自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

迷信(物質主義)

2012年11月09日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

 自分と他人との間に、レッテルを引く理由

11月9日 (金曜日)
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物質主義は漠然とした言い方です。 

簡単に定義すれば、肉体は物質であり、自分も肉体だから、

死ぬときは自分も消滅すると考えていれば、

ある意味で物質主義と言えます。 その考え方は ”迷信” 

だといえば、”あなたの方が迷信だよ”と言われるに

決まっています。 

 

結論から言えば、生命力は永遠で、生き生きしています。 

たとえばダンスを楽しんでいるときのようです。

躍動感があり、ひと時も じっとすることなく、

ターンしたりステップ踏んだり、左右に首を振ったり、

足を上げたり、音楽のリズムに合わせて生き生きと

軽やかに 体が動きます。


”踊らなソンソン”…と見ている人を踊りに誘おうと

するのは、阿波踊りの踊り手です。 

見ているよりは踊っていた方が生き生き楽しいからです。 

それは、私たちの生命の本性だからです。

 

昨日のお話しにもあったように、宇宙のリズムに乗ると、

爽快なのです。 それが 宇宙の心 でもあるからです。


小さな世界では 量子の世界 があります。 

物理学者から話を聞きましたが、量子場は 虚空から

粒子が次々と現れては消え、消えては現れる。 


創造と維持、破壊が繰り返されて 再び再生される

というリズムのダンスを繰り返しているそうです。


この顕れて維持されている間だけ波動が生まれ、

存在していることになるのです


そして、分解(破壊)が起こると、波動が止まります。 

そして、再生、また、新しい波動がうまれて、こ

うして、スイッチをつけたり消したりしながら、

存在が続いているような錯覚が起きています。

 

存在が続いているように錯覚しているのが私たちです。

ほんとうは、存在と死の繰り返しなのです

量子レベルで 生死を繰り返しているわけです。

分子レベルでもそれが言えます。

だから 私たちの 皮膚 などは、 一月に一度

死んでいくので 新しい皮膚が創造 されます。 

新陳代謝 といえるものもそうですね。

 

NHK番組 の”ためして合点” という番組で、

面白い実験をしていました。 


タイトルは忘れましたが、私たちの 眼と脳神経 

 無いもの を造りだして 無意識 にそれを

見ている気分にさせて、実在していると錯覚させる

実験でした。


日常的な例でいえば、昔八ミリ映写機で 父が旅行中

の家族を映して 帰宅後、映写して楽しんだ思い出

があります。

あれを良く見ると、写真のような静止した画面の

コマを連続して映写しているだけです。


画面と画面の間には、つなぎの一瞬の隙間があります。 

それを、意識することなく連続したものとして見ている

方は感じます。

このように、私たちの眼は、都合よく補正しながら

見ることができるようです。

 

モネやマネなどの印象派の画家たちも、光の結合体を

物質として捉えていたようです。

’点々描き手法’ で 絵筆でたたくようにし、光を、

テンテンで表しました。


その絵を見ると、実際、光の波動のあるところ、無い

ところがあるにもかかわらず、統一された物体として

見えます。

目の錯覚で、脳に 日常みているままの映像として

伝えられるのですね。 


モネたちが見るという背景に光をとらえたように、

すべての物が波動(量子、光子が生み出す)でできて、

振動しているのです。


でも、私たちの眼には静止しているように、見える。 

それが、すでに目の錯覚の始まりです。

 

