自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

愛犬 チャチャを 集中室から家に引き取る

2012年11月24日 | ペットロスの癒し

 最後の力で微笑む

チャチャの退院と最期(看取り)         11月24日

   

退院した直後、14日の写真   

 チャチャ日誌の続き・・・

 

こうしてチャチャは家に戻ってきた。(前回の記事参照)

臀部の腫れていた局部が 点滴の水分を吸収して、

ジュクジュクして、ますます大きく腫れ上がっていた。

(しかし、引き取って、施術をして、ブログ内写真のように、

その腫れは自然治癒の力で収まっていった)

 

2012年11月14日木曜日、入院していた病院にチャチャを迎えに

行った私に、彼は病院のケージの中から、精一杯の力を振り絞って、

わずかに、尻尾を振った。


チャチャの、ささやかな身体の動きだったが、彼の最大の喜び

の感情を表していた。


彼は声は13日以来、発することはできなかった。

集中室の、ケージからチャチャを出そうとした時、担当の

T医師の口から、再度、手術を薦める話が出た。


”ヘルニア手術は猶予がないところです。 

この、臀部の腫れた箇所はあと、2~3日で破れます

(注:実際は、破れず、収束に向かっていった)。

そうしたら、もう、メスを入れられません。”

 

昨日の、泌尿器科担当のY医師のお話しも、同様だった。


T医師は、手術の話を 噛んで含む様に、説明したが、

私の彼を引き取りたいというそ、決意は固かった。

手術をOKしたら、もう、二度と、チャチャらしい彼に

合うことは叶わないだろうと、私は、感じていた。


私の自宅介護の決心が固いのを見て、それを認た医師は

こう付け加えた。

”それでは、必ず守ってください。尿は必ず、一日一度

とってください。 

必要なら、点滴もしてください。”

 

伺いながら、内心、皮肉だな と感じた。 

一日一度 尿を取る? 言われるまでもない。

尿をとることは、3日前から必要性を、感じていたし それを

街医者の早朝検診に、時間外診察で飛び込んだとき、まず、

お願いした事だった。

が、検査なしに、処置はできないと、こうして、48時間以上

尿を排出する措置がないまま、過ぎて 毒素が体中にまわり、

腎不全を起こしてしまったのだ。


昨夜、一睡もできなかったのは、自分が、チャチャの世話を

自宅介護で、完全にできる自信があるかどうか、自問自答して

のことだった。

点滴や管で尿排泄を 適宜にさせられるか、現実的に、

その処置法は可能か?まだ間に合うだろうか?という可能性

への不安のためだったから、尿を取ることの第一義は、私が

一番知っていた。

医師に改めて言われる前に熟考していたことだった。

 

少し、こうなるまでの1週間を、振り返ってみよう。

日曜日(11月11日)早朝、チャチャの尿が出なくなって、

彼が呻き始めたとき、私は、ネットで緊急事態受付

可能の動物病院を探していた。


そして、三時間後、朝6時半に、医院のドアを開けて

くれた親切な医師に、チャチャの尿を どうにかして、

取ってほしいと訴えた。


しかし、医師は検査が先だと、時間をかけて、スキャンを

とった。

が、その写真を見て、誤診をした。


つまり、尿でパンパンになった膀胱を、腸の部位と勘違い

してしまったからだ。


その時点で、尿排泄ができていれば、重篤な状況にならず、

腎不全にならず、収まったに違いない。


誤診した医師は、腸内のガンの可能性を指摘して

重篤だから大病院での措置をと、尿を取ることなく、

紹介状のみ渡された。

くどいが、肝心な尿をとる手段は、一切、この時点で、

なされなかった。 

 

それから2日間、さらに、大病院でも、検査が重ねられて、

結局、チャチャの腎臓は 尿の排泄が不能で、毒素が身体に廻り、

急性腎不全になった。


さて、現在に話を戻すと、集中治療室から、私は、チャチャと

帰宅した。

アートマセラピーを施術しながら、数日かけて、街のクリニック

に通い、カテーテルの使用方法を学んだ。


肛門近くに膨らんだ、膀胱に入れて、尿を人工的に排泄させるため

だった。

 

