山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

無頼派の心の中に住む少年

2023-12-01 20:54:16 | 読書

 先月11月24日に直木賞作家・伊集院静が癌で亡くなった。73歳の若さだった。彼の作品は『いねむり先生』を読んでから、氏の人間への洞察と共感の深さを知った。いっぱい彼の作品を読みたいところだったが、おいしいものは最後にとっておくオラの習性からか、なるべく触れないようにしていた。そして、氏の訃報を知りあわてて手元に置いてあった『機関車先生』(講談社文庫、1997.6)を読みだす。児童文学だがおとなも充分読みごたえある物語だ。

   

 舞台は瀬戸内海にある小さな島の小学校。発話障害のある吉岡誠吾先生が臨時教員としてやってきた。心配していた子どもも島民も吉岡先生の誠実さと頑健な体を通して信頼を得ていく。子どもたちは先生の風貌とスポーツ万能の吉岡先生を『キカン(聴かん)=機関車先生』と呼んで虜になっていく。物語はシンプルで粗い内容でもあったが、「二十四の瞳」がしばしば想起された。

   

 校長はこの新任の先生を授業ばかりでなく生活全般にわたってフォローし、肝心なところで寄り添っていく姿が美しい。校長は「私はね、たくさんの教え子たちを戦争に生かせたんですよ。戦争が愚かなことはこころの半分はわかっていました。つくづく人間は愚かなものだと思います。愚かなことをする人間をつくらないことが肝心です」と、自然豊かな島の風景を描写しながら語る。

         

 そして、津波や伐採から島民や生き物をを救った「イブンと樫の木」の伝説、ドイツ人のハーフということでいじめられていたヤコブが命を落としながらも海軍の弾薬庫建設を阻止した終戦まじかの歴史などを織り込んでいく。校長はまた、「本当に強い人間は決して自分で手を上げないものじゃ」と不当な暴力を我慢していた吉岡先生の真の強さを生徒たちに伝えていく。校長は機関車先生の黒子でもあった。

  

 ついに、短い任期を終えて機関車先生との別離の時が来てしまう。先生を島に定住させる案も真剣に検討されたがやはり先生は操車場から消えていってしまった。機関車先生が機関車に乗って去っていくオチが面白いが、この場面が涙腺を圧迫させる。

「人々の哀しみはたやすくは消えないし、ぎこちなくしか笑えないかもしれないが、自分の目に入る風景は、あなたが生きている証しであり、あなたの中に生き続けるものが、きっといつかやわらかな汐の音とともに、かがやく星々とともに安堵を与えてくれるはずだ。哀しみにはいつか終わりがやってくる。」

             

 『伊集院の流儀』のなかで、2011年の東北の大震災に遭遇した著者はそのように哀しみを捉えていた。最後の無頼派と言われたダンディな伊集院静の奥行は深い。1985年、前年に結婚したばかりの夏目雅子を病気で失った。その後、ギャンブルと酒に溺れた混沌を経て1992年、篠ひろ子と結婚する。『機関車先生』は1994年に刊行、この作品はその後アニメや映画にもなる。

     

つまり、『機関車先生』はそんな波乱の過程から産み出された息吹がある。傷を持つ相手に寄り添おうとする著者の姿勢はすでに一貫しているのがそこから伝わってくる。だから、女性からも男性からも親しまれる理由がある。芸能界の交友関係の広さも有名であるのもうなずける。

       

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乱雑な都市の一角の「楽土」は…

2023-11-10 19:13:17 | 読書

 本棚の隅に埋もれていた、野田正彰『庭園との対話』(NHK人間大学、1996.1~3月期)を読む。西洋の庭園は自然界にはない直線で仕切った形式に特徴がある。日本庭園は自然に溶けこむ緩やかで不規則なラインが特徴だ。その違いはどこから生じるのかを知りたいと思った。

       

 庭園の本質を精神病理学の医師であり、比較文明学の作家でもある野田氏がズバリと述べる。「富める者は自分たちの経済的基盤であり、支配し収奪する<此の世>に背を向け、枠づけられた空間の中に人工的な楽土を構成しようとした」と。

