まで務める(1958年度および1962年度委員長)。

1953年、下中彌三郎の招聘により三度目の来日。大倉山文化科学研究所で「インド法哲学思想の潮流」を講演。同年、インド国会下院議員補欠選挙に国民会議派から立候補し、3万6319票を得るが次点で落選(当選者は、5万8211票を獲得した共産党候補)。

1955年、世界連邦カルカッタ協会会長に就任。1957年に国際連合常設仲裁裁判所判事、1959年にはナショナル・プロフェッサー・オブ・ジュリスプルーデに就任。

1960年、インド最高の栄誉であるPADHMA-RRI勲章を受章する。

1966年10月に清瀬一郎岸信介らの招聘により四度目の来日。その際、昭和天皇から勲一等瑞宝章を授与された。

1967年1月10日、カルカッタの自邸にて死去。82歳。最晩年のパールは、所得税を滞納したことから自宅を失い、恵まれない生活だったと伝えられる。

研究業績と思想

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

東京裁判当時はヒンズー法学者で、著書に『ベーダ時代のヒンズー法哲学』『インド長子相続法』『出訴期限法』などがある。

中島岳志は、パールを一貫した「熱烈なガンディー主義者」であり、同時に絶対平和主義者だったと主張した。これに対し中里成章は、パールとガンディー主義に基づく運動との間には接点が見当たらないことと反論し、「概ねインド・ナショナリズムの右寄りの潮流に親近感を持ち、植民地政府と少なくとも表面上は良好な関係を保ちながら、優秀な法律家として活躍し、おそらくヒンドゥー大協会の支持を得てカルカッタ大学副学長にまで登り詰めた、植民地法曹エリート」であり、「そういう人物として植民地政府によって東京裁判の判事に指名され、したがって、インドの独立後、ネルーの新政府と緊張した関係をもたざるをえなかった」人物だと推定している。

東京裁判判事選任の経緯

2009年に発見されたインド総督官房の公文書によればパールは、1941-43年に、休暇中の裁判官の穴を埋める形で短期間裁判官代行を務めた弁護士であって、インド総督府の認める正式な判事ではなかったが、国内手続きのミスにより代表に選ばれた。

東京裁判における主張

パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。“裁判憲章の平和に対する罪人道に対する罪事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない”という判断によるものである。

なお、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。事実、パールは意見書の中で、残虐行為などについても、敗戦国の日本やドイツ、戦勝国のアメリカに分け隔てなく批判的見解を述べ、一方の政策への個人的見解を前提とした恣意を強く戒めている。パール判決書は、裁判官として「東京裁判において、日本を裁く法的地位は存在しない」他、日本を裁く法的根拠は無いという判断であり、パールの主観的な道義的判断や政治的、宗教的思想を主題とした物ではない。また、パールの長男は「(パールは)国際法の専門家として東京裁判を批判しただけであり、日本を擁護することを考えていたわけではない」と2007年に語った[9]

南京事件

南京事件については「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」と、検察の提示した十数万から数十万もの証言や証拠に強い疑問を呈した。ただし、パールは「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は、圧倒的である」[10]と、犯罪行為その物は存在したと判断している。

また「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示した」として、弁護側の主張を受け入れている。しかし、それを行った人間は直接の上司と共に既に処罰されている事、「犯罪行為の指示」「故意の無視」といった事実は見受けられないことなどから、被告に繋がる問題ではないとして残虐事件の責任を問われた松井石根に対しても無罪を宣告している。

バターン死の行進その他

バターン死の行進については「実に極悪な残虐である。輸送機関もなく、また食糧も入手しえなかったために止むをえなかったという理由でこれを弁護しようと試みられたのである」)として、その弁護が事実であったとしても正当化できる物ではないとし、「灼熱の太陽下、120キロメートルにわたる9日間の行軍の全期中、約65,000名の米国人およびフィリピン人俘虜は、その警備員によって蹴られ殴打された。病気あるいは疲労のために行進から落後した者は、射殺され、あるいは銃剣で刺されたのであったとして「本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である。その責任者は、その生命をもって、償いをさせられたのである。本官は現在の被告のうちのだれも、この事件に関係を持たせることはできない。」とした。

また、アジア太平洋各地で、戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例を示し、「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない[15]と述べ、「これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない[16]」と主張した後、「しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。(…)現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。」とした[17]

