祈りの効果検証と思い込みの結果 平成25年9月28日
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新しい物理学は 物質と形の現象世界を、”あらゆるものを創りだしている
エネルギーの量子の場”として捕えている。
この世界には、自然を創りだしている、基本的な固体は存在しないと仮定して、
あるものは、ただ、お互いに絡み合った、エネルギー同志の網目。
そして、”目に見えない意思の力”がそこには働いていることがわかりつつある
ようだ。
東洋の主な宗教哲学も本質的に 一元論思想 から端を発している。
仏教の 空(くう)の理論、ヴェーダのアートマ理論、それらは 表象的には、
曼荼羅に象徴される世界でもあった。
その中心にある空(くう)の点は,そこからさまざまな様相に分かれ,無限の変化
を含有しつつ、調和を保っている、この宇宙を成形していた。
私たちが見ている宇宙は分割できない。
それは、一つのものであり、一つの生命、あるいは、大いなる生命力と完全な
意思から成立していることを大師たちは、教える。
どの宗教も、その高いレベルの波動と、生活の場である、日常の中で、切り
離されて生きているように感じつつも、その他かいレベル波動と、我々がどう
つながるかが、求道者の課題になる。
こうして、それを目的にする、’道’の思想、具体的には、瞑想や古武術、ヨガや
精神統一などの、東洋的修練方法が発達してきた。一方、西洋では、このように
して生まれた、東洋的思想が物理学者に触発を与えた。カプラ博士などは、
神秘的な物理学的要素を 東洋思想と比較して論文にしている。(*1)
物理学のみならず、心理学の部門でも、東洋的思考は影響を与えてきた。
この数十年の間に、心理学の研究者たちは私たちの想いが物質世界に反応を
与えているということに、気づき始めた。
最初に解明されたのは、バイオフィールドバックの研究といわれる。
何百という研究によって、以前は自律神経によって、コントロールされていると
考えられていた、脈拍、血圧、免疫、脳波などの、体の多くの機能は 私たち
自身の感情や思考で、影響を与えることができるという事実が実証された。
最近の研究では、私たちの他との繋がりや影響力は、単なる身体のみならず、
それよりもさらに、大きく広がっているということが証明されてきている。
この事実を広めるために、貢献した人のひとりが、ラリー・ドッシー博士だ。
彼は祈りと思いの力について 多くの著書を書いた。(*2)
多くの学者による、調査を分析し、私たちが 空間と、時には時間すら超えて、
外界に影響を与えることを症例をあげて、まとめている。
”魂の再発見” という彼の本の中で、ドッシーはある調査を引用している。
その調査とは、遠く離れた場所から、情報を受け取る能力を調べるものだった。
A地点で、一団の被験者が無作為にカードをひいた。B地点で、異なる被験者
たちが、A地点で無作為にひかれたカードを言い当てる。
その結果、一般より高い確率でそれを言い当てることができたという。
この実験はテレパシーの存在を裏付けるばかりでなく、予知能力の可能性を
示していた。
さらに、心で 思念を受け取る、あるいは 強い思念に影響を受けるという
実験も行われた。
たとえば、サンフランシスコ総合病院のランドルフ・ハード博士は、心臓病の
患者グループを集め 一般のボランティアグループから”快癒の祈りの念”を
送ってもらい、その反応を調べた。
そして、もう一方の患者グループには祈りを送らないよう指示した。
すると、祈りを受けたグループは 受けないグループより、良好な結果を得た
という。
その具体的なデータによると、祈りを受けなかったグループの患者たちに比べて、受けた患者グループは、抗生物質を5分の一しか必要としないことがわかった。
さらに、肺に水のたまる率も、受けなかったグループの三分の一であった。
祈りを受けたグループでは、一人も人工呼吸器を必要としなかったが,
受けなかったグループは 12人が必要とした。
この結果として、祈りや思いの力を利用して、植物の発芽率の向上やバクテリア
の増殖率の上昇、あるいは合成樹脂などの 非生物の生産にも、効率よい結果
を生み出したと 博士は結論づけている。
祈りや思いの他者に与える影響について、ドッシーは これ以外にも非常に
興味深い実例を挙げている。