 続けて作家らしい視点でたたみかける。自然と共生することを止めた人間は文明を作った。文明は人工によって自然を支配し、破壊を繰り返しながら虚栄の絶頂にある大都市と快楽を夢想とする楽土・庭園とを形成した、のだと。

   

 華麗で壮大な中国の古庭園は日本にも影響を与えたが、それらはことごとく破壊され残存している公園はきわめて少ないという。むしろ、日本の発掘遺跡にその痕跡が残っており、また、中国の公園様式も左右対称だったり人工的でもある。確かに、日本には神仙思想や仏教思想の影響から公園の中心に理想郷である浄土・蓬莱島を配置しているのをよく見かける。

   

 著者は同時に、イスラム・フランス・イギリスなどの西洋式庭園をも紹介しているが、大まかに言えばその多くは幾何学的で人工的なものであり、宮殿や豪邸から直線的に奥を見通せる庭園ともなっている。まさに、日本と西洋の自然観の違いが庭園に照射されている。

 つまり、日本庭園の独自性は、自然の素材をそのまま使いながら左右非対象・不規則の曲線を主流にして、それを象徴的に抽象化して空間芸術にしていることだ。

   

 そこには、大陸の影響前から禊・みそぎの水景をはじめ、その後の枯山水庭園などの深化など、自然との調和や自然に対する敬意が込められている。それらの視点が自然を支配するという西洋の自然観との違いとしてあらわされる。とっても同感する。

 庭園の専門家の多くは、それぞれの歴史的な庭園の微細な特徴を挙げているけれども、野田氏が提起しているような本源的な庭園の見かたに欠けている。そこが、研究者自身の哲学・文化の造詣の深さによるものなのかもしれない、と思えた。

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同じ貧しい心の日本人が花束と拍手をおくる !!

2023-11-03 18:41:00 | 読書

   戦後すぐに「劇団民芸」が創立されその翌年(1951年)に公演されたのが、三好十郎原作の「炎の人、ゴッホ小伝」だった。ゴッホ役は滝沢修、演出も兼ねる。「炎の人」は51年中の初演・再演併せて演劇史上空前の観客動員数10万人を記録。いまも、各地で公演されているときもあったようだが、そのときはオラがあまり関心がなかったので観劇できず残念。その原作の戯曲・三好十郎『炎の人・ゴッホ小伝』(河出書房、1951.9)を読む。

   

 読んでいくにつれて、表紙も裏表紙も外れてしまった。それもそのはず、70年以上前の紙質が悪いころの書籍・初版なんだからね。ゴッホは画家になる前、伝道師をめざして劣悪な環境にあった炭鉱街で抗夫の待遇改善に奔走する。自分の服や食べ物をも労働者に提供するが教会とうまくいかず、絵画だけが心の支えとなっていく。

   

 ゴッホの絵のモデルにもなった画商のタンギー爺さんは、貧乏で無名の画家の絵を店に飾ってくれた。そこに、ゴーギャン、ロートレック、ベルナール、モリソウなど有名になっていく画家も出入りする。それぞれの画家の性格や環境の違いをうまく表現しているのも見どころだ。

  

 また、弟のテオの全面的な支援もゴッホを支えているのがよく描かれている。画家を志したこともある三好十郎ならではの視点も随所に出てくる。精神的に追い詰められていくゴッホの生涯が凝縮的に戯曲に出ているが、なんといってもエピローグの追悼詩が心を打つ。朗読は宇野重吉。きっと、生で聞いていたら涙なしにはいられないことが想像できる。その一部を抜粋すると。

  

 「貧しい貧しい心のヴィンセントよ  /  今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で /  同じように貧しい心を持った日本人が / あなたに、ささやかな花束をささげる 」 

 「あなたの絵は今 われわれの中にある。/ 貧乏と病気と、世の冷遇と孤独とから / あなたが命をかけて、もぎとって / われわれの所に持って来てくれた / あなたの絵は、われわれの中にある」

   

 「あなたは英雄では無かった。 / あなたは、ただの人間であった / 人間の中でも一番人間くさい弱さと欠点を持ち / それらを全部ひきずりながら / けだかく戦い / 戦い抜いた。 / だから、あなたこそ /    ホントの英雄だ !   」

