自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

黒魔術の呪い念波

2013年05月18日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

波動の戦い   平成25年5月18日

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次のブログ内容は、リピート数が比較的多かったものです。

読み返してみたら、わかりづらい箇所があり、推敲してみました。

 

今、バンコク にいますが、友人が 肌身離さずつけている

神様の写真だけど・・・と 取り出して、印度の神様の写真

を見せてくれました。

それは、この記事にも登場する、、大きな舌を

おどろおどろしく伸ばして 襲い掛かりそうな ポーズをとる

典型的な カーリー神の写真[絵)~下記~でした。

意外に思い、その神様とのお付き合いのきっかけを、今日

これから、彼女と会うので、聞いてみようかと思っています。

 

ということで、それに因んで、タントラ系の信仰には

かかせない、この神様にまつわる ちょっと、オカルト的な

筆者の体験談を聞いてください・・・・・ 

インドにおける、タントラ密教の修行者は、墓場などを修行の場と心得て、

真夜中に、鍛錬を積んでいる。

動物の死骸、骨、時には 埋葬されたばかりの死人を掘り出して、

異様な修行をするといわれ、その姿は一般の人には決してみせない。

呪術にたけているので、呪いを解き、、生き霊に取りつかれた病人や

精神病の人などを、平常にもどすこともできる。 

反対に、霊的な殺し屋のような ”プロ” もいるらしい。

そのような人たちの信仰を 一般的にblack majic(黒魔術)と呼んでいた。

 

Aさんは私が役員をしていた、当時の会社で運転手をしていた。

父上が ある魔術師をグルとして、若いころから、修行を積んでいることは

以前から聞いていた。

一本気の実直な雰囲気を醸し出して、いつも背筋が通っている

Aさんの父上 は、そういわれてみると、それなりの風格があった。

その父上の師は、インド・ラジャスタン地方のある有名な黒魔術の一派の

大御所?の一人だと、聞いていた。

ある日、Aさんが、師を、ぜひ、私に、紹介したいからと話をもちかけてきた。

当時、タントラ密教に関しての知識は多少、持っていたから、Aさんのお誘いは、

やんわりと、断り続けていたが、或る時、ひょんなきっかけから、デリーの拙宅に、

Aさんは 師 を連れて こられることになった。

 

数人のお弟子さんをともなって来られたが、その中に 

Aさんの父上と Aさんの中学教師をしている兄も交じっていた。

”ひょんなきっかけ” とはこうである。

実は その数日前、朝起きると、自分の寝室の壁に、

奇妙なものが出現して張り付いていた。

できたて、ホカホカ?の犬のウンチのような形状のものが、

床上 1.2 メートル位

のところに張り付いていたのだ。

翌朝、会社の運転手をしていた、Aさんにそれを見せると、

”決して、手でさわってはいけない。” という。

その理由は、黒魔術によって、出現したものかもしれないからという。

 

相手の念が強い場合、施術場で使われていた、代物(しろもの)が

時々 呪いの念を送られた、(たぶん何も知らない)相手の(眼に入るところ)に

送られ、物質化するという。

それは、相手に、不安と、脅威を感じさせる テクニックの一つだという。

たとえば、女性の長い髪の毛の束や、動物の骨などが 呪術に使われる。

すると、それらが呪いの念と一緒に、物質化する。

以前、ニューデリーの隣人 B夫人が 筆者に 助けを求めたのも、

女性の長い毛の束が、ベッドの下から出てきた~ということが発端だった。

Aさんも、そういう類(たぐい)の出現を、黒魔術に関連して、

以前にも見たことがあるらしい。

そこで、急遽、Aさんの父上が師事している、タントラ教の”お坊さん” 

に来ていただき、その ウンチ?を取ってもらい、真相の判断と

お祓いをしていただこう という話になったのだ。

 

