山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

桃栗3年柿8年ゆずの大馬鹿18年 !?

2024-11-20 23:17:02 | 野菜・果樹

   近所から声がかかり、ユズとカボスの収穫に行く。近所の裏山の斜面には柑橘類の果樹が並んでいて、ここ数年丸抱えでわが家がその果実をいただいている。というのも、酸味が強い果実の消費は普通では結構持て余してしまう。さいわい、わが家の野菜ジュースには酢や梅肉エキスを入れて柑橘類をほぼ毎日数個使っているから、年間にするとかなりの消費量となる。ニンジンの葉をはじめ訳あり野菜も活躍しているので野菜ロスはかなり少ない。

 最初は箱ザル3ケースの花ユズを収穫したが、「もっと持っていきなよ」と言われて、次の日同じくらいを収穫。その分は知人におすそ分けする。

 

 いただいた大量のユズやカボスは冷凍にしてわが家で穫れる野菜やブルーベリーやキウイをブレンドしてシコシコのどを潤して健康を保っている。上の画像は、左から花ユズ・本ユズ・獅子(鬼)ユズの大きさ比較だ。本ユズは「ユズの大馬鹿18年」というくらい、実ができるまでには時間がかかる。しかもとげが鋭く痛い。(画像は望月農園webから)

 しかし、花ユズは「一才ユズ」と言われるくらい数年でたわわな実が採れるし、果汁も多いので鍋料理などに重宝する。わが家では、皮を刻んで冷凍にもするので一年中薬味は欠かさないし、果汁はポン酢にも活用できる。

  (画像はedit oitaから)

 上の画像は左から、カボス・ユズ・スダチ。果実の大きさ・果肉の色・種の数が比較できる。カボス生産量は大分県が全国の95%を占めるほどの圧倒的なパワー。ユズの生産量は四国が全国の80%でそのうち高知県が54%のシェア、木頭村ユズが有名だ。

 

 近所のカボス(香母酢)を収穫してたら、「全部採っていって下さい」との張り紙の伝言があったのでお言葉に甘えてすべていただく。画像にある数のおよそ倍をいただくことになった。

 大分には樹齢2~300年もある古木のカボスがいくつかあり、古くから栽培されてきたことがわかる。さらにオラが注目してきた大分県村一品運動」の中でも、かぼすはその旗手としての役割を果たすようになったのは自然の成り行きだった。和宮様には毎年のように大分カボスが献上されている。見ず知らずだった近隣とのありがたいつながりが生きる希望に弾みをつける。

 

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落花生はほぼ全滅だったのに!?

2024-11-18 21:39:18 | 農作業・野菜

  植えるのが遅かったのでやっと収穫に乗り出したのが、落花生の二つの畝。しかし、よく見るとその根元に落花生の殻が散乱している。不吉な予感がよぎる。あわてて、収穫してみるが肝心の生さやが見あたらない。それになんと、畝に野球ボール分の地下道がまっすぐ通っているではないか。

  

 残っているのは未熟な子房柄の鞘ばかり。ひと月前の試掘では順調に育っていたのを確認したのに、がっかりだー。あきらめきれずネズ公の見逃した落花生探しを始める。以前はカバーをしていなかったので、アナグマに荒らされこれも見事に全滅だった。それから今回、カバーで覆ったものの今度は地下から侵入とは想定外。

 

 とりあえず、ネズミ様のおこぼれをいただくことにする。すぐにと茹でてみたがやっぱり食べるところが少ないか、食べられない状態。トホホ、落花生を割って南京豆を取り出す喜びが体験できなーい。 次回は唐辛子を撒いてネズ公を退散させるっきゃない!! ネズ公も体重の25%の食料を確保しないと生きていけないそうなので必死だ。だから、ネズ公もモグラのトンネルを仁義無用で利用しているらしい。モグさんにはメリットがあるのだろうか。

  

 無農薬菜園をやるわが家なのでミミズも多く、モグラも健在だ。そんなおり、知り合いから和宮様に献上された大量の落花生を偶然にも入手することができた。この品種は「おおまさり」と言って、茹で豆用落花生として作られたジャンボ落花生だ。待ってましたとばかり、鍋いっぱいの茹でた「おおまさり」に食らいつく。食べだすとエンドレスになるので途中から食べる量をセーブする。

 困っているとき、救ってくれる人が身近にいることが心強い。このところ、そうした近隣からのいただきものや献上品などが食卓を豊かにしてくれる。それは和宮様が周りの人々に余った野菜や手作り加工品などをときおり差し上げているのが程よい流通網になっているのは間違いない。ありがたい!! 深謝!!