   

 ゴッホの貧困・病気・飢え・孤立などの赤裸々な苦境は、原作者の三好十郎そのものの姿であったと言ってもよい。ゴッホは絵画によって救われ、三好は小説や戯曲・演出によって救われた。ゴッホは死後世界的に有名になったが、三好は過去の栄光にもかかわらず忘れ去られようとしている。世界も人間も解体的崩落の中にある今こそ、三好十郎はもっともっと再評価されるべき作家である。

 

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われらは畢竟土の化物である

2023-10-21 22:08:20 | 読書

  表紙を観たらいかにも読みたくないようなデザインの漫画本だった。その表紙をめくると、徳富蘆花の「土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、そして死んで土になる われらは畢竟、土の化物である」との言葉が飛び込んできた。向中野義雄(ムカイナカノ)『土を喰らう/生命みえますか』(スタジオ座円洞、1998.4、復刻版)を一気に読む。

  

 生命ある食べ物から人間は生かされ、食と自然環境が循環してきた里山は、経済成長とともに生物多様性が失われ、人間の健康や暮らしをも侵蝕させられていった。そんななか、若き医師の主人公・中島は野菜(土)づくりと健康とのつながりについての臨床研究を命じられる。当時としては異端の研究だった。

                 

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 「 土を喰らう」は講談社の青年漫画雑誌「月刊アフタヌーン」に1992年12月号(~1993/10月号)に掲載されたものだ。オラが元気なとき、「モーニング」という漫画雑誌はときどき目にしたが、「アフタヌーン」はその二軍扱いで無名の漫画家養成の存在だった。その意味では、「土を喰らう」は漫画では埒外だった食と医療をテーマにした挑戦でもあった。作者の得意な分野であるビデオアニメの製作も検討されたが実現したかどうかはわからない。

          

 「土を喰らう」の時代背景を知らないとその企画意図がわからないので、経済成長を遂げたその後の日本の背景を、1970年代の公害事件等を年表からあげてみた。すると、ドクドクと負の遺産が出てきた。

 東京の光化学スモッグ発生、水俣病のチッソ総会を経営者側妨害、イタイイタイ病訴訟住民勝訴、足尾鉱毒事件で原因が古河鉱業所にあると判明、四日市ぜん息訴訟企業に賠償命令、森永ミルク中毒事件救済策成立、サリドマイド訴訟和解、六価クロム鉱滓大量放棄、チッソ元工場長有罪、スモン判決賠償金支払い命令等々と、これが経済成長第一主義の結果だった。

         

 そんな経済的繁栄に浮かれた暮らしから、半世紀を過ぎたというのにいまだダメージを払拭しきれていないものも少なくない。そんな70年代の惨状を受けて、子どもを守り育てる文化運動が隆盛を迎えたこともある。1975年には「一本の無農薬大根づくり」を提唱した地域運動が、1985年の「大地を守る会」として創立し日本初の有機農産物の宅配システムのスタートとなる。

           

 そうして、現在では「自然環境と調和した生命を大切にする社会」をより実現するため、「大地の会」は「オイシックス・ラ大地」として合併・拡大するとともに、有機農場を確保したローソンとの連携をも進めている。

 「土を喰らう」の内容としては、現在ではフツーに実現されている面もあるが、土壌の劣化による生産物の欠陥はまだ少なくはないし、そこで提起している問題はまだ発展途上でもある。

        

 テレビでも料理番組やグルメ番組がこれでもかと垂れ流されているが、本書が提起している視点は見事欠落している。スポンサーへの配慮か、制作者の浅薄さか、食と自然環境をめぐる本質的関係は全くというほどに触れられない。

 その意味で、本書が参考・紹介にしている土壌の研究者の中嶋農法を実現している中嶋常允(トドム)さんや食品汚染や食の欧米化を危惧する生化学者の沼田勇さんの果たした役割も大きい。オラも初めて知ったほどだ。

              

 本書の裏表紙は、「表」と違って「revived」(甦る)とか、「soil」(土)の「rejuvenated」(回復)とかの単語が出ている。裏表紙を本表紙にした方がいいのではないかとさえ思いながら読み終える。「土を喰らう」は、講談社で一度単行本になったが、その復刻本が本書である。作者は玄米菜食の食生活をしている。ちなみに、オラも地元の玄米や全粒粉のパンを愛用している。

 

 

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「斬られの仙太」は三好十郎だった!?

