我が家の小屋に一人?一匹取り残された子猫、シーズン到来で、こりゃいかん猫屋敷になると避妊手術に連れて行ってみたら雄だった猫、今も、元気に小屋暮らしを続けている。最近は狩りの面白さに目覚め、畑で子ネズミを狙う毎日だ。やっぱり、猫は猫、狩猟本能は忘れていない。かと言って、猫は猫。家に居着くのもいたって自然、小屋の一隅を寝床として、狩りと見回りに疲れた体をゆったりと休めてもいる。
親に見捨てられ、孤独と不安の中で幼児期を過ごした猫だから、さぞかし警戒心が強くなっていることだろう、と、普通なら思う。ところが、こやつ、思いの外の甘えん坊なのだ。朝、玄関を出れば、小屋の入り口、ニャーと一声朝のご挨拶。さっそく寄ってきて足元にすり寄り、絡みつく。気持ちが高ぶれば、人の足で爪を立てずに爪とぎの仕草、どうやらこれも甘えの身体表現であるようで、抱きかかえてやると、心地よげに微かに喉を鳴らしたりする。
裏の畑は、やつのフィールド、獲物を虎視眈々と狙ってみたり、敏捷性をひけらかすように、飛び跳ね走り回っている。が、こちらが畑仕事でも始めようものなら、素早く寄ってきてまとわれりつく。猫の手でも貸したらどうだ、雑草引っ掻くとか、こちらの思惑なんぞなんのその、しゃがみこんで草取りする膝に乗っかって甘えてくる。
邪魔だ、どけ。まったく役に立たないやつめ。と邪険に扱っても平気の平左、おい、かまってくれよとまとわりつく。この甘ったれ根性、先天的なもんなんだろう、いかに悲惨な経験を経てきても消え失せなかったと見える。
先天的と言えば、猫は家に居つくもの、小屋じゃ我慢できず、いずれは母屋に入り込むとのあらかたの予想に反して、今も玄関前までは付いてきても、それ以上歩みを進めようとしない。これは律義さなのか、警戒心なのか?いずれにしても、なーなーの馴れ合いを排するその節度、大切にして行こうじゃないか。