 

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庶民からの視点で絵巻物を見る

2024-11-16 22:56:52 | 読書

 1980年代から2000年にかけて歴史家・網野善彦氏らを中心として日本中世史ブームが起きる。それは従来の農民と武士・貴族との中心史観だけではなく、職人・女性・海民・山民・部落民ら今まで光が当たらなかった庶民からの日本社会の分析でもある。そうしたいわゆる「網野史学」の端緒は、異端の民俗学者・宮本常一(ツネイチ)の丹念なフィールドワークからの影響が強く反映されている。庶民の膨大な用具や諸分野の暮らしの聞き取りに裏打ちされた宮本氏の視点から、古代以降の絵巻物を読み解いていったのが本書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中央公論社、1981.3)だった。

 

 絵巻物は関係者以外なかなか見る機会がない。本書には絵巻物の図版画像が119点も掲載されている貴重な公開となっている。そこには、行事・民具・子供・便所・家畜・船・漁具・建築・風俗・履物・植物・狩猟など当時の暮らしの多彩なモノ・人・自然を観察することができる。ただし、本書がハンディな新書本なので、絵も小さく不鮮明でもあり、画像を読み解くのには苦労する。

 

 本当は絵巻物の画像をブログに引用したいところだが、読み手の視点からは極めて見にくく技術的に至難の業だった。そこで、宮本氏の本の表紙を多用することとなった。

 さて、宮本氏は冒頭に開口一番、「絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさ・天衣無縫さである」という。庶民の単調で素朴な生活にもかかわらず、「日々の生活を楽しんでいる」のが絵から伝わってくると氏は強調する。

  (更級日記紀行、平安時代の肉食)

  対照的に、貴族・僧侶らの行事や儀式は堅苦しいものに終始しているのを庶民は物見高く見物している。そのうえついには、それを祭りとして自分たちで楽しく演出してしまう器量をもっていたと氏は評価する。こうした好奇心旺盛な庶民の姿は、幕末にやってきた外国人が自由闊達な子供たちをみて一様に感動しているのと共通点がある。

 その意味で、日本人のおおらかさを失ってしまったのは明治以降ではないかと思われる。幕藩体制の江戸時代では分権国家の側面もあったが、明治政府の強権的さらには軍国的体制の徹底は、違う考え方を排除するタブーというものが暗黙の裡にはびこっていく。その延長が日本社会の基層の重しとなって同調圧力を産み出したのではないか。

  

 現在、大河ドラマで「光る君へ」の平安王朝を放映しているが、当時の王朝の建物は、高床式で壁が少なく隙間だらけで冬が寒いのがわかる。そのため、女性の衣服がなぜ十二単になってしまったかが読み取れる。いっぽう、民衆は竪穴住居もどきの土間住まいがしばらく続いたようだ。

 同じく、大河ドラマでは公家の烏帽子にこだわっているのがわかる。本書でも烏帽子をかぶったまま就寝している絵巻を紹介している。

  

 従来の裸足の生活から履物を履くようになったのは、土間住居から床住居へと変化し、稲わらが利用されてきたことと関係したのではないかと氏は分析する。また、便所というものがない時代、足下駄については脱糞放尿用として利用されたのではないかという提起も納得がいく。

 

 それにしても、宮本氏の聞き取りの謙虚さが相手の心を和ませていくのが伝わってくる。それらのさりげない情報が氏のかけがいのない知的財産となった。したがって、何気ない絵巻物の中から庶民の発する暮らしの喜怒哀楽の詳細を汲んでいったのだと思えてならない。 

 なお、本書は1981年3月に発行されたが、宮本氏が亡くなったのが同年1月のことだった。したがって、本書は最晩年の一冊となった。そのためか、巻末に「著作目録」が付随されている。

 

 

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カマキリへの催眠術!!

2024-11-13 22:55:42 | 生き物

  冬に突入したのか、秋の終わりなのか、はたまた夏の延長なのか、不可思議な季節は相変わらず人間の欲望過多の行為に祟りを投入しているかのようだ。そんなとき、勝手に居候となったカマキリ2匹がオラをにらみつける。つい目と目があってしまう。

 

 前足・カマの内側に黒い模様があったのでおおきさが小さめなのも勘案して、この当該カマキリは「コカマキリ」に違いない。最新のニュースでは、アスファルト上で死ぬカマキリが多くみられるが、その原因は寄生虫である「ハリガネムシ」の妖術だという。ハリガネムシがそのようにカマキリを操っているのだと、京大の研究チームが解明した。

 

 たまたまカゲロウも来ていたので、カマキリはそれを狙っていたような気もする。翅の斑紋があったので「ウンモンヒロバカゲロウ」(ヒロバカゲロウ科)と思われる。いつの間にかいなくなったのはどうしてだろうか。カマキリの餌食になったのか。