2023-09-22 19:46:55 | 読書

   気になっていた三好十郎の脚本「天狗外伝<斬られの仙太>」(而立書房、1988.2)を読んだ。ト書きが小さくて長いうえに、オラには難解な言葉が出てきて閉口もしたが、なんとか読み終わる。これが上演されたのが1934年5月初演だというのに驚愕する。当時は満州国建国、国際連盟脱退、血盟団事件、5・15事件で犬養総理射殺、獄中の小林多喜二虐殺等、軍国化と思想統制が本格化した時代でもある。

             

 当然、当局に批判的な演劇や映画は公開できない呪縛にあり、その劇団員も獄中に拘置されていく。そんな背景を背負いながら、32歳だった三好十郎は本作品を上梓する。

 年貢減免を申し立てした兄への過酷な仕打ちに対して、減刑を懇願するが受け入れられず、結果的に百姓から博徒になる。そのうちにその窮状を察した水戸天狗党の指導者のはからいで一員となるが、農民の立場を理解できない武士・指導者の観念的な限界と内ゲバで自分の命さえ危うくなる。結果的には頼みの朝廷側に立ってしまった幕府により天狗党は掃討される。

                

 エピローグで、ズタズタに斬られたはずの仙太が明治に生き延びていた。そこへ、自由民権運動の壮士がやってきて、それを追う刑事・巡査もやってくる。

 「何のことでも、上に立ってワアワア言ってやる人間は当てにゃならねえものよ。…ドタン場になれば、食うや食わずでやっている下々の人間のことぁ忘れてしまうがオチだ。…今でもそうだ。…百姓町人、下々の貧乏人が自分で考えてしだすことでなけりゃ、貧乏人の役には立つもんでねえて。」とつぶやいたのは、農作業に精を出す百姓の仙太だった。

    

 まるで現代を描いているような作品だ。そんな彼を、獄中から出てきた演出家・村山知義は十郎を「政治指導者を悪く描きすぎている」というような批判を展開する。それに対して、それは「階級を見て人間を忘れた従来の公式的な見解だ」という反批判も出てくる。

 たとえば劇作家・小説家の秋田雨雀や評論家の平野謙らは、十郎が描いた赤裸々な人間の造形は画期的だ。観念的・機械的な人間像ではなく人間の生活に根差した具象的な描写を実現させた功績は大きい、と評価する。

              

 戦後には、民芸の宇野重吉が1968年8月に演出、1969年11月に山本薩夫監督の映画「天狗党」が公開、2021年4月には新国立劇場において上村聡史演出の4時間半近くの力作が上演される。それぞれの作品は、時代を予言したり反映したりの大作でもあった。

      

 戦時下にありながら、大衆演劇的な手法で、殺陣あり、濡れ場あり、歌あり、踊りありの構成の間口の広さは勿論のこと、人間の在り方、時代に対峙する姿勢、土に生きる意味、市井に生きる視点などを考えさせる本書だった。だから、これを舞台で上演するのには覚悟がいる。

 仙太は、「どっちにせよ、ふところ手をして食って行ける人間のすることはそんなもんよ。…人間、人に依れば、ホントのことをウヌが目で見ようとすれば、殺されることだってあるものよ」と腹をくくって生きてきた。

     

 ズタズタに斬られた仙太は三好十郎そのものの姿である。貧困・飢餓・自殺未遂・孤独・妻の病気等を経験したうえに、それを克服しようとして「運動」に参加したものの、その内紛の凄まじさにもいつも葛藤している十郎の姿がある。まさに火だるまとなった十郎の怨念が本書から放射してくる。 

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白人からの解放は本物だったのか!!

