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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

若槻礼次郎の石碑に「やら米か」に

2023-11-06 21:10:58 | 路上観察

  数か月に一回ほど、大都会を歩くことがある。といっても、ほかに用事があってそのスキマ時間を利用するに過ぎない。そんな中、浜松市の駅近くを歩いてみた。お寺の隣に空き地のような小さな公園(高町公園)があった。そこに二度も総理を経験した若槻礼次郎(1866-1949)にかかわる石碑があった。

 礼次郎は、足軽出身の家で生まれたが赤貧の暮らしに翻弄されたものの、今の東大法学部に見事合格、首席で卒業する。その後、政党の総裁をやったり、総理を

担った。時代は満州事変をはじめ軍部がすべてに跋扈していたため、和平・穏健派の礼次郎は戦争の不拡大方針を堅持できなかった。(画像は松江歴史館webから)

        

 御影石の石碑は、「偉大也協力一致之功」(昭和6年、1931年)という礼次郎の揮毫が彫られていた。道路拡幅の都市計画が地元の協力で実現したシンプルな感動がそこにはある。出典は「三国志演義」らしい。その隣に、40cmほどの目立たない小さな石柱(画像左側)があり、そこには「克明館」という藩校名が刻印されていた。もともとは、水野忠邦の水野藩の藩校「経誼館」があり、その跡に井上藩の「克明館」が継承される。その後、ここは浜松県庁(明治4~明治9)が置かれた。

       

 そこからすぐのところに、昔は商店街があったろうことが推測される「看板建築」が継承されていたのを偶然発見。いわゆるお米屋さん米搗き処「光吉屋米店」だ。そこで販売している米がなかなか意欲的な米を提供している。例えば「ピロール米」は、土中の「ラン藻」の力を使って残留農薬やダイオキシンなどを分解させ、ミネラル豊富な栄養を増進させる農法でつくられる。

       

        

 また、行政も応援している「浜松地域特別栽培研究会」が栽培している米も扱っている。それが「やら米か」とか「まいひめ」などのお米だ。まだ少数の農家だが環境や地球温暖化を考慮した農法を実践しているところが素晴らしい。もっと、マスメディアもお笑い芸人に頼るのではなく少数ながら「ポツンと」頑張っている人をどんどん発掘して取り上げてほしいものだ。でないと、日本の劣化は食い止められない。人間の劣化は大国も中東も世界もはなはだしい。その結果は現実に行われているジェノサイドとなってしまう。

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同じ貧しい心の日本人が花束と拍手をおくる !!

2023-11-03 18:41:00 | 読書

   戦後すぐに「劇団民芸」が創立されその翌年(1951年)に公演されたのが、三好十郎原作の「炎の人、ゴッホ小伝」だった。ゴッホ役は滝沢修、演出も兼ねる。「炎の人」は51年中の初演・再演併せて演劇史上空前の観客動員数10万人を記録。いまも、各地で公演されているときもあったようだが、そのときはオラがあまり関心がなかったので観劇できず残念。その原作の戯曲・三好十郎『炎の人・ゴッホ小伝』(河出書房、1951.9)を読む。

   

 読んでいくにつれて、表紙も裏表紙も外れてしまった。それもそのはず、70年以上前の紙質が悪いころの書籍・初版なんだからね。ゴッホは画家になる前、伝道師をめざして劣悪な環境にあった炭鉱街で抗夫の待遇改善に奔走する。自分の服や食べ物をも労働者に提供するが教会とうまくいかず、絵画だけが心の支えとなっていく。

   

 ゴッホの絵のモデルにもなった画商のタンギー爺さんは、貧乏で無名の画家の絵を店に飾ってくれた。そこに、ゴーギャン、ロートレック、ベルナール、モリソウなど有名になっていく画家も出入りする。それぞれの画家の性格や環境の違いをうまく表現しているのも見どころだ。

  

 また、弟のテオの全面的な支援もゴッホを支えているのがよく描かれている。画家を志したこともある三好十郎ならではの視点も随所に出てくる。精神的に追い詰められていくゴッホの生涯が凝縮的に戯曲に出ているが、なんといってもエピローグの追悼詩が心を打つ。朗読は宇野重吉。きっと、生で聞いていたら涙なしにはいられないことが想像できる。その一部を抜粋すると。