  (ameblo.jpのwebから)

 以前、バッタがミイラになって草の茎に止まっている姿を畑で見たことがあるが、それも同じような現象のようだ。自分以外の生命体の命令によって動かされているのだ。同時にそれは、人間界も同じことが言える。つまり、「カネこそ全て」「人のことより自分さえよければ」「他国のことより自国第1主義」というカゲの言葉に支配され、追い込まれ犯罪や戦争や人間・地球への裏切りをやってしまう。夢遊病者のように。M・エンデの『モモ』の世界が現実となってしまった。

 わが家にいた2匹のバッタはハリガネムシのせいとは言わないけれど、先日死体となって畳に転がっていた。同じ居候の鬼軍曹・アシダカグモがこのカマキリを食べていなかったのが幸いだった。それで今、二匹のカマキリは野菜の肥料となっている。

 

 

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逆襲ついに始まる

2024-11-11 21:54:11 | できごと・事件

 イノシシの逆襲がついに始まった。先日、イノシシが侵入している茶樹のトンネルに枝を投入して防御を図ったところ、次の日には、こんどはその腹いせか、裏の畑の道路側の石垣を崩し始めたのだった。どういうわけかわからないがイノシシは石垣の際を掘る習性がある。そこには、ミミズが多いのか、山芋が多いのかそれとも人間に対する腹いせのストレス解消か、もの凄いパワーであった。

 

 石垣があったはずの所が崩され、植わっていた茶樹も根こそぎ掘り出されていた。それが見事わが私道沿いに10mくらい続いていたのだった。あまりの壮観に怒り狂うというより呆れてしまうばかりだ。とても、修復しようという意欲は今のところ失ってしまった。

 

 さいわい、近くのトンネル栽培の大根の若い芽は荒らされていなかったのがホッとしたところだ。このイノシシの狼藉を見ると、冬を前にして腹が空いていたのかもしれないが、やっぱり前日の人間の防御策に対する腹いせとしか考えられない。こんな仕打ちはここ数年、なかったのだから。

 

 ここ数年、イノシシからの大きな被害がなく、むしろシカの食害の方に煽られ、防護柵建設が課題だった。小さな山林を含めた2500坪近くあるわが土地に電気柵をやるのはとても予算も労力も足りない。だから、年金生活者はシコシコと自前で補修を重ねるしかない。

 

 たまたま、地元の組長が来たので現状を見てもらい自治会長に報告してもらうことになった。とはいえ、役所を期待することはできない。組長の話では、近隣の耕作放棄地にも同じような事態があり、石垣が壊されたということだった。人間が鶴嘴をもって掘り出してもこれだけのことはできない。イノシシは短時間であっという間に道具を使わずやり切ったわけである。ハンターの出番を待つしかないのだろうか。そうすれば、その肉をやけ食いしてしまうぞ。

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人生の軋轢・欺瞞を運ぶ電車!?

2024-11-08 22:10:40 | アート・文化

  オラが若いとき、校内の演劇部が「欲望という名の電車」を上演するという目立たない看板があって、気にはなっていたが観に行かなかったことがあった。そんなこともあって、ブロードウエイ(1947年初演)で爆発的に評判となった作品をDVDの映画版でやっと見ることになった。

 

 裕福な地主の実家で育った姉・ブランチ(ビビアンリー)は破産者となっていて、妹の住むニューオリンズに転がり込む。しかし、そこは暴力的で粗野な労働者の夫・スタンリー(マーロンブランド)がいる狭い長屋だった。二人の育った環境の違いは、アル中気味だったブランチがどんどん追い込まれていき、近所のミッチとの結婚に望みをかける。しかし、その幸福は無残にも壊れ、ブランチは過去の裕福な幻想の世界にしか生きられなくなる。

 

 その経過は、近松浄瑠璃の心中物へのストーリーに似ている。その意味で、西洋も東洋も包含した作品の人間の真実を描いた不朽の名作だということにもなる。映画の公開は1952年。第二次世界大戦が終わり、戦勝国アメリカは超軍事大国(今もそうだが)となった。大量生産・大量消費が始まり、中産階級の生活が向上するが、南部では「黒人差別法」が生きており、人種隔離がフツーにあり、工場地帯と農地プランテーションとの桎梏もあった。

 

 貴婦人の洋装を変えられない姉と下着だった汗まみれのTシャツのスタンリーとの対照的な服装は、南部のいやアメリカの現実・価値観の格差を象徴するものだった。問題の社会的深刻さをブランチの精神的病いへと追い込むことで、ブロードウエイやハリウッド、そしてアメリカの繁栄の病巣、さらには人間の醜さ・欺瞞に釘を刺した意欲的な作品となる。