2023-09-01 18:59:27 | 読書

 先週読んだ中島誠『アジア主義の光芒』に続き、直木賞作家の深田祐介『大東亜会議の真実』(PHP新書、2004.3)を一気に読む。深田氏は、林真理子・阿川佐和子さんらとともに「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーでもある。つまり、「右」からの視点での提起が注目するところでもある。

   

 昭和18年(1943年)、戦時下の東京に、タイ・ビルマ・インド・フィリピン・中国・満州国の六首脳が集まり、「大東亜会議」が開催された。前年に近衛内閣が軍部に破れ東条内閣が成立して間もないころだ。時局は日本軍による東南アジアの占領があったものの、つまりイギリスやオランダの植民地支配の打破はとりあえず成功したものの、太平洋の島々は米軍が侵攻、米軍機がすでに日本本土の空襲を始めたころでもある。

   

 したがって、各国の首脳は命がけで集まった。タイはワイワイタヤコーン殿下、ビルマはバーモウ首相、インドは仮政府のチャンドラボース首班、フィリピンはラウレル大統領、中国は汪兆銘院長、満州国は張景恵総理。各国代表は危険なホテルではなく民間の豪邸(疎開で空室あり)に分宿する。神経質な癖のある東条は、事前のチェックを入念に行う。このへんの事情や人間像は深田氏の膨大な資料からの裏付けを感じさせられる。

        

 各国代表は日本の侵略的意図を踏まえながらも、独立国への承認・支援を優先する。深田氏はこの戦争状態は、前半は権益を目指す侵略戦争から後半は白人支配からの解放戦争への性格があったという。生真面目な東条の性格も侵略者という一面ではとらえていない。

 しかし、開催された「大東亜会議」は、「アジアの傀儡を集めた茶番劇」ではなく、東亜解放のための会議だったことを強調している。その根拠たる「大東亜共栄圏は日本の財産だ」とまで言ってはばからないのは疑問。

           

 欧米からの東亜解放という戦争の大義の一面はあったにせよ、やはり深田氏の歯切れは悪い。各国現場での軍人の傲慢さ・殺戮、資源奪取は各国代表も頭の痛い現実でもあった。アジア主義の真価は一部の幹部・知識人で終わっていた。そこで注目するのは、降伏文書を調印した首席全権大使の重光葵(マモル)だった。彼は戦争回避に努力したばかりでなくこの「大東亜会議」の提案者でもあった。それは終戦を見据えた日本の生きる道筋でもあった、と深田氏は重光の眼力を高く評価する。

          

 戦後の親日派を産んだのも、命がけで出会った大東亜会議による効果があり、敗戦したものの戦後処理を友好的に展開できたのもこの会議の貢献したものが大きい、という。また、「日露戦争の勝利が多くのアジアの独立運動の発奮を促し、二十世紀をしてアジア諸国の自立の世紀たらしめた」とも指摘する。

         

 とはいえ、深田氏は「日本側はおおむね主観的善意の押しつけに終始した。いわば全アジア満州国化の意図だ」とも言う。著者の一面的な評価を排する配慮は感じるが、やはりアジア諸国を傀儡国家にしてしまう傲慢さやアジアを市場としか見ない略取の本質は打ち砕かねばならない。

 日本のアジアに対する連帯、真のアジア主義はまったく熟成していない。その意味での深沢氏の一点に絞った労作は日本の平和ボケを唾棄する一助にはなるには違いないが、日本はアメリカの番犬だと揶揄されても説明に窮する現実がある。日本のアジアに対する歴史認識はむしろ風化しているのではないか、と思えないわけにはいかない。

     

 

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アジアをさまよう日本という異界

2023-08-25 18:26:12 | 読書

 アジアに対する日本の在り方はそのまま日本の近現代史につながる。そんな予感から、中島誠『アジア主義の光芒』(現代書館、2001.5)を読む。日本は中国をはじめとするアジアから世界や人生を学んできた。その学ぶ謙虚さは日本の独自の文化をも刻んできた。が、今では死語とも言える「アジア主義」にかかわる登場人物には魅力的な人々もいたことは確かだ。

 しかし、「アジア主義の名の下に、否、大亜細亜主義の美名にかくれて、近代化の歴史を歩む日本人…先輩・先祖が何のために何をしたのか、またはアジア主義に殉じていかに命を落としたか」を解明したいというのが著者の目的である。

             