  

 「貧しい貧しい心のヴィンセントよ  /  今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で /  同じように貧しい心を持った日本人が / あなたに、ささやかな花束をささげる 」 

 「あなたの絵は今 われわれの中にある。/ 貧乏と病気と、世の冷遇と孤独とから / あなたが命をかけて、もぎとって / われわれの所に持って来てくれた / あなたの絵は、われわれの中にある」

   

 「あなたは英雄では無かった。 / あなたは、ただの人間であった / 人間の中でも一番人間くさい弱さと欠点を持ち / それらを全部ひきずりながら / けだかく戦い / 戦い抜いた。 / だから、あなたこそ /    ホントの英雄だ !   」

   

 ゴッホの貧困・病気・飢え・孤立などの赤裸々な苦境は、原作者の三好十郎そのものの姿であったと言ってもよい。ゴッホは絵画によって救われ、三好は小説や戯曲・演出によって救われた。ゴッホは死後世界的に有名になったが、三好は過去の栄光にもかかわらず忘れ去られようとしている。世界も人間も解体的崩落の中にある今こそ、三好十郎はもっともっと再評価されるべき作家である。

 

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食用は日本と朝鮮だけ!!

2023-11-01 22:18:56 | 農作業・野菜

  草刈りに追われてなかなかゴボウの掘り起こしが後回しにされてきた。秋晴れが続く中やっと着手となった。根が長くならない品種だけど、やはり収穫が遅かったため深く掘らなければならない。鶴嘴で根の回りを掘っていくが先端がなかなか見えない。それどころかなんども石に遭遇してしまい作業の妨害をする。

              

 その石もでかいのが次々出てきたので鉄棒・カナテコが動員される。掘った石をテコに利用したり知恵比べだ。しかし、石同士が固まっていて鶴嘴だけでは邪魔している石を排除できない。わずかな土を移植ゴテで取りながらのんびり先へ。

         

 そうしてやっと、石を獲りだしたがもう少しのところで本体が折れてしまった。ゴボウの中心の太さは予想どおり10cmくらいは充分あった。40cm以上は掘ったようだ。普通の長いゴボウだと1m以上の長さはある。こんなところにゴボウを植えようとする浅はかさがよぎる。

             

 残りのゴボウを獲るため気を取り直して掘っていく。いずれにしても、ゴボウを育てるには少なくとも土壌を50m以上は均しておき石を排除しておかなければならない。川だったところが川筋が変わり現在荒れ地になったところを耕している現状なので石がごろごろしていてもイライラしてはいけない。

             

 なんだかんだ難航しながらも汗をぐっしょりかき、60cm以上は掘っただろうか、やっと終了となる。1本掘るのに午前中いっぱいはかかってしまった。

 ゴボウは縄文時代から栽培されていたらしい。食用か薬用かはわからないが、平安時代には中国から薬用として輸入された。解毒・解熱・鎮咳によいらしい。

   

 ゴボウを食用にしているのは日本と朝鮮だけ。海外ではアザミのように咲くゴボウの花を愛でているらしい。なんでもありの中国でさえ薬用のままだ。その意味では、日本は世界に誇るゴボウの味の先進国なのである。

         

 そういえば、外食チェーンのキンピラバーガーがうまかったのを想い出す。大好きなキンピラは坂田金時の息子の「坂田金平」がルーツらしい。植物繊維が野菜の中でトップクラスになるほど豊富で強靭だ。人形浄瑠璃や歌舞伎で人気の坂田金平は父親譲りのたぐい稀なスーパーヒーローとして有名になった。そこから丈夫で強いイメージがゴボウに昇華してキンピラゴボウと呼ばれたようだ。

 和宮様の手料理にご相伴させてもらって、「たたきゴボウ」をいただく。圧力鍋で柔らかく煮てあり、酒がたっぷりで酢がポイントのレシピだ。それでついつい食べ過ぎてしまう。                

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