ホロコーストと原爆投下に関して

連合国側はニュルンベルク裁判と東京裁判との統一性を求めていたが、パール判事は、日本軍による残虐な行為の事例が「ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によりて立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っている[18]」と、戦争犯罪人がそれぞれの司令を下したとニュルンベルク裁判で認定されたナチス・ドイツの事例との重要な違いを指摘したうえで、「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。

ベルト・レーリンク判事への反響

パールの「公平さ」を訴える考え方にオランダからのベルト・レーリンク判事も共感し、その影響を受けるようになっていった。また自らの個別意見書の発表も、パールが「反対意見」を公表すると主張した副産物であったとした。

「当初からパルは、自分の意見を公表しようと決めていました。思うに、パルは裁判に加わった時から、全被告がどの訴因についても無罪であると自分が判定することになろう、とわかっていたのでしょう。そこで、他の十名の判事の決定には拘束されはしない、と言ったのです。この理由で「反対意見」を認めないとする当初の合意は崩れました。というのも、多数派に与しない判事は、多数派に賛成していると思われるのを避けるため、今や自らの考えを明らかにせざるを得なくなったからです」

パールの個人的立場についてレーリンク判事は次のように語っている[21]

「パールは植民地支配に心底憤慨していました。彼は、ヨーロッパがアジアで行った事、200年前にアジアを征服し、それからずっとそこを支配し君臨し続けた事に強い拘りを持っていました。それが彼の態度でした。従って、アジアをヨーロッパから解放する為の日本の戦争、そして“アジア人のためのアジア”というスローガンは、パールの琴線に触れるものがあったのです。彼は、日本人と共にイギリスと戦うインド軍に属していた事さえあったのです。彼は骨の髄までアジア人でした」

なお牛村圭は、レーリンク原著「The Tokyo Trial and Beyond(東京裁判とその後)」の史料価値は高いが、訳書は「初歩的な誤訳」「基本的な史実の誤り」が多く、版元が絶版の対応を取ったとしている。レーリンクの語るパールがインド軍に参加していたことに関しては、インド国民軍が存在した時期にパールは既に50代後半という高齢であった事、この時期にパールはカルカッタ高等裁判所判事、カルカッタ大学副総長に就任していること、東京裁判判事に選ばれた理由は、表立ってイギリスに反抗的態度を取っていなかった事が理由の一つとされており、反英独立を掲げたインド国民軍にパールが実際に属していたかは疑問の余地がある。これまでのところ、パールがインド国民軍に属していたことを裏付ける明確な根拠は判明していない。[要出典]

一方、粟屋憲太郎は、「日本軍と手を組んでインド国民軍を率いインド独立を達成しようとしたチャンドラ・ボースに近く、東京裁判に対する反論は法実証主義に基きながら、その背景には『西洋帝国主義にたいする強烈な敵意に基づいた』日本への共鳴だった。そういう意味で、パールは「中立的」立場の判事ではなかったと言える」とし、パールの思想的立場は中立ではないとした。

評価・批判・影響

パールは『パール判決書』の中で、

「戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」

と記述している、また

「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国ルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう』。」

とA.J.ノックの言葉を紹介している。これについて、日本の保守系論者(伊藤哲夫:日本政策研究センター)は「『戦争を始めたのは日本ではなく、アメリカなのだ』ということを意図したものである」と主張している。

戦犯被告による歌

パールの意見書に接し、裁かれた被告が歌を遺している。

2012年はどんな年か?山内康一・蟷螂の斧

2012年01月04日 10時21分22秒 | 国際・政治

日本経済の不調は長引き失われた20年と呼ばれ、
昨年は百年に一度の大津波・大震災、原発事故があり、
いまだに欧州経済危機は去らず、中国経済も心配です。

こんなどん底からそろそろ反転する時期だと思います。
反転のきっかけは、解散総選挙と新しい体制づくりです。
おそらく野田政権はもう持たないでしょう。

山岡大臣、一川大臣の問責等の事故的な問題も大変ですし、
消費税増税、TPP参加、マニフェストからの路線変更、
加えて相次ぐ離党者と、もう持たないことは明らかです。

