12月13日 登場人物 ビーマの比喩的意味
主要な登場人物はそれぞれ比喩的な意味合いを
込めて、象徴的に出現していることを
昨日のブログに書いた。
例えば、ギータ(バカヴァッド・ギータの略称)
の4~6節にはパンダヴァ5兄弟の特質を挙げて、
それぞれが解脱するために必要な要素である
ことを示唆している。
同時に、8節には、敵対するカウラヴァ兄弟は
5兄弟と相反する特質を持ち、解脱しようとする、
人の精神性の足を引っ張る存在として描かれている。
もう少し具体的に説明するために、ヨガの大聖典、
ヨガスートラの一節を紹介したい。
II~3に書かれている、
”klesha, or troubles, is defined
as fivehold:avidya(ignorance),
asmita(ego),raga(attachment),
dvesha(aversion),abhinivesha
(body attachment).
Since the Lord is free from these
eight imperfections inherent in creation,
the yogi who seeks union with God
must likewise first rid his consciousness
of theseobstacles to spiritual victory."
協会訳)
”問題を引き起こす原因として5つある。
無関心、自我、執着、嫌悪、肉体的執着心である。
神はこうした不完全性が無いゆえに、
ヨギ(解脱のために修行する人たち)も、
これらの資質から離れて、
神との一体感を味わうことが必要だ。”
自我意識は、英語ではegoと訳される。
エゴの持つ欠点として6点挙げられる。
・肉体欲 ・怒り ・物質的強欲
・幻想 ・プライド ・嫉妬”。
この中で、”幻想”というのは
”delusion" の訳である。
つまり、”無いものを有ると思い、
はかないものを永遠と勘違いする”ような、
肉体感覚機能を受けて得る認識を指す。
そこで、この一つ一つをギータの
登場人物を踏まえて説明すると・・・
1) エゴイズム(自我主体主義)
ビシュマに象徴される。
言霊的に見ると、ビシュマの名前は、
サンスクリット語の bhi という接頭語から始まる。
この意味は、”脅かす” という意味。
実際、パンダヴァ5人兄弟にとって、精神的に、
ビシュマの存在はもっとも厄介なものだった。
ビシュマのエゴは、霊性高い世の中を
築きあげようとする、5人兄弟の、霊的パワーの源、
ハートのチャクラの光を脅かす源でもあった。
ヨガ大聖典を書いた パタンジャリは、
”ego is when the soul, or seer, the image of God
in man, forgets its true divine Self and
becomes identified with the powers
of perception and action in the instruments
of the body and mind." *1
協会訳 ”自我意識は 魂(アートマ)、
あるいは、求道者本来の、神と同質な、
神聖な特質であること
を忘れ、身心で受得する認識こそ、
自分自身であるという誤った自己認識意識である”
としている。
”私が、私を、私に、私の”意識は、
本来の叡智を感じる アートマを覆い隠す。
しかし、同時に、その私~意識(自我意識)
も使いようによっては、アートマ意識に
到達する手段となり得ると、ヴェーダ
では説く。
どういうことかというと・・・
この意識が”純粋なアートマ”からの直観で
動かされていくと、”私”というエゴ意識自体、
限りなく純粋な本来の神性意識に近く
なっていくということでもある。
つまり、一概に 自我意識が悪いという
わけでは無い理由がここにある。
I-ism( 私意識 )そのものが元凶で
あるというわけではないのだ。
五感の感覚機能で取り入れた 心象、
感覚、判断 意識、それらの主体こそが
”私である” と誤解することが、
問題なのである。
そのあたりを、ヨガナンダ師は次のように語っている。
”When identified with the gross senses
and their objects(the physical body and
material world), the 'I-ness'
becomes the wisdom-destroying
physical ego.
When identified with the subtle
instruments of perception and knowledge
in the astral body, the 'I-ness' becomes
a clearer sense of being, the astral ego,
whose true nature may be adversely
affected by the delusive influence
of the physical nature; or, conversely,
be in tune with the instrumentality
of the physical conciousness of the causal
body and thus become the discriminating ego."
*2
協会訳)
" 粗野な感覚で受け止めた対象物
(肉体や現象界)を きちんと認識できる
(夢幻として)のなら、
”私~ism"は 肉体自我を取り崩(くず)
す智慧となるだろう。
霊体にそなわる、”繊細な知覚”と”霊的知識”を
自覚することができれば、”私~ism"は、
肉体自我を超越して、限りなく本来の
自己意識に近づき、肉体を自我ととらえる、
感覚がまやかしであることにも
気が付くだろう。”
ビーマに象徴される自我意識は
そういう意味では むしろ肉体次元に属し、
それゆえに、5兄弟の頭を
悩まし、戦闘においても、もっとも、
強敵の一人であったことは間違いない。
続く~
*1 The Yoga of the Ghagavad Gita
by Paramahansa Yogananda Self-Realization Fellowship"p41
*2 same as above:P42
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