 

 ビビアン・リーの鬼気迫る演技にアカデミー賞主演女優賞をはじめ、監督賞・男優賞など4部門の受賞となる。それは能天気なハリウッドの映画にも骨太な影響を与える。名作「エデンの東」も描いた監督のエリア・カザンらは1947年、俳優養成所「アクターズ・スタジオ」を創設し、映画・演劇界の超有名な俳優を次々掘り出していく。しかし、米ソ冷戦の影響から、マッカーシズム旋風がハリウッドをも襲い、カザンやチャップリンらも生贄になってしまう。そこから、体制に順応するか、沈黙を守るか、逃避するかなどの選択が問われていく。

   (<ZUTTO>webから)

 脚本の「テネシーウィリアムズ」の家庭環境は、この「欲望という名の電車」そのものと言っていいほどの現実だった。だからこれはリアリスティックなストーリーにならざるを得ないわけでもある。それほどに、アメリカの階級社会の現実はまだまだ解消されていない。トランプを大統領に再選させた背景の本質を考えると、本映画の迫力の根源とつながる思いがしてならない。

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秘密のサティアンとトンネル発見!?

2024-11-06 21:00:43 | できごと・事件

  残念ながら雑草との戦いはいまだエンドレスとなっている。隣人との境界の小道が雑草で覆われ先が見えなくなっていたので、鎌と草刈り機でシコシコ草取りしていたら、なんと隣人の耕作放棄地に巨大なサティアンが表れてきた。それはススキを丁寧に倒して心地よいベッドだった。人間でも一寝入りできる快適なベッドだ。この3m四方くらいの広さからいって主はイノシシ一家に違いない。コロナ以来、しばらくイノシシの気配はなかったが、昨年あたりから近くにきていることはわかっていた。が、シカの食害はあったもののイノシシからの被害はほとんどなかった。

   

 しかし最近になって、バタフライガーデンに侵入して平地がぼこぼこになるまでミミズ狙いをはじめ出していた。しばらくイノシシは侵入したことがなかったので、どこから突入したかは不明だった。それが小道を挟んでサティアンの反対側に秘密のトンネルがあったのを同時に発見したのだった。しかもそのルートは、以前シカの侵入ルートだったが、補修を続けていたのでしばらくシカの侵入はなかったのに。今度はそれを体力と知恵のあるイノシシが突破してしまったというわけだ。

 

 トンネルは茶木の隙間にできていた。シカ対策のときは支柱を縦横に打っていたが、イノシシの場合はそれをどかしてしまうパワーがあった。見事に奥のバタフライガーデンに貫通していた。それが5~6か所もできていたのだった。これはどうも1匹ではなくて家族群団としか考えられない。

  

 しょうがないなーと貫通先の空間を見ながら、そのトンネルに木の枝を突っ込んだりして当面の弥縫策とした。いずれ、ありあわせの資材ではなくてしっかりした防獣柵を作るしかないと決めていたところだった。残念ながら、雑草と害獣対策が大まかにいえば作業の7割を占める。野菜にかかわる作業は3割しかないといっていい。これが中山間地での無農薬の家庭菜園の実態だ。

 

 そして、数日前道端に乱雑に進入していた「シャガ」を採ってあったので、それを定植して雑草対策と景観を兼ねてみた。画像の右側はトンネルを塞いでいる。イノシシにとっては簡単に貫通してしまうだろうが、まずは当面のカムフラージュだ。しかしながら、これからが事件だったのだ。それは次の機会に。

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国道でキノコ狩り!?

2024-11-04 21:39:31 | 食彩・山菜・きのこ

   和宮さまがお忍びでウォーキングをしていた時、国道沿いで食べられるキノコを発見したという。さっそく現地を見に行ったら、なんと、「ノウタケ」(ホコリタケ科)だった。久しぶりだ。かつてときどき公園で見た時もあったが、ほんとうに脳が転がっている怪奇な形をしている。ガードレールの手前の道路側にノウタケがあった。画像でも道路の白線が見えるから、歩いていると踏んでしまう所に奇跡的に出ていたのだった。

 

 表面を触るとスポンジを触っているようなビロード状の滑らかさがあった。同じ仲間のホコリタケは細かいとげ状があり、大きさも小さい。ノウタケはコブシくらいの大きさでシワがあるのが特徴だ。両方とも、食べられる。たくさん採れたホコリタケはシチュウーなどに入れて美味しく食べてきた。

  