今年の6月頃には、衆議院の解散総選挙は避けられません。
民主党が大勝することはまずありませんが、対する自民党も、
あまりかわりばえしない政策とメンバーでは期待薄です。
民主党離党組の小沢チルドレン新党も期待できないでしょう。

民主党も自民党も消費税増税に前のめりで改革後ろ向き、
旧来型のバラマキ政治から大きく変わってはいません。
現状維持ではいけないことが明らかな状況下において、
民主党や自民党のやり方では現状を打破できません。

みんなの党の大躍進はまちがいないと思います。
2009年夏の衆院選に比例で約300万票をいただき、
2010年夏の参院選で比例で約800万票に増やして、
2012年の衆院選ではさらに伸びると思います。

みんなの党がキャスティングボートを握るでしょう。
かなり高めの条件をのませた上で連立与党の一角に入るのか、
あるいは、野党第二党として政権に対し是々非々で臨むのか、
いずれにしてもキャスティングボートを握ることになれば、
みんなの党の政策を実現できるチャンスは格段に増えます。

みんなの党が、既得権と「戦う改革」をスタートさせて、
現状維持・既得権維持の政治から決別したいと思います。
そこから日本の政治と経済の復活は始まるのだと思います。
2012年は良い年にしたいし、できると思っています。

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引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/

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「金塊」への関心が高まる中 古代遺跡から続々「黄金」が発掘されている驚き

2012年01月04日 10時05分58秒 | 国際・政治
2012年01月04日 00時48分42秒 | 政治
◆「金」の価格は今後さらに高騰するのか、暴落するのか?現在の価格は1g約4,000円。これが高騰すると予測する者もいれば、反対に上がれば下がるのが相場の常で、すでに下落しつつあり、暴落するという者がいて激突状況にある。
 「金」は、紙幣などの通貨を発行するための「担保」(裏付け)となる貴金属である。米国は、中央銀行であるFRB(準備制度理事会)の金庫の本物の金塊が枯渇、ニセの金塊(タングステンに金メッキ)しか保有していないといわれ、基軸通貨ドルの国際的信用は完全に失墜している。その代わりに国内に保有している「石油」(油田)を「担保」として使うことにしている。
 しかし、「石油」は「金塊」ほどの担保力はない。そこで世界中の人々が「金塊」へのあこがれを、これまで以上に強めている。
◆こうした世情を反映するかのようにTBSテレビが1月3日午後6時半から11時24分まで、「緊急スクープ!!…世界初公開!夢の古代秘宝 市場空前の大発掘SP」と題して、世界各地の古代遺跡などに焦点を合わせて、「金塊」にまつわる歴史をレポートしている。
番組表から概要を抜き出してみると、以下のように構成されていた。
▽世界三代遺跡で世紀の新発見に挑む
①マヤ2012年人類滅亡の予言&謎の最新ピラミッド“王の基”ミステリーに大森南明が迫る。
②世界が注目ブルガリア 人類最古の黄金文明!貴族の墓に潜む財宝を発掘せよ
③ローマ地下に皇帝ネロの黄金宮殿を発見!?謎の巨大空間を世界初公開!あなたは歴史の目撃者になる
▽総額数百兆円!秘宝・世紀の大発見ベスト20
 天空・都市マチュピチュ ツタンカーメンの黄金
人工衛星がとらえた巨人族の墓&3兆円の地底軍隊と魔法の剣&黄金の逆さまミイラ&古代日本に実在!天に続く世界一の木造神殿 夢と幸運NO.1秘宝は?
この番組で、最も圧巻だったのはブルガリアで発見された騎馬民族トラキア人の黄金の数々である。5000年前に栄えた文明という。21世紀最大の発見と言われているように、黄金のデスマスク、食器、指輪、馬具など数限りなく発掘されている。
◆世界文明の中で、いまだに解明されていないのは、日本の天皇家の起源から今日に至るまでの歴史である。BC5000年にアラビア半島に発生したといわれているシュメール民族が、BC4000年に忽然として消えたといわれているが、この末えいが天皇家という説がある。これを裏付ける遺跡が近年発見されてきている。天皇家が長い歴史の過程で金塊などの財宝を蓄積してきたであろうことは十分に予想できる。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
米国対日工作者の大ボスであるジョセフ・ナイ教授が日本に財政政策を要望し始めたワケ

