2015年スーチーを中心に民主化の政権を樹立したミャンマーだが、最近、イスラムの少数民族ロヒンギャの暴動、テロを理由に、政府がロヒンギャを迫害し、50万人以上の難民が発生している。かつて訪れた時は、ボッタクリやインチキに会った一方、夜行列車で働く青年たちと交流したり、おもろいセールストークの土産売りがいたり、アジアのノンビリ感に浸れた穏やかな国だった。ということで今回の過去写真は、ロヒンギャ問題を早期解決し、この国の平穏を願いミャンマーの写真をUPします。
【2004年8月】
(ヤンゴン)
ヤンゴンの中心部にある黄金のスーレーパゴダがある通り。 高田馬場に住んでいたことがあるという感じのいい若者と知合って、大衆食堂でご馳走になった上に、ミャンマー人が日焼け止めに顔につけているタナカをプレゼントしてもらった。食事後、彼の奥さんの母親のロンジー(スカートのように腰に巻く民族衣装)店に誘われて行った。暑いし、この国滞在中はロンジーを履こうと思って購入。自分の感覚では少し高いかな程度だったが、あとでミャンマー人に聞いてわかった話では、メチャ、ボッタクリだった。
スーレーパゴダ内部。無料で入れるが、土足厳禁で靴箱を管理してる人にチップを渡して入る。
シェッタゴンパゴダ。日本人に親切にされたという現地の自称高校教師が、日本人には親切されたからということで笑顔でいろいろ案内してくれた。勝手にしてくれたからといいながらも、気分は良かったので少しばかりのチップでも渡そうと思っていたところ、そいつから金を要求され一気に気持ちは萎え、払う気は全くなくなった。しつこいし、泣きそうな顔に根負けしていくらか払ったが、いい人という風に思った分、気分はメチャ悪かった。
チャウタン。ヤンゴン郊外。この川の中州が寺になっていて、寺の周りには鯉ではなく、鯉と同じくらいの大きさのたくさんのナマズが水面で口をパクパクさせていた。
(マンダレー)
マンダレーヒルからのたくさんのパゴダとエーヤワディー川(イラワジ川)の眺望。 ヤンゴンから冷房なしの寝台列車で17~18時間かけて到着した。寝台列車に毎日乗務する4~5人の若者と知りあい、伸びたTシャツ、薄くなった靴下などあげたら喜んでくれマンダレー到着時、彼らのおごりで一緒に食事した。彼らはマンダレーに到着後、同じ寝台列車に乗務してヤンゴンに戻る。彼らと別れた後、一人でマンダレー観光。
クドードォパゴダ。マンダレーヒルからも見えた。
涅槃仏。
(アマラプラ)
マンダレー郊外の町で、かつては都が置かれたこともある。織物が盛んな街である織物工場。
僧侶が全国からこの僧院にきて修行。毎朝、10時頃に朝食の配給に並ぶ姿は圧巻。これを見た後、勝手に私についてくる5人の女性土産売り軍団を引き連れ観光。土産物売り軍団はもちろん、露店の土産売りからアチコチで「お兄さんカコイイネ!」と言われた。こんなにカッコイイと何十回も言われたのは今だかつてない。
(バガン)
マンダレーから「金閣寺」行きの夜行バス(京都市バスの払下げ)に乗り、早朝到着。冷房なし、虫が入ってくる、通路は農作物が入った麻袋や荷物のダンボールでふさがれ、ボロバス特有の油臭さ、ホコリで最悪の移動だった。写真のとおり荒野にたくさんの古いパゴダがあり、非常に癒される光景だったが、体調は最悪で下痢をして体もダルくパゴダの影で横になって寝ていた。交通手段は庶民的なものは馬車であり、ヤンゴンに戻るためにバガン空港には馬車で行った。
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