 両方とも、肉が白いと食べられる。さっそく割ってみたら白かったものの、家に帰って食べる準備をしようとしたら、肉が黄色くなってきたので調理はやめることにした。ノウタケは癖のない味だが、いい出汁が出てうまい中華スープができるというが、残念。

 

 ノウタケの場所から10mほど歩いてみたら、ガードレールの内側すぐに「ムラサキシメジ」(キシメジ科)を発見。手が届くところに群落となっていた。ムラサキシメジは、植物を積み置くところに多く見かけるが、ここでは湿気がありまわりには枯れた植物が豊富にあった所だった。

 

 ムラサキシメジは場所によっては大量に収穫できるが、埃っぽい味が気になって積極的な料理はしてこなかった。バター醤油にニンニク・生姜を入れた炒め物だと埃っぽい味は解消され、美味だという。笠の表面は、見事な紫のものもあるが、中央にわずかな紫しかないものもある。仲間の種類も多いので、図鑑やキノコに詳しい人からの情報が大切だ。それにしても、食べられる野生キノコが国道沿いにあるとはなんという奇遇だろう。

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悪人は悪人らしい?リアリズムへと

2024-11-02 21:33:47 | アート・文化

 1828年(文政11年)、幕末に近い文化・文政時代に発行された役者絵、五代目松本幸四郎の錦絵を見る。四谷怪談で有名な鶴屋南北が実際の事件をヒントに書き下ろした「絵本合法衢(ガッポウガツジ)」の歌舞伎公演からの一場面だ。鶴屋南北は、従来の町人生活を描いた「世話物」や有名な歴史劇の時代物」に飽き足りず、最底辺に生きる都市のリアルな人間・世相を暴いた「生(キ)世話物」やおどろおどろしい「怪談物」のジャンルを開拓した。

 さらには、早替わり・宙づり・戸板返しなど奇抜な演出「ケレン(外連)の活用」で注目を浴び、また悪事を冷血に行い相手を残忍に殺してしまう美しい二枚目を登場させてしまう、当時の歌舞伎界の革命児である。

  

 それを体現したのが五代目松本幸四郎であり、五代目岩井半四郎らの錚々たる名優たちだった。この絵は特大の鼻を持つ幸四郎の特徴を絵師の「国貞」(三代目歌川豊国)の技量がよく表現されている。この役者絵は、「たて場の太平次」という街道筋の人足の姿でどうやら人を殺めようとしたときの場面のようだ。背景の黒い渦はこれから起きる危うい空気か、または次の画像にある火との関係があるのだろうか、観劇していないのでわからない。

  

 どちらの絵にも松の枝の残骸があるが、劇の内容を知らないとその意味が分からない。かように、役者絵は読み解きがあるパズルなのだ。上の画像の「孫七」(坂東三津五郎)も妻ともども返り討ちに合って殺されてしまう。『合法衢(ガッポウガツジ)』の「合法」とは最後に幸四郎らへの仇討ちに成功した側の人名で、「衢」とは辻・分かれ道であるのがわかった。登場人物も多く、ひとり二役であることもあり、見る側もかなり集中しないとわかりにくいのではないかと思われた。

 

 松本幸四郎・太平次の着物は縞模様のシンプルな柄だ。これには幕府の奢侈禁止令の影響があったのかもしれないが、上等な衣服・デザインであることがわかる。西洋での縞模様は異端者が着るもので不吉な対象だったというが、日本では縞模様に工夫が練られ、体のラインをスレンダーに見せる「江戸の粋」を発揮する柄でもあった。その縞柄衣服の上側には、縦横線が交差する「弁慶格子」模様がさらりと描かれている。歌舞伎にはしばしばこの柄の衣服が止揚されている。シンプルだが強烈な柄として愛用されている。

 幕末を控えた当時の閉塞の時代は今日の日本や世界の混沌とした世相と似ている。そんな中だからこそ、リアリストの鶴屋南北や歌舞伎の極道路線の先陣性が庶民の不安感を巻きこんだ。

 

 画家の国貞は、「五渡亭(ゴトテイ)」を名乗っているが、かつて江東区亀戸の「五の橋」際に住んでいて、その渡し船の株をもっていたので、川柳の太田南畝(ナンポ)から贈られた画号だという。国貞が生まれた亀戸駅近くに「三代豊国五渡亭園」という庭園が現在観光スポットになっている。国貞(三代目豊国)は、当時の写楽や北斎より人気のある画家で、作品数も1万点を越える巨匠でもあった。

 冒頭の役者絵も該当する絵が結局探索できなくてずいぶん苦労した。さらにその版元の「山に大」マークも見つからなかった。これらのことから、世界から注目されている浮世絵が日本での研究がかなり遅れていることをまたもや痛感する。

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イヌの「干し芋」が新米10kgに変身!?