 とりわけ明治以降は、西洋大国の植民地主義の実態を踏まえ、地政学的な視点から日本をとらえる考え方が浸透していく。ロシアの南下政策に対する中国・朝鮮の軍事的位置から、日清・日露戦争・満州国へと日本の軍部が主導していく。そこには、北一輝・大川周明などの軍人・思想家をはじめ右翼と言われる内田良平・頭山満らが領土の膨張主義だけでなくアジアの革命家や国家の独立をも共感・支援していく。

    

 それは、岡倉天心の「ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱に他ならない」という欧米列強に対するアンチテーゼでもあった。したがって著者は、「おそらく日本近代が生んだアジア主義ほど特異なものは他に例をみない」ものであり、同時にそれは、「日本が八つ当たりのように諸外国に挑んだ戦争に共通する大義名分はアジア主義から生まれた」と断言する。

    

 そして著者は、朝鮮の儒学者を紹介して、「国家という<魄・ハク>が亡びても民族の<魂・コン>が消滅しなければ、その民族は必ず独立を回復する」との引用をしながら、「魂の抜けた<魄・経済力と軍事力>だけで戦後の日本は生きようとしてきたのではないか」と。

    

 さらに続けて、「<真の>アジア主義者が再生する可能性の少ない時代に、われわれは生きている。しかし、21世紀にこそ、真のアジア主義が再生しなければ、日本民族は、ますます不幸になるのである」とまとめている。

 昨今、欧米型民主主義の在り方が問われているが、それの対抗軸としての真のアジア主義の価値はそれなりにあったのではないか、と思える。アジアを市場としてしか見てしまいかねない大勢のなか、中国との連帯を深く進めてきた竹内好の出番・再評価を検討しなければならない。

             

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都市を終わらせる / 都市の裁きと訣別せよ

2023-07-28 22:10:29 | 読書

 「都市を終わらせる」という表題が衝撃的だった。それで、その本を探したが高価だったので中古でやっと買い求めた。それが、村澤真保呂『都市を終わらせる』(ナカニシヤ出版、2021.7.)だった。都市化つまり都市の拡大は、農村を隷属しながら外部の資源や人材を吸収し、自然を破壊していく過程に他ならないとして脱都会を説いた警告の書だ。

     

 そう言えば、オラが髪の毛が邪魔だった1960年代後半、映画監督の羽仁進の父である羽仁五郎の『都市の論理』という本がベストセラーだった。西洋の古代・中世の都市国家の自治・自由を謳歌した独断的だが羽仁五郎のスケールの大きい人格が伝わる本だった。また、経済学者の宮本憲一の資本集中が合理的な都市の利益集積となり、結果的に公害をまき散らすという都市論・地域開発論にいたく触発されたものだった。

   

 そこで村澤氏は、「都市生活によって失われた自己の生の力能を取り戻す…都市に代わる新たな生活空間をつくりだす」ことを提起している。総論の方向としてはわかるがもう少しそれを論証するような事例が欲しかった。著者は、近代の都市化には数百年かかっているのだから、脱都市化にも同じくらいの年数がかかるとしている。そう言われてしまえばそうだろうと言うしかないが。

         

 従来の都市化は、農村から都市へと言われてきたが、東京の一極集中については、周辺の都市が東京へ吸収されるような「都市から都市へ」という新たな「超都市化」現象が起きていると分析する。これをより高度化するにはオリンピックを招聘するというウルトラCに頼ざるを得ないわけだ。しかしその実態は利権の複合的な競争だったのはご承知のとおり。祭典の裏には利権の旨味が溢れているのをつい見失う。

         

 したがって、自らの生の力能を都市から奪い返すためには、私たちの共同性を回復し、何らかのし方で「大地」と結びなおすことが肝要と著者は説く。そのためにも、「共感と寛容」を失った大阪維新の会の橋本徹ら新自由主義・ポピュリズムを批判している。また、知のアカデミーを捨て、教養科目を削減し経済第一主義とする大学が就職予備隊に変容してしまっている現実を告発している。

          