さて、翌日、早速、師が家に来られて、それを検証してくれた。

その壁にはりついていたものの形状は、動物の糞 だった。

師 は、丁寧にそれを取り、中身を出した。

黒魔術で使われる、ランプ油の 綿をよじったような、芯棒が 

中にくるまって 収まっていた。 

それを観て、師は

”その道具を使っている相手の念が強くて、具象化したものだ” 

と言い、

その怨念が誰から送られてきたのかなどを、判断して

(その内容は明日のブログで)、清めの式を行うことになった。

 

さて 一連の奇妙な出来事の始まりは、

この浄めの式の最中に起こった。

部屋には 弟子たちの手で 手際よく、祭壇が造られ、

カーリー神が祭られた。

その前に、花や酒が捧げられた。

師は、長さ2メートルはある 直径2~3センチの太いチェーンを

手に持っていた。

私は、その祭壇、カーリーの神の前に 神妙に 座わらされた。

 

タントラの術言が唱えられ始めた。

その半ばで、突然、座って祈りをささげていた 私が、立ち上がった。

そして、主神、カーリー神の お供物として用意されていた、ウィスキーを指差し、

”コップに入れなさい”と  タントラの師に命令口調で告げた。 

勿論、私であって、私ではなかった。 

 なぜなら、ウイスキーはカーリー女神に備えたもの。 

 そして、自分の 口から出た言語は、現在のヒンディー語とは異なる、

 サンスクリット語(梵語) だったからだ。

 その酒を飲むと、(私)は、

 この場において、我を呼ぶとは!

 我を煩わすべからず!” 

 と 強い口調で 師を一喝した。

 師は弟子に、

”シャクティ (カ―リー神)女神が下りてきた” と語った。

私の、頭の上で巻き上げていた髪の毛は いつの間にか、残バラ頭になって

Aさんも、”マダムの顔つきも、姿も、カーリー女神のようだった”と

後から感想を漏らしていた。

弟子たちは この予想外の展開に怖がり、部屋の隅に体を引いた。

”私”は、大きな、ライオンの首に巻いてあるような太い金属のチェーンを

師の左手から奪い取った。 

さらに、重たいはずの、その鎖を 難なく、片手で振り回しながら、

師 を威嚇し続けた。

師 は 慇懃(いんぎん)な様子で、ご機嫌をとるように、

さようさよう。して、何がお望みか?” と 私に、応対している。

そうしているときの私の意識には、自分が話している内容 も 

取っている行動 も 自覚されていた。 

自分で起こしていて、自分 でないような感じだ。

客観的に そんな自分を一部始終観察する心を意識していた。

 

ただ、自分の口から出ている言葉が、サンスクリット語 だとは 

認識していなかった。

奇妙なことに、日本語で話しているように 内容 がわかるのだ。

ヒンディー語の片言なら 日常生活で使っていたが、古語となっている、

梵語(ぼんご)=サンスクリット語 を流暢に操るほどの、知識はなかった。

その場で私の口から 出ていた言葉は すべて、綺麗な完璧な 

サンスクリット語だっだと、後日、人から聞いて知った。

補足だが、目撃していた弟子の中に、学校の先生がいた。

その時、私の口から出た一部始終の サンスクリット語を清書して、

証人として 彼のサイン入りで これはほんとうにあったことです” 

と補足書きした上で 後日、自宅に届けてくれた。

 

そして、2度目の事件。

これが、その後続く不幸に関係があるのかどうか?

その判断は、読者の方に譲るとして、ありのままを、書いてみたい、

その祓いの儀式の数日後。

師と弟子一向が、黒魔術の護符を持ってきた。

師は、護符を私に渡して、上機嫌で、弟子たちと歓談していた。

その時、私の心に、”いてもたってもいられないある想い”

が湧いてきて、どうにも、その気持ちを抑える事ができない

極点に達した時だった。

再び、師 に命令口調で”お帰りください”と 自ら、ドアの扉を開けて

彼らを家から追い出したのだ!

