自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

チベット金剛密教死者へ:2

2012年11月13日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

チベット死者の書 ~2日め~ 平成24年11月13日(火曜日)

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1日め はこうして過ぎた。

初めて見える光をとらえ,

本質的自己の空の存在

阿弥陀如来である自己のアートマを自覚した死者は 

カルマの解放を得る。

それが認識できないとき、死者は二日目を迎える。

”彼の善あるいは悪のカルマによって、

生命力は 右か左かどちらかの

神経の中に落ち込んで

体のいずれかの開き口を通って去っていく。 

そして、心の清浄な状態がやってくる”

 

死者は霊魂が体を去るとき、

まだ体が死んだという事実がわからない。 

よく、死んだかどうかわからないで

回りの号泣している家族に

私はここにいるよ”と 言っても聞こえない、

わかってもらえない

混乱する死者の様子のモチーフが 

映画や小説に出てくる。 

ちょうど、こういう状態だ。 

 

そこで 密呪(マントラ)をここで死者の

耳元にささやく。

”けだかく生まれたものよ。

汝自身の守護神に瞑想せよ

 ・・・・略・・・・無上の慈悲深い神に瞑想せよ” (*1)

 

生前に 自分の本質について

考察してきた人たちは 

真言を心に引き入れる。

(真言とは、真理を含む言葉) 

そうでない人たちには、この真言は耳元で 

力強く言い聞かせて、

死の恐怖や戸惑いで迷わないように、

心を引き留めさせる必要があるという。

 

これが第二段階、第一段階と第二段階で

上手に、光に導かれれば、

その後に襲ってくるさまざまな、

幻覚に惑わされたり、恐怖を覚えずに、

解放を成就できるという。

 

第三段階に入ると、

カルマの幻想が出現し始める。 

(自己が積み重ねた行動を基盤とした幻想的光景)

その時、現象界では、死者は

”食べ物が死体の横に置かれ、

  衣服を脱がされ、

 寝床が掃き浄められているのを見る” 

頃だという。

そして死者の周りで家族が

泣いているさまを見て、

死者も語りかけるが誰も聞こえず、

死者は怒り出すこともあるという。

死者は、一方、死後の世界で、

音と光と放射線” のまじりあった幻想が始まり、

とまどい、恐れ、困惑する。

そのとき、真言を家族や僧侶が耳元で

明瞭に聞かせる必要がでてくる。

 

その真言が、

けだかく生まれたものよ。 

 死と呼ばれるものがやってきた。

  汝はこの世から去ろうとしているのだ。

 しかし汝がただ一人、

  この世を去ろうとしているのではない。

 それは誰にでもやってくる。

 この世の人生を溺愛することに執着するべからず。 

 この世にひきつけられるな。” 

 

こうして、死者に 肉体が死んだこと、

この世で愛していたものや人への執着

手放すようを告げる。 

そして、これから起こる幻想に惑わされる

ことのないように

真言が伝えられる。

妖怪のような幻覚へ、畏怖や恐れおびえ

  の念を持つべからず。

 どのようなヴィジョンが現れてきても、

 それらを汝自身の心の顕れ(影)として

   認識するように。”

 

あの世でも、こうして、悟りそこなってしまうと、

第三段階ではカルマの幻影で 死者が自ら

苦しまなければならない様子が描かれる。 

そのカルマの浄化のために、

さまざまな妖怪のような

幻影まで現れて死者を脅すらしい。 

これこそ、一種の地獄の風景でも

あるのかもしれない。 

ただ、それが 影 であって、 

死者の心の顕れに過ぎないから怖がるな

死者に言う。

さて、次の段階だ。

 

死後3日半から4日目の話となる。

チベット死者の書では49日のカウントのはじめ、

それを、一日目と呼ぶ。 

その日から 49日が中陰 となる。

 

 

第一日目)

死者はこの時、自分が死んで再誕生へ

逆行しているのだという

事実を認識するという。

天空は 深みのある青。 

大日如来の登場だ。 

しかし死者の生きていたときのカルマが悪行に

傾いていると、

蒼い光も 死者を怯えさせる。 

一方で悪魔の 放つにぶい白い光が見えるという。 

 

死者は 蒼い光を怖がるがゆえに、

白い光に向かって

逃げ出したいと考える。

大日如来の光であることに気が付かず、

悪魔の光に懐かしさを覚える。

 

そこで僧侶は死者に 真言を告げる。

”汝が 大日如来によって導かれますように。 

 完全な悟りの中でアートマを自覚できるように

と。

もし、敬虔な気持ちで 死者自らがこう祈ることが

あれば、その願いは成就するという。

 

第2日目)