 そうして、都市に支配された現実は、少子化・過疎化・自然破壊・人間の孤立化など枚挙にいとまはないくらいだ。オラの住んでいる中山間地でも、昔は山の樹を数本伐採すればそれだけで一年間暮らせたという話をよく聞く。そこには山をなりわいとした集落があり暮らしが形成され、里山と人間、人間同士のネットワークが成立していた。今は集落ごと消滅してしまう事態も招いている。これが「豊かさ」の現実でもある。

        

 里山再生の活動にも邁進している著者としては、そこを本書でもう少し展開してほしかった。著者は、都市と農村、保守と革新という従来の対立軸ではなく、「共同体を守る」ことを共通項とした市民運動に活路を見出している。そして、脱都市化が危機克服のカギとすれば、新自由主義的な消費文化への依存・加速からの脱却から始めなければならない、とする。

     

 換言すれば、「地球規模の巨大市場経済に依拠する先進諸国の都市生活は、自然資源を過剰に消費するため、地球全体を持続不可能な状況に陥らせる原因となっている」わけで、それには、自給自足を主流とする中世のように、「自然環境が維持される範囲内で政治・経済・社会活動を営むこと」にもどるべきとする。

            

 本書のタイトルは最初「都市の裁きと訣別するために」だったそうだ。「都市の裁き」の意味がわからなかったが、本書を読み終わって初めてその意味に納得をした。しかしもともとは、フランスの俳優・思想家のアントナン・アルトーの作品『神の裁きと訣別するために』のパクリだということだ。村澤氏は、「<都市の裁き>によって裏側に追いやられた自然ー雨や風、細菌や昆虫、動物や私たちの身体を含むーを何らかの形でふたたび表側にひっくり返す…時代に私たちは生きている、という観点」をこめている。オラのブログで昆虫や植物や過疎を取り上げている意味にやっとスポットが当てられた気がして励まされた思いでもある。

 かくも犠牲者が出ているのに、神はなぜ「沈黙」しているのか、幻想と便利を振りまく都市はなぜ人間を解体させてしまうのか、巨大な「神の裁き」「都市の裁き」からオラたちは自立できるのだろうか。

 

 

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「玄冬小説」の背景は賢治の世界

2023-07-03 19:39:30 | 読書

 久しぶりに小説を読む。第158回芥川賞受賞作の若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017.11)だった。55歳の主婦・若竹さんが小説講座に通い、63歳で「第54回文芸賞」を史上最年長で受賞した作品でもあった。さらに、2020年には、沖田修一監督、田中裕子主演の映画公開ともなった。

             

 老いを迎えた主人公桃子さんの楚々とした住まいで、「捨てた故郷、疎遠な息子と娘、そして亡き夫への愛、震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独」と対峙する。脳内に様々な姿の人と自分が交差・攪乱されるが、「おらおらでひとりいぐも」の東北弁となる。

   

 この表題にはどこかで見たことがある。それは高校の教科書に載っていた、のではないかと思い出す。宮沢賢治の「永訣(エイケツ)の朝」という詩だった。妹が死にゆく直前、「あめゆじゆとてちてけんじゃ」(雨雪・ミゾレを取ってきてください)と賢治に頼んだ言葉の一節を脳委縮気味のオイラはなんと未だに覚えていた。

 さらに、妹の言葉として「Ora Orade Shitori egumo」(私は私一人で行きます)とこの言葉だけローマ字を使用していた。賢治は妹が亡くなった翌日にこの詩を書いている。賢治の慟哭が波のように襲ってくる詩だ。

          

 著者の若竹さんは、この同じ言葉を「老い」を生きるための新たな決意を込めた内容にしている。「年をとったらこうなるべき、という暗黙の了解が人を老いぼれさせるのであって、そんな外からの締め付けを気にしてどうする、そんなのを意に介さなければ、案外、おら行くとごろまで行けるがもしれね、と考えたのだ」。

          

 桃子さんの「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」の心境を、「嘆き、怒りの次に現れたのは何とも言えない愉悦」であり、「死は恐れではなくて解放なんだ」と覚醒し、「おらはおらの人生を引き受げる」という心境に至る。状況・立場の違いはあるが、著者の前向きな姿勢が「ひとりいぐも」に込められている。

           