◆〔特別情報①〕
米国はこれからの日本に何を期待しているのか。日本が独立国として独自路線を歩めない「制限主権国家」である以上、残念ながら宗主国ともいうべき米国の意向を気にせざるを得ない。この意味で米国CIA、対日工作の頂点に立つ策謀家として知られている大ボスであるハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(国際政治学者)の見解は、決して無視ではない。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

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引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken
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東京株、8500円台回復で好発進 上げ幅100円超で推移

2012年01月04日 10時01分29秒 | 社会・経済

産経新聞 1月4日(水)9時19分配信『初取引を迎えた4日の東京株式市場は、大幅続伸している。日経平均株価の寄り付きは前年末比94円19銭高の8549円54銭として8500円台を回復。さらに上げ幅は拡大し、一時120円を超え、平均株価は8500円台後半をキープしている。 東証株価指数(TOPIX)は、昨年末比8.91ポイント高の737.52。 欧米株は世界経済の先行きに対する期待が広がって主要市場はそろって上昇。3日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均が前週末比179・82ドル高とした好スタートに続いた。』
1月3日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均が前週末比179・82ドル高とした好スタートの東京株式への波及効果と思いますが。日経平均株価が、1万円台を越えない日本経済は回復基調に入ったと言えないのでは有りませんか。日経平均1万5千円台を回復すれば本格的な日本経済の景気回復と言えのではないでしょうか。国際経済から見ても日本は、消費税の増税よりも景気回復に野田佳彦首相は政治生命を賭けるべき時では有りませんか。

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NY株、リスク警戒後退で179ドル高=5カ月ぶり高値〔米株式〕(3日)☆差替

2012年01月04日 09時49分00秒 | 国際・政治

時事通信 1月4日(水)7時0分配信 『【ニューヨーク時事】今年最初の取引となった3日のニューヨーク株式市場は、年末年始の欧州経済に大きな混乱がなかったことからリスク回避姿勢が後退し、大幅に値上がりした。優良株で構成するダウ工業株30種平均は前週末終値比179.82ドル高の1万2397.38ドルと反発し、昨年7月26日以来約5カ月ぶりの高値で終了。年初日としても過去3番目の値上がり幅を記録した。
 ハイテク株中心のナスダック総合指数は43.57ポイント高の2648.72。
 ニューヨーク証券取引所の出来高は前週末比2億6804万株増の8億5338万株。
 米市場が連休中の欧州株は堅調。ユーロの対円相場は1ユーロ=100円の大台付近で推移した。市場では「欧州問題から去年の夏に株価が大きく下げる局面では、事態が底なしに悪くなるとの懸念があった。年を越して少しは良くなる雰囲気があるようだ。問題解決への方向性は見えている」(日系証券)との声があった。
 景気改善を示す経済指標も手掛かり材料となった。この日発表された12月の米サプライ管理協会(ISM)製造業景況指数は、53.9と半年ぶりの高水準に改善した。中国の12月の製造業購買担当者景況指数(PMI)は、2カ月ぶりに景況判断の境目となる50を上回った。
 ただ、欧州問題も小康状態にあるだけで、いつ再び市場の混乱につながるのか予断を許さない。「今年は世界的な低成長が続く」(同)とみられる上、同じ業界でも企業ごとに好不調の差がはっきりしており、「選別色の強い1年となりそうだ」(同)という。
 個別では金融株が買われ、JPモルガン・チェースが5.2%高、バンク・オブ・アメリカが4.3%高となった。アルミ大手アルコアも6.7%高。(了)』

今年最初の取引となった3日のニューヨーク株式市場は、年末年始の欧州経済に大きな混乱がなかったことからリスク回避姿勢が後退し、大幅に値上がりした。優良株で構成するダウ工業株30種平均は前週末終値比179.82ドル高の1万2397.38ドルと反発し、昨年7月26日以来約5カ月ぶりの高値で終了し。年初日としても過去3番目の値上がり幅を記録したのは、アメリカ経済がどん底から抜け出る兆しと見ることが出来るのでは有りませんか。何時までもマスコミが煽るようにに二番底、三番底と落ちるはすが有りません。当たらぬマスコミの国際株式予測では有りませんか。どん底に落ちたら上がるのが、物の事の常識で、欧州よりもアメリカ経済が早く立ち直るのでは有りませんか。

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