少しずつ、チャチャの体に変化が出てきた。

夜は しゃっくり が出るようになった。 

しゃっくりは、筋肉を動かし、同時に、内臓の器官を

整えているのだろうと感じた。 


ひきつけ のようで、多少聞き苦しいものではあったが、

チャチャの体の中で活動を始めた、自然治癒力が

チャチャに、体の機能をもとに戻そうとする力を

与えてくれていると感じた。 


不安と裏腹であったことは否めない・・ 

そう信じたかったというのが正直なところかもしれない。

 

手術を余儀なくされるはずだった、九死に一生を得た

チャチャはとにかく、私に、甘えてきた。 


今まで、彼は、兄貴分のチュチュに遠慮して、

一足(ひとあし)後(うしろ)に控えていたのだが、

今回は違った。


命の短さを知っていたのだろうか? 

必要ならば、私のそばの居場所を守るために、チュチュ

と喧嘩も辞さなかった。


それからは、チュチュもそれがわかったのか、甘んじて、

別部屋にいることが多かった。 

いつもと同じように、寝る場所は私のベッドの上で。  

  ベッドの片隅に・・・

 

私は、チャチャの体に、セラピーを行うと同時に、

一挙手一動(いっきょしゅいちどう)の小さな変化を

見逃さなかないよう、何をしていてもチャチャの

動きに、全神経をはりめぐらせていた。


呼吸の深さ・速さ、 体温、 鼻の頭の湿り具合、 

水の飲み具合、 歩き具合、 腹にたまったガス、

肛門の貼れと血の流れ方。


何よりも、彼が甘えたいと無言の訴えを伝えてきたとき 

夜でも明け方でも、体に触れて、その心に、応えた。

時には、深夜、ベッドに飛び上れなくなっていた彼を、

抱えて 布団の中にいれてやった。

 

こうしているうちに、確実に、チャチャは回復をみた。

15日には、市販の餌をスプーンで二口食べた。 

16日に夜、チャチャの腹がぬれていて、失禁したと思われた。

つまり、自分で尿を排出したのだ。


こうして、次第に、カテーテルを入れずとも、尿が

出るようになっていくのだろうと嬉しい期待を私は寄せた。


18日に、膀胱が固く貼っていたので、カテーテルを入れて、

排尿させようとしたところ、初めて反発して、管を

入れさせまいと立ち上がった。


これでは管がはいらない。 

困ったなと感じた私に、チャチャは、一週間、見せたこと

のない、芸当を 私の目の前で、やってのけた。

 

それは 気分の良い元気な犬が、尻尾をたてて、歩く 

という当たり前の行為だった。

そう、彼は、よろけながらも、尻の尾っぽを高くあげて、

歩いたのだ!


11日以来、チャチャの尻尾は下がったままだった。 

私は自分の眼を疑った。 


”チャチャが尻尾を立てて”歩いている。

すると不思議な感覚が来た。


彼のテレパシーだった。

”大丈夫さ。 もう、カテーテルはいらないぜ。

こんなにオレは調子が良いんだ” 

とメッセージを送ってきた。

 

17日には、リンゴを数切れ食べている。 そして、便も出た。

今になって思う。

リンゴをサクサクと音をたてて食べてくれたときの嬉しさ、

一週間ぶりの食事だ。

食欲を見せてくれたその 小気味よい音をたてて、

リンゴを食べている一瞬、まさに、高村光太郎氏の 

”千恵子抄”の詩編を想いだした。


それは、千恵子が亡くなる前の病床で、さくっと

レモンを齧ったときの傍らに付き添っていた、

高村氏の心からの感動を詠んだ詩だった。

 

18日夜は、かすかだが、呻き声を出しながら寝ていた。 

同時に、体を数分ごとに移動させ、寝る場所を変えて

いるのは、汚物が出るためか? 

