昨日の予算委員会の教育分野の集中審議では、
道徳教育に関する質問をしました。
しかし、あまりかみ合った議論にはならず、
何となく消化不良なまま終わりました。
道徳教育を全国一律カリキュラムでやる国は、
あるのかという質問を最初にしました。
それに対しては、韓国がやっているという答え。
他に欧州では、宗教教育をやっているとの答弁。
つまりは先進国で道徳教育を教科として取り上げ、
国がやっている国はほとんどありません。
道徳教育とは良心の関わることなので、
思想・信条・良心の自由に関わります。
国家が道徳を統制することに対しては、
警戒感を持つ国が多いのだと思います。
次に「道徳教育をすればいじめはなくなる」
とする根拠は何かと尋ねました。
具体的な根拠はないことがわかりました。
道徳教育を行えば子どもの規範意識が高まり、
その結果として、いじめはなくなるだろう、
という希望的観測に基づく政策のようです。
教育政策もエビデンスベースで議論しましょう、
というのが国際的なトレンドになっています。
教育学者等の専門家が、新しい教育手法を試し、
ある程度の効果があることを検証した上で、
それを普及していくというのがトレンドです。
下村文科大臣には、そういう発想はなさそうです。
いじめ自殺がおこった大津市の中学校というのは、
文科省の道徳教育研究事業のモデル校でした。
道徳教育のモデル校でも、いじめ問題は発生して、
自殺にまで至っているわけです。
文科省が推進する道徳教育の効果がないことを、
実証するモデル校になってしまっています。
サンプル数が少ないので結論は出せませんが、
道徳教育をやればいじめがなくなる、
という単純な答えにはならないように思います。
また「道徳教育を強化しなくてはいけないのは、
道徳水準が下がっているという認識に基づくのか」
という趣旨の説明をしました。
文科大臣の答えは、社会の規範意識が低下している、
といった趣旨の答弁でした。
何を根拠にそうお答えになるのか不明です。
いつの時代も「最近の若者はなっていない」と、
おじさんたちは嘆くものです。
おそらく「最近の若者は無礼でなってない」と
言われ始めてから、3000年くらいでしょう。
また、教育再生を叫ぶ政治家の多くは、
「少年の凶悪犯罪が増えている」と主張し、
道徳教育や教育改革を訴えいます。
下村文科大臣も「青少年による凶悪犯罪の増加
などの問題に直面をしております」と発言して、
教育改革の必要性を訴えておいででした。
しかし、実際のところは、少年の凶悪犯罪は、
増えるどころか、長期的には減少傾向です。
警察庁によれば、凶悪犯少年の検挙人数の推移は、
以下のようになっています。
凶悪犯 殺人
昭和33年 7,495 359
昭和47年 2,848 147
平成 3年 1,152 76
平成24年 836 46
*凶悪犯=殺人、強盗、放火、強姦
*少年=14歳以上20歳未満
つまりは、少年の凶悪犯罪は増えていません。
教育再生を訴える人たちの根拠のひとつは誤りです。
こういうデータを見ていると、いまの少年たちも、
そんなに規範意識が悪化しているとは思えません。
安倍総理は「オールウェイズ3丁目の夕日」が、
お好きなようで著書でも感想を述べられています。
東京タワーのそばの下町で、みんなが貧しいが、
地域の人々はあたたかいつながりのなかで
生きていた時代、と安倍総理は述べています。
しかし、当時(昭和33年)は少年の凶悪犯罪は多く、
当時の人口動態を見ると、若者が農村から都市に移り、
農村社会が激変した時期でもあります。
当時の少年の方がは、今どきの少年よりも、
凶悪犯罪を起こす確率は高いわけです。
人は誰でも過去を美化したくなるものです。
特に安倍総理の周辺には、過去を美化する人が、
大勢集まっているようにお見受けします。
個人的にノスタルジーにひたるのはいいですが、
政策判断の根拠は情緒的な懐古主義ではなく、
客観データや事実に基づくべきです。
単なる思い込みや印象論で政策判断をするのではなく、
専門的知見や客観データに基づき判断すべきです。
安倍政権の危うさを感じます。
思い込みの政策判断では、教育だけではなく、
外交や安保も危ういです。
引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/