2021年に行われた東京オリンピック開会式で市川海老蔵の『暫(シバラク)』のパフォーマンスが表現された。歌舞伎十八番の代表的な作品だ。清原武衡(タケヒラ)が、自分の意にそわない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに鎌倉権五郎が花道から登場し、敵を一網打尽に倒し人々の命を助けるという勧善懲悪の物語。その人気にあやかって権五郎の女性版の「女暫」も上演されていく。
それを幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・歌川豊斎(ホウサイ・三代目歌川国貞)が描いた役者絵がいい。その「女暫」は、巴御前といういつものご都合主義甚だしい設定だ。巴御前は平安時代末期 、平家掃討作戦で活躍したとされる大刀と強弓の女武者。したがって、太刀がでかく表現されている。日本画のようなきりりとした表情の「女暫」は、1901年(明治34年)に襲名をした五代目「中村芝翫」だった<1911年(明治44年)には「五代目中村歌右衛門」を襲名>。
男性が演じる伝統的な鎌倉権五郎は、衣装といい化粧といい派手なのが自慢だ。物語の内容がシンプルだがこういうヒーローの派手さと立ち回りの切れが好きなのが大衆だ。衣装や小道具を合わせるとかなりの重さになる。それでミエを切るから拍手喝采で声がかかる。
冒頭の画像には「市村座十一月狂言」というタイトルがあった。江戸には多数の芝居小屋があったが、天保の改革によりにより浅草に移転され、最終的に中村座・森田座・市村座の江戸三座が生き残る。興行主 と演者とは1年契約で、11月に切替えられたため、「十一月狂言」は、俳優の顔見世興行となる。したがって、軽い演目の『暫(シバラク) 』が演じられるのが通例だった。
「暫」の舞台映像でよく目にするのは、市川家の家紋だ。初代團十郎が初舞台をするときに常連のファンから贈られたのが三つの枡だったことで、それを家紋にしたという。そのことで、この演目は市川家のお家芸であることをしっかりアッピールしているわけだ。そこで、中村芝翫の「巴御前」はというと、巻物を合わせた「祇園守紋」という家紋だ。
この家紋は、京都八坂神社が配布するお守りをデザインしたもの。その守護神は疫病・伝染病や災難を守ってくれる牛頭(ゴズ)天王。そんな由来から家紋にしたようだ。中央で交差する巻物を十字架に見立てて、隠れキリシタンも使用したという。
芝翫の「巴御前」の髪には、呪力を宿した力の象徴でもある白い「力紙」(チカラガミ)と「烏帽子」が見られる。そこに、梅だろうか花かんざしでにぎやかにしている。歌川豊斎の気品ある役者絵は、絵から産み出る様々な謎が迫ってくる。まだまだわからない謎が多くて手に余ってしまう。浮世絵はほんとに謎の博覧会でいつも消化不良を起こしてしまうが、その魅力にはかなわない。また会いにいくよー。