自分の意見を挟まず、神に全託して、“もっともよい事が起こりますように”
と祈った人たちの方が、自分で限定して “こういう結果がおこりますように”
と祈るより良い結果がもたらされたという 実験である。
これは、どういうことかと言えば、私たちのエゴ意識が、祈りの結果に作用すると、ジェームズ・レッド・フィールドは 分析する。
”エゴ意識が 祈りの中に、入ったときに、うまくいくこともうまくいかないと
いう原理がそこに働くのだろう。
無心になる、あるいは無我になる、それが大切だ。”
この祈りの実験を通して、次のような条件のもと、効果があることも わかった。
・祈りの効果をあげるためには、祈る人が祈られる人を個人的に知っていること、
・思い全体が 神や大我とつながった祈りからきていること、
・断続的ではなく、継続的に祈った場合
さらに興味深い実験がある。それは、私たちの無意識の思い込みや、仮定、
潜在意識の願いなど、意識下にある、想念が、祈りと同じような働きをすると
いうことだ。
オーク学校の生徒を対象に実験された。
教師に子供たちの名簿を渡してこの子供たちは テストで選ばれた
優秀な生徒であり、年度内に 一番良い成績を上げるだろうと 教師に
予(あらかじ)め、伝える。実際には、無造作に選んだ生徒の名簿であり、
優秀な生徒であるということはなかった。
ところが、年度内の成績を見てみると、彼らは他の生徒たちに比べ、得点数が
上がる割合が大きかったという。
さらに、純粋に生まれつきの能力を示す、IQテストでも、素晴らしい進歩
結果を見せた。
最初に教師に”印象づけた言葉”が、教師の心の”潜在意識”に、一つの方向性を
与えて、その方向性がその生徒に対する無言の説得力をつくり、生徒たちの
学習能力の向上につながったのだろうと同氏は、結論づけている。
勿論、その反対のことも言えるだろう。”否定的効果” だ。
自分の思いや祈りが、相手を傷つけることもあるという。
同時にそれは自分自身を傷つけることでもある。
たとえば、”相手の気持ちを変えたい”、”相手の今の行動をやめさせたい”
などと願うと、相手に無意識に伝わり、相手に無意識にその念を発した自分に
対し、疑うような気持ちを起こさせる場合がある。
自分自身が自分自身について考えていることも同様だろう。
自分の能力や将来性などについて、否定的に”思い込んでいる”場合、その思いは
実際に身に起きる出来事の中に、実現してしまうかもしれない。
”唯心所現” とは、このことをいう。
だから、できるだけ、良いことだけを、聞き、見て、思う、そして話す大切さ・・・
そういえば、日光東照宮の彫刻で有名な”見ざる、言わざる、気がざる”
の三匹の猿の姿は国際的だ。
この話は印度では、マハトマガンジー(*3)が喩えで話して有名になり、
デリーで この置物が、車に置かれているのを、何回か見ている。
ちなみに 印度の友人の車に飾ってあったこの猿たちの意味を,どう理解している
のか運転している人に聞いてみた。
”悪いことは見ない、聞かない、そして、言わない~という意味です。”
”臭いものに蓋(ふた)”という意味だと筆者は一時、考えていたときがある。
”正面向き合わない、逃げの姿勢”にも通じるようでピンとこない諺だと
当時は感じられた。
しかし、見ない でなくて、”観ない”、聞かない でなくて、”聴かない”、
言わない でなくて、”言霊化しない。” の意味であるのだとその真意の深さ
を改めて考えるようになった。
左の表記漢字、見る、聞く、言う は五感で受けた刺激に対しての、現象的な
感情的 感覚的 受け身的 反射的反応である。
右に 記した同じ発音の漢字は、智慧をともなった、心の中枢での所作だ。
同じ発音でも、漢字を当てはめてみると奥行の深さの違いがそこにあった。
*1)ブリッチョフ・カプラ ”タオ自然学”工作舎、1990
*2) ラリー・ドッシー“魂の再発見” (春秋社・1992)
*3) ちなみに英語では、”See no evil. Hear no evei. Speak no evil.”
天台宗の教義に関連して日本に伝えられたとか、孔子の教えが起源だとか
いろいろな説がある。
参考)
ニック・ハーバード“量子と実在”白揚社、1990
ブリッチョフ・カプラ “ターニング・ポイント”工作舎、1985
ジェームズ・レッドフィールド“聖なるビジョン” 角川文庫ソフィア1996)