2024-10-30 22:12:37 | 出会い・近隣

   先日スーパーに買物に行き、安かった値引きの干し芋をゲット!! さっそく、家で齧りついたら柔らかいはずの干し芋がかなり硬い干し芋だった。値引きだったから硬いのもしょうがないかと思いながら、改めてその袋を見たら犬用の餌だった。これにはさすがにキャイーーン

 だもんで、近所にいるお犬様に献上することにした。そしたらその後、お犬様からなんと地元の田んぼで採れたばかりの新米をいただいたのだった。

 

 わが家は玄米食という近隣では考えられない食事をしているので、お犬様はわざわざ玄米を、それも10kgもお返しとして進呈してくれたのだった。これにもキャイーーンだ。最近は米作りの後継者がいなくて田んぼが危ないと危機感を持っているようだが、打つ手はいつもながら内輪での解決のみ、というのが実態だ。

 

 5~6年前までは、田んぼの真ん中で神社の注連縄を作るのが恒例だったが、コロナ禍を引き金に作らなくなり、今では高価なビニール製の注連縄となった。それは同時に、地域を中心に担っていた団塊世代前後の高齢化とその体調の減退が目に余る。といっても、かく言うオラはまもなく80歳代にお呼びがかかり戦力にならない。つまり、日本全体がそんな社会になり活力の行方がもどかしい現状だ。こうした失態を長らく放置してきた政治家や経営者の責任は大きい、そしてそれをボォーとしてきたオラや国民の無関心のツケが今に来ている、と痛感する。

 

 稲刈りが終わった田んぼを見に行ったら、イノシシ除けの電柵が張りめぐされ人間も通ることができない。心の癒しを育む散歩コースは人間も動物もログアウトしてしまう真空地帯となった。とはいえ、そのおかげで、今回は害獣からの被害はなく、無事稲刈りを完了し、そのおこぼれがわが家にもやってきたというわけだ。今は手を合わせてこの玄米をおいしくいただき、日々いのちを持続させてくれる食物に感謝の念を捧げるばかりだ。

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「乞食」か「甑(コシキ)」かそれが問題だ

2024-10-28 22:49:03 | 植物

  しばらくバタフライガーデンの一角に行かなかったこともあり、草刈りのためにその一角に直行する。すると、思い当たりのあるバラ科の植物が一大勢力となって周りに君臨していた。「コジキイチゴ」だった。長さが4mくらいになり自分で支えられないのでまわりの木にもたれながらもつぎつぎ枝を伸ばす厄介者だ。これを放置していたら大変なことになると、根っこから掘り出していく。

 

 しかし、枝は鋭い棘だらけで、触ると痛そうな腺毛も密集している。普通の軍手ではとても痛くて触れないので、急遽厚手の皮手袋をはめて枝を鋸で伐っていく。それを運搬すると棘が足に絡まったりしてまさに、ジャケツイバラのようにこちらの体が棘で捕縛されてしまう。さいわい鎌を持っていたので、細い枝を何とか切りながらの作業だ。

 

 名前の由来は、諸説あるが有力なのが、果肉が薄い袋状だった様子から、弥生時代に蒸し器として使われた土器・「甑」に似ているので「コシキイチゴ」⇒「コジキイチゴ」となったという。または古来からの在来種に「小字」という品種がありそれに似ていることから「コジキイチゴ」になったという説もある。卑近な例では、乞食でも食べないくらいうまくないイチゴなので命名されたという俗説もある。

 

 橙色の果実はいかにもキイチゴらしい外観だけど、ほんのり甘みはあるものの果肉が少ないのでもの足りないのは事実。だもんで、だんだん食べなくなってしまう。そのうえに、繁殖力が強くまわりの木に覆いかぶさってしまい、相手の成長を阻害してしまう輩なのだ。根元の太さは3~4cmはあったように思う。地域によっては絶滅危惧種に指定されているが、とても大事にしようという気は起きない。その点、ジャケツイバラは冠のような見事な黄色い花を見せてくれるので棘の威力は半端ではないがつい寛容になってしまう。

 

 乞食イチゴという差別的な名前を付けられてはいるが、花ことばは「純粋な愛」。清楚な白い花は絢爛さには欠けるけれども修道女のような控えめで、芯の強さがある。とはいえ、長い棘だらけの枝の肢体の処理には困った一日だった。

 

 

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古代日本に海人族あり

2024-10-26 21:05:39 | 読書

 オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いていて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人(アマ)らの物語だ。この時代の歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。まさに、漫画ならではの想像力の手法が生かされた世界が展開されていく。

  

 邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで戦火にいた渡来人が日本に移住していく、という背景がある。。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという民間信仰があったことを伝えていたが、著者はそれをヒントに海神(ワタツミ)を海童(ワタツミ)として登場させ、混乱する諸国平定のヤマ場で宝剣を掲げていく。なお、当時の九州は統一されたクニはなく、「末羅(マツラ)」「伊都(イト)」「奴(ナ)」などの小国家が分立していた。

 

 著者は百済亡命者の軍人が海人族を担っているというパワーの強さも配置している。また、博多周辺で交易を担っていた安曇族もそこに参画している。が、安曇族がなぜそこに関与していったか、そしてなぜ山奥の長野「安曇野」に移住したのかが興味あるところだ。祭事にはデカイ大船の山車を繰り出す理由のからくりもそのへんにあるようだ。これだけでもドラマになる。残念ながら本書はそれには触れていないが、続編があればきっと掲載されていくことだろう。

 

 海を舞台とした物語だけに海の持つ人間の存在を超えるパワーを勇壮に描いているのも本書の見どころだ。また、丸太をくり抜いただけの小船や百済人が乗っているモダンな大船などその描写も時代考察を研究されているのがわかる。そのほか、服装・装飾・刺墨・仮面などもよく調べてある。

 個人的には、著者の人物の表情がどの作品も生硬なのが気になる。登場人物が多いせいか、だれだったかしばしばわからなかったので、登場人物をコピーして読んだのが正解だった。髪型・髭・帽子・刺青・眉毛などの違いが分かってきた。

  

 著者は、「古事記」や「日本書紀」をずいぶん読み込みながら同時に解明が充分されていなかった海人たちの進取の生き方にスポットを当てているので、読んでいて歯ごたえがある作品になっている。神武東征をモデルにした気配があるがスーパーヒーローが出てこないのがいい。また、シャーマンの女性の存在が大きいのも時代を感じさせるとともに男性中心になりがちな歴史物に堕していないのも好感が持てる。また、海童の子どもらしい振る舞いが戦乱の多い物語ではホッとする。

  

 日本人のルーツ・古代日本の成り立ち・神道のルーツなど根源的な問題と対峙しながら描かれた本書のスケールの魅力に強烈なファンがいる。そのため著者の作品は入手が困難なものが多い。ぜひ、続刊が望まれるがその壁の大きさに著者は呻吟としているに違いない。しかしながら、現代の宗教が世俗的に堕し、「どうにも病んだ世界に見えるのに比して、古代の神々は混沌とした力強い生命力に溢れているように思える」という著者の結びが珠玉な輝きを持つ。

       

「古代における神と人々との拘わり」を「海の匂いでまとめた物語」にしたいという著者の狙いは遅筆で苦しんだぶん、読者に伝わっていると思えてならない。私小説風の狭いミーイズムがアニメや漫画を席捲しているなか、本書の壮大なダイナリズムは記念碑的な作品となっている。

 

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チンチロリンからリーリーへ

2024-10-23 23:08:03 | 生き物

 先月末からときどき「アオマツムシ」(マツムシ科)がやってくる。からだが平べったくて左右のレモンイエローのラインがお洒落だ。オスは背中の模様が幾何学的だそうだが見たことはない。やって来るのはどういうわけかいつも緑一色のシンプルな装いのメスばかり。

 文部省唱歌「虫の声」の「あれマツムシがないている チンチロチンチロ チンチロリン」という歌詞が懐かしい。マツムシは実際に「チッチリ、チッチリ」と鳴くらしいが、「アオマツムシ」は「リーリー」とうるさいくらいに鳴くという。「青マツムシ 黙らすほどの 雨ならず」(片山由美子)と俳句で詠まれるくらい大合唱だという。わが家に来るアオさんはおとなしい。

 

 それより、好奇心旺盛で和宮様の料理レシピをじっと研究して動かない。ひょっとして餌がなくて腹がすいていたのかもしれない。アオマツムシの餌といえば広葉樹の葉や虫の死骸だからね。バッタと言えば草むらにいるイメージだが、アオマツムシは樹上にいることが多いという。樹上の方が安全だからだろうか。

 

 次にそのアオマツムシが向かったのはパソコンだった。知的好奇心が旺盛なのかもしれない。近くにいると作業の邪魔になるがそのしぐさを観るのもなかなか面白い。触角の髭を丸めて口できれいに磨いていることさえある。マツムシは激減しているが、暑さに強いアオマツムシはどんどん北上していてまもなく北海道へ生育圏を進出する勢いだ。明治になって中国から江戸にやってきたという帰化昆虫はやはりたくましい。ウマオイやコオロギが跋扈しているわが家だが秋の夜長の演奏会をいつやってくれるだろうか。

 

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そして祭りは終わった!?