どこか痛みをともなっているのか? 気になった。

 

19日、母がどうしても、チャチャに会いたいと電話を

かけてきた。 

自宅に母を迎えて、チャチャもチュチュも皆一緒に、

しばしの団欒を楽しんだ。 


チャチャは、尻が”猿の尻”のように赤く 腫れあがって

いるほかは、母の眼には、何事もない、普段のチャチャ

に映ったらしい。 

”瀕死(ひんし)だと聞いたけど、思ったより元気で

安心した。 

御尻(おしり)がかわいそうだねえ。

痛いだろうねえ” と 何度も繰り返した。

 

肛門回りが渇いてきて、医師が ”数日中に破れますよ” 

と懸念してくれたのがウソのよう。


ただ、足に異変が起こっていた。 

後ろ足がひきずるようになり、次第に、前足で踏ん張らないと、

立っていられないようになってきた。 

尿は自分で出しているが 出し切れないでいると、腎臓に

負担をかけるので、カテーテルでとる。

黄色がかっているが透明な尿。 

 

20日 昼間、チャチャはいつもの散歩コースを、

私の抱えた籠の中に入って、一周した。


チャチャは眼を細めて、懐かしそうに嬉しそうに籠の中

周囲を静かに眺めていた。


その朝、久しぶりに、チュチュと散歩に出ようとしたところ、

チャチャは数メートルも足を引きずりながら、必死の体

でいざって、玄関のマットに座り、オレを置いておく手は

ないだろう” と、一緒に外に行く意思表示した。


彼の願いが痛いほど伝わってきた。 

そこで、籠をみつけて、チャチャを入れて抱えて
散歩の形をとった。

排尿はしている。 

今日は、おむつを買って帰ろう。 

膀胱もやわらかく弾力を取り戻した。 

 

あとは、腸の異変だ。

今まで、腎臓を正常化させることに夢中で、病院の医師たち

からも話題に出なかった。

入院したときから、これだけ、出血していて、何もないと

いうことはないはずだ。

 

その夜 11月20日 夜、11時。 

そばに横たわって寝ていた、チャチャの呼吸が乱れた。 

少し早くなっていた。

私は、身を起こして、チャチャの様子を そばに座って、

張り付いて見つめた。

 

頭の筋肉が ほんのわずかだが、硬直してきた。 


ちょうど、死体が硬化するそんな微妙な変化のようだった。 

それにともない、午後11時半、力まないのに、宿便が出てきた。 

中指の太さと長さの異様に多い排泄量だった。 

しかも、血まみれ。 

鳥の、レバーのような、肉片も出てきた。 

瞬間、”これはまずい”と思った。

 

今夜が峠だとも感じた。 ここで乗り切れなければ、

もう、チャチャの生命力は、尽きてしまうだろう。


しかして、首の力が抜けてきた。 

頭を上げようとしてもふらふらと、張子のトラ人形のように

左右に首が揺れた。

 

寝ていた夫を起こして、様子を見せた。 

”様子が変だと思うけど” と話すと、チャチャは、

何事もなかったように、首をもたげて、いざって、方向転換した。


夫がその様子を見て、笑った。

”なんだ。チャチャ、元気だねえ。 

まだ大丈夫だねえ。”

夫は 

”チャチャと眼が合ったよ。 しっかりした眼じゃないか” 

と、呟いた。

 

私はチャチャを 静かに、膝の上に、抱き上げた。 

彼がいざって、位置転換したとき、

”少し、不安だぜ” というメッセージが 胸に響いたからだ。

 

彼は旅立とうとしている。 


私には、わかった。冷静に受け止めようとしていた。

果敢に、新しい、門をくぐろうとしている。

ちょうど 死者の書 の マントラを、ブログに掲載した

ばかりだった。


これから 幽冥界で、起こるであろうことを 彼の耳元で、

言い聞かせた。

 

”光” についていってね~ と チャチャの耳元で何度も

言い聞かせた。


お払いの祝詞をあげ、般若心経も上げた。

涙が止まらなかった。 涙を拭いながら、感謝とお詫びの

言葉を嗚咽の中で繰り返していた。

 

愛しいという情念が

”どんな状態でも、生きていて そばにいてくれるだけでいい!” 

という願いとともに、湧き上がってきていた。

心の底から チャチャの特質 と 常に、傍らにいてくれた

存在感を感じることができた。

 

続く・・・

 


         

 

11月17日(亡くなる三日前(のチャチャ;
1週間、ほとんど食べていないけど ”オレはリラックスしているぜ”


 

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