 本書の帯には、「青春小説の対極、玄冬小説の誕生!」と書かれたあった。「玄冬小説」という言葉を初めて知る。それは、「歳をとるのも悪くない、と思える小説のこと」だそうだ。なるほど、現実はそうとう厳しい結末はあるにはあるが、「まだ戦える。いつでもこれから」の著者のメッセージに学びたいものだ。東北弁満載の小説で解読に少々手こずったが、クリエイティブに切り取った表現力にはなんどもうなされた。

 

 

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どうする「近衛」!! 加担か回避か

2023-06-23 23:54:13 | 読書

  ロシアのウクライナ侵略により、ロシアの多くの知識人は海外へ逃避してきている現在、日本の場合はどうだったかを知りたくなった。そこで、1930年代の満州事変とともに日本の軍事体制が強固になっていったとき、当時の近衛内閣のブレーン組織が形成された。その経過を当事者が記したのが、酒井三郎『昭和研究会ーある知識人集団の軌跡』(講談社文庫、1985.6)だった。

    

 ロシアの場合は「事なかれ主義」が歴史的に処世術だったようで、今回もそういう風潮が読み取れる。オイラがペレストロイカのソビエトに行った時もそういう空気がどこでも見られたのを記憶している。しかし、日本の場合は、国民もマスコミも財界もこぞって戦時体制を賞賛し積極的に加担していった事実を忘れてはならない。日本の方が軍部だけでなく民間も積極的だったということだ。

   

 そんな風潮を抱えた臨戦体制の時代に近衛内閣が成立し、それとともに「昭和研究会」が組織された。そのメンバーを見ると、右から左まで各界を代表する一流の知識人が結集された。しかし、統帥権を理由に軍部の情報が内閣に正確に伝わっていないことが多く、陸軍大臣や海軍大臣の意向をくまないと組閣もできず、歴代総理は総辞職を繰り返すしかないしくみでもあった。

                

 そんななか、天皇の信任の厚い近衛は、ブレーンを中心に精力的に「研究会」を開いていく。テーマごとに毎週のように開催され、世界と日本との政治・経済などの現状が分析されていく。そこで明らかになったのは、西洋のリベラリズム・ファシズム・コミュニズムの跋扈だった。それに対抗する国策が急務だとした。その一つとして反ファシズムを明確に表明していた。その当時としては勇気ある画期的提言であったが、軍部や警察の監視の対象団体にもなったのは言うまでもない。。

           

 そうした状況下で、その対抗理念を構築したのが哲学者の三木清らだった。巻末に、「新日本の思想原理」「協同主義の哲学的基礎」「協同主義の経済倫理」「日本経済再編成試案」「綱領」等が掲載されていたが、一般的には難解だ。要するに、世界の元凶はファシズム・コミュニズム・西洋中心主義のリベラリズムであり、それを克服する鍵は東洋思想にあり、東亜を中心とする「協同主義」にあるとしたのだった。

         

 包容性・調和といった東洋的思想と個を重んじる西洋思想とを活かした総合的・統一的な「協同主義」には、読んでいてロマンさえ感じ入る。また、それを経済・文化的に保障していくEUのような「東亜共同体」が不可欠とした。

   近現代史家の林千勝は、日本を潰したのは昭和研究会だとしているがそれは極めて一面的だ。結果的に近衛新体制は軍事体制に巻き込まれてしまったのは間違いはない。しかし、平和志向の努力虚しく強力な軍部の力に対抗できなかったというべきだ。昭和研究会の評価については意外にも触らないようにしているように見える。

   

 近衛も昭和天皇も結果的には軍部を抑えることができず、アメリカとの平和交渉も頓挫し、太平洋戦争へと突入する。近衛は自決、三木清は投獄され獄中で病死。研究会に結集していた多くの知識人は戦後、保守派の中心的論客として登場していく。著者の酒井は撃墜王の戦闘パイロットとしても勇名をはせた。

 三木の協同主義は「大東亜共栄圏」として事実上植民地獲得の手段として変質していく。また、国民自身の革新的運動を図った「大政翼賛会」も結局同じく臨戦態勢の手段として変質していく。研究会が構想した理想はことごとく軍事体制に収斂していく。ここをどのように総括するのか、それは現代的課題ではないかと思わざるを得ない。

 

    

   

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