この導きにもかかわらず、

怒りや悪いカルマによって、

大日如来の光を怖がり、

幻覚に打ち負かされたりすると

二日目にその死者の魂にふさわしい地獄と

その使者が訪れるという。

そのために、僧侶や家族は、次の真言を明瞭に

言って聞かせなければならない。

 

”けだかく生まれたものよ。 

 男女の契りを象徴した

 ヴァジュラ・サットヴァが現れ 

 輝かしく発する白光が汝を刺し通す。

 一方、地獄からにぶい煙色の光が

  汝を刺し通そうとする。 

 そして、汝は 怒りの力 のために

  白光を恐れるだろう。

 恐れるな。 

 それは智慧の光だ。 

 そこに帰依して祈れ。 

 救いの光だ。 

 地獄からの光を溺愛するな。 

 それは激しい憤怒の蓄積された

  邪悪なカルマの光だ。 

 汝を迎えにきた地獄の光だ。

 それに引き寄せられるな。 

 さすれば、地獄に落ちてしまう。

 落ちていけば、耐え難い不幸が

  待っている。 

 脱出できる術もない。 

 魂の解放の道へ向かえ。

 祈れ。”

 

第三日目)

それでも、救われない死者がいる。 

次の光は神の光と人間界の光である。 

僧侶や家族は死者の魂を呼び明瞭に

真言を伝える。

 

気高く生まれたものよ。 

 三日目には4大元素のひとつ、

  地の光、黄色い光が、前方に輝く。

 その時、神々が光となって近づいてくる。 

 しかし、透明で輝かしいので汝はそれを見つめる

 ことができないだろう。

 同時に人間界の光、くすんだ黄色の光も

  やって来る。 

 しかし、汝の 我執の力 によって、

   まぶしい神界の黄色に

 恐れをいだき人間界のくすんだ黄色の光に

  懐かしさを覚える。 

 恐れるな。 

 金色の黄色い光を智慧の光と認識せよ。

 信頼して汝の心を謙虚に合わせよ。

 さすれば、神の体と光が、汝と一体になるだろう。 

 もし、汝自身の智慧の発光を認識

  できなければひたすら祈れ。 

 人間界のくすんで青みがかった

  黄色の光に心を奪われるな。 

 それは汝の激しい我執が蓄えた

  性癖の光、

 その道におちていけば、

  誕生 老い 病気 死 の苦しみを 

 再経験する人間界へと生まれるだろう。”

 

第4日目)

死者がそれでも双方の光を逃れた場合、

四日目には 阿弥陀如来が迎えにきてくれる。

赤い西方浄土から訪れる。 

しかし 死者が 愛着 が強ければ、

阿弥陀如来の光から

逃げたくなり、くすんだ赤い色にひかれる。 

もし、くすんだ赤い光に誘われればそこは 

愛着の世界、飢えと渇きの耐え難い世界へと

落ちていくという。

 

第五日目)

死者はこれまでには、解放されているはずだ。 

それでも、悪いカルマと嫉妬心、

畏怖と恐怖が強ければ、

まだ死後五日目彷徨っている。 

その時は緑色の神々が迎えに来る。 

しかし、嫉妬心の強さでその輝きがまぶしくて、

暗い緑の光に心を引き寄せられる。

その暗い光は 嫉妬からつくられた 

アスラ・ローカの世界から来ている。 

ここで再び死者はどちらかの道を選ばされる。 

 

第6日目)

このように様々な段階を経て、まだ、

彷徨っている魂がいる。

彼らは頑迷で生前智慧の習得や純粋な

愛情に欠けていたために、

神の導きに従えず、彷徨っている。

天界の配慮もそういう死者の魂をとらえずらい。

僧侶や家族は、次のように死者に語りかける

気高く生まれたものよ。 

 この六日目には

   四大元素の地・水・火・風の

 すべての色が一斉に汝を照らす。

 その時神々が虹の光に取り巻かれて

   迎えにやって来る。 

 それらの神々は どこか外の世界から

   やって来るのではない。

 神々は汝自身の智慧の

  永遠なる点に存在する。 

 汝自身の心の性質そのものだと理解せよ。”

 

一般的には敬虔な信仰心が心に生まれ、

解放をここで得る。 

純粋な祈りがあれば死者は最悪の世界に

落ちなくてもすむ。

最悪の世界とは、死者の書によると、

”非常に悪いカルマを持つ人々や 

 全く宗教に無関心で愛を抱くことをしらず、

 カルマの幻覚にも自分の

  照らし合わせることなく、

 真理への数々の導きにも

  耳を貸さなかった人たちの行く世界である。”  

と、説く。

 

続く・・・・・

 

 

*1”チベット死者の書”  おおえまさのり訳 講談社 昭和56年5月 (第五刷)

 

 

 

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