もっと、興味深い現象があります。

量子的飛躍 と呼ばれるものです。 素粒子が忍者のように、

突然 瞬間移動 するというのです。 

よく、UFO がそのように飛ぶと目撃者が言います。 

たぶんそれと 同じ移動方法 を素粒子がとるらしい。 

つまり、時間が無い、空間の移動もない、瞬時の場所変えです。 

これを、クオンタム・リ―プ というのです。


こうして、私たちの肉体生命は、常に生と死と再生を

繰り返している素粒子に象徴されています。 

それは、まるで、素粒子レベルでのダンスです。 

生き生きと生命が躍動している、それが私たちの生きている

という証でもあるのです。


これが生命の姿であるのなら、癌細胞 は、まさに、

その正反対です。

生きて死ぬ、再生するのリズムが崩れた細胞が、癌細胞です。

癌細胞は死ぬことを忘れてしまった細胞です。

死ななければ再生がない。 

そして、死なない細胞が増殖して、コントロールが

利かなくなり、肉体を食いつくしてしまうのです。

 

死ぬことは大事です。

毎日毎日、私たちは寝ています。これもある意味で、

一種の死だといわれます。

新陳代謝で古い細胞が捨てられます。 細胞の死です。

 

それだけではありません。

昨日のあなたと、今日のあなたの、意識も何か違いませんか?

人の心 も、常に変化しています。 


先ほどの、クオンタム・リーフを精神的な意味で

繰り返しているといわれます。


新しい自分を迎え入れるために、古い信条や、想いを

捨てることもあるでしょう。 


価値観がすこしづつ変わってきたり、人への接し方も

異なってきていませんか?


潔く、反省して悪いところは捨てる。 

くよくよと思い煩う必要はありません。 

古い自分にさようならを言って、新しい自分に再生

するだけです。

 

さて、物質主義者の人が、思っている自分というのも、

実は絶えず、変わっていて、死と生を繰り返している

ということをお話ししています。 


こうしてすべてのものが変化するのですが、

変化しないあなたを、求めているあなたがいることを

知っています。


それがどんなあなたであるのか、少し具体的に

表現してみましょう。


そのあなたは、

* 誰かをコントロールしたいという欲求や要求、必要性を感じません

* 自分の価値観や考え方を防御することがありません。

他者に押し付けることもありません。


* 他人からの評価に無頓着です。 特に、好意的な意見に

対しても、ましてや批判的意見に対しても。


* あるがままの状態を受け入れて、自分を宇宙の意思が味方

してくれていると信じられます


* 非難・批判・分析することなく 他者の自由を認めます


* 恐れがありません。 そのままで、うれしい。楽しい。

静かな微笑みが浮かんできます。


* 自分が何者かということを他者に証明する必要性を

感じません。 

自分が自分を何者かとわかっているからです

 

まだまだ言い尽くせない、自分が求めている自分への表現が

あるでしょう。


一つだけ付け加えたいと思います。

ヴェーダの中に出てくるたとえです。

私たち一人ひとりが 波 だというのです。 


波は大きい波、小さい波、静かな波、荒れている波、

さまざまに無数に無限に生まれそして消えていきます。 

太古の昔から、変わらない光景だったでしょう。


海 が永遠に変わらない 私たちの本質です。  

は一時的な姿です。 

私たちの人生が 波のように、顕れて消える宿命が

あっても、必ず、に帰ります。 

海 が私たちの本体だからです。


家族も友人も、それぞれ、波としてあらわれていても、

本体では一つ、同一の大生命の表現いうことなのです。


だから 他者への、レッテルは貼れません。 

波の高低、海水の透明度、などなど、波に捕らわれいては本質を

見逃してしまいます。


物質主義の迷信 とは、こういうことです。 

死と生を繰り返している私たちの心と身体が、

化学反応でしか、反応しない物質で構成されて 

死ぬまで行き通しで いる という、勘違い 

から始まります。


だから、この肉体が 凍結されたように固い物質

だと思い、自分と他者に境界線をひいてしまうのでしょう。


自分の評価を 人の眼を通して知りたがり、自分の

価値観で他者を 批判したり、裁いたりして、互いの 

故郷、”海” を忘れてしまうのだと思います。   

              

 海があなた、わたし、そしてすべての 人の 本質・・・・

生命体。 水というエネルギー: 

生かし、破壊し、生まれ、死んで、…生き続ける本質。

 

 

 

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