2024-10-21 20:57:26 | 出会い・近隣

 昨日は地元地区の祭りだった。コロナなどの影響で祭りは神事だけだったりだが、若者パワーで祭りを再現し、山車も繰り出した。その前日は、わが部落の神社で神主をお呼びした神事が行われた。コロナ前は部落で神事の後に「直会(ナオライ)」を盛大に開催し、過疎でもささやかな晩餐を共にしたものだった。

 しかし、コロナを引き金にして急速に後期高齢者の疲れが噴出するとともに、部落の老朽のお宮の鳥居を鉄パイプにしたり、幟も新調せざるを得なくなった。それ以上に、田んぼの稲藁で毎年作っていた注連縄もやめてビニール製の注連縄を購入した。体が重くなり足を引きずっているような年金生活者にとっては年金の一部でそれらをパスしてもらおうというわけか。

 

  また、神社の神饌物に部落から柿が寄進されたが、今年は夏の酷暑の影響やカラス・野鳥の食害で集まらなかった。わが家には2本の甘柿があるがそれぞれ1個だけという惨憺たる結果だった。かように、自然も神社も人間も社会も後期高齢者と化した。これからの日本の活力の源泉は教育による人間力しかないと思われる。

 

 来たる選挙の要望は、いつもながら景気や経済を第1位にあげるけれど、それは表面的なムードでしかない。日本の将来を考えると少子化に歯止めをかけ、教育費に予算をかけていくことが国家の計だ。すぐ効果は現れないけどね。それは自然エネルギーの開発やIT事業の戦略などにかかわる。なにしろ、食料自給率の酷さはもちろん、国産のパソコンが事実上全くないという体たらくだ。それらを放置して利権にいそしむ今までの政治屋の責任は大きい。オリンピックや万博の祭りに群がる利権屋の思惑を喝破する太刀を磨かなければならない。場末の神社の「きんぞく」疲労はそんな災厄の結果なのだ。

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ぎこちない言い訳する熊五郎を温かく

2024-10-19 21:57:26 | アート・文化

 柳家小三治の古典落語の人情噺「子別れ①②」をCDで聴く。と言っても、いつものように車の運転をしながらだけど。一般的には、子別れは「上中下」の三部構成の長編大作だ。「上」編は主人公の大工・熊五郎が弔いに行くと言って酒びたしのまま吉原へ、「中」編は4日間吉原にいてから帰宅して妻と大喧嘩して離婚、「下」編は改心した熊五郎が息子と会う、という流れ。本CDはそれらを2枚のCDに編集している。

 

 1枚目のほとんどが、酔っぱらいの熊五郎オンリーパレードだった。ほかの落語家ではできないような迫真の酔っぱらいが充満する。ストーリーというより得意の「まくら」のようなノーマルなさりげない語りに笑いを誘う、これだけで見事な名人芸だった。このダメ人間再生物語は、名作「芝浜」と似ているストーリーだ。本作は、幕末に活躍した初代春風亭柳枝(リュウシ)の創作落語で、それが現在にまで受け継がれていったというから、古典落語にふさわしい重厚な題材でもある。

 

 最近では、春風亭小朝の愛弟子の「五明楼(ゴメイロウ)玉の輔」や金原亭伯楽が「下」編を演じた「子は鎹(カスガイ)」や、おなじみの「立川志らく」の「子別れ」も見聞きしたが、小三治が笑いを取った同じものを彼らが演じても笑いが取れない余裕のなさが残念。ただし、酔っぱらい役がいまいちだった「志らく」が、言い訳がましい熊五郎が息子の亀吉や妻からの問いにどぎまぎしてしまう姿が好演だった。志らくの優しいまなざしがにじみ出ていたのが出色。

 いっぽう、古今亭志ん朝の「子別れ」は聴衆の心に届く歯切れの良さはさすが天才肌が良く出ていた。泣いてしまった聴衆もいたという。小三治・志ん朝・五代目圓楽・談志らの落語を聞いてしまうと筋を追うだけの若手の落語家の凡庸さが残念ながら際立ってしまう。

  

 小三治の熊五郎は本当の酔っぱらいに聞こえたほどの名演技であるとともに、人情噺の中にもしっかり笑いを加味しているところはさすがの人間国宝だ。人間のちょっとした所作や機微を見逃さないディテールが強みだ。前編の熊五郎の泥酔と吉原遊びから後編の妻子との再会での熊さんのどぎまぎの変化が人情噺の深みを醸し出している。小三治の代表作と言ってもよい長編噺だ。五代目圓楽だったらいかように演じたか聞きたかったが、酒をやらない圓楽には難しかったに違いない。

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