自分の真情としてあふれた想いは、師の一団 からにじみ出る 

墓場臭さ のような、異様な霊的雰囲気 への 

甚だしい抵抗感以外の何物でもなかった。

 

その時、私は、思わず、ドルガ女神のイメージを心に念じていた。

ドルガ女神は、カーリー女神 と対象的な意味で 光りの女神 であった。

この 墓場のような何とも言えない波動の匂い(がするほどだった)は

光りでしか 消すことができないと、私は、祈るように、ドルガ女神に

焦点を当てたその瞬間の出来事だった。

”先生、もう、お帰りください。”

と 半命令調の言葉。

一瞬、バツの悪い白けた空気、冷ややかな瞬間が その場を、襲った。

師は、私の失礼な言葉に対して、表情も変えずに、”チョロ(行こう)” と 

弟子たちを見まわして言い、椅子から、静かに、ゆっくり、おもむろに立ち上がった。

そして、私の前に立たれて、私の眼を 射るように見つめて、一言だけ、

こう尋ねた。

マダム、今は?・・・・カーリー神ですかな?。・・ それとも・・ いかなる女神や?・・

(よもや、ドルガ神ではあるまいな)? ” 

と 思わせぶりな質問をした。

 

私の答えを待つまでもなく、師は、すでに 私の心の内を観ていた。

あるいは、”いかなる女神” が ”どなたか” を、知っていたと思う。 

ところが、私は 咄嗟に、”カーリー女神”と答えた。 

それが 弟子たちを含めて、彼らに立ち去っていただくのに、

効き目のある神様だと 勝手な判断で咄嗟に判断したからだった。

しかも、以前、私に、カーリー神が乗り移った と

師は弟子に語って聞かせたから

それが 信憑性が一番あるとも思った。

”ほう、カーリー神とは・・・” と言い残すと、師 は じっと私を見据えて 

静かにドアの外へ出た。

師の後に続いて、そそくさと、弟子達も 姿を消した。

 

カーリー女神は、怒りの形相で 血の滴る生首をかかえている

女神で知られている。

タントラ密教であがめる女神である。

 

師は ”ドルガ女神” に波長を合わせていた私の心を見抜いていらしだだろう。

それは、私の気持ちにあるものは、”師”への信頼ではなく、”師への侮り(あなどり)”

を意味していたのかもしれない。

墓場の臭さ を感じて、嫌気がさした私の心情は 師には、伝わっていたことだろう。

 

さらに、師には、ドルガ神を師は見破れないだろう” と、私の、高をくくった 心 が 

師に対する侮り(あなどり)以外 何物でもなかっただろう。 

師 に尊敬の気持ちがあるのなら、はっきりと、私は、”ドルガ女神の声 だと思う” と、

真情を伝えられたかもしれない。

一方、弟子たちは、私の、思いがけない態度に対し、師への尊敬を欠いた

一人の日本人の無知で、横暴な姿勢だと憤慨しただろう。

師 は、この生意気な日本人が、ドルガ神 を カーリー神より身近に信じ

その事を見破れずはずがないと、師に対して 嘘 をついたことが許せなかった。

さらに、その日、タントラの師が心こめて造り、持ってきた、護符すら

この日本人は身に着けることも無い ということを理解したことだろう。

 

いずれにしても、師と弟子たちは、それぞれの理由で、

自分たちを疎ましく思う 私の心を、感じ取っていた。

 

そして、そういう私に、師 は 呪術をかけられた。

呪術 という言葉は適切ではないとしたら、師は その時の怒りを・・

帰宅後、弟子たちを前にして、想像以上の怒りを私にぶつけられた~と

Aさんが翌日報告してくれた。 

その怒りが或る意味で、呪術のような力をもち、人を殺めるほどの

念的エネルギー波動であることを、私は自ら、体験することになる。

さらに、その念をかわし、守るために、自分自身の”念の強さ”を

確かめる ”行” をさせられる。

それは、”念の応酬合戦” の 真っ只中に 生まれて初めて 意識 

を持ちながら 身 をさらす”行”でもあった。

 

 

 明日に続く~           

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