局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

移り変わるもの

2010-02-16 16:01:28 | 記憶の箱
日曜日、この日も寒かったがお昼過ぎにオットとちょっと長めの犬の散歩に出かけた。

この日は普段あまり行かない大通りを横断して今住んでいる家からみて駅の反対側まで歩いてみた。

すると今の家に住む前に5年間住んだ賃貸マンションがなくなっていた 



ムスコが1歳半くらいの時、ムスメがお腹にいる時にここに引っ越してきて、娘が小学校一年の春までここにいた。
髪を振り乱して子育てに奮闘していた時期の大半を過ごした場所・・・


私たちが都心からここに越してきた時、もう一人家族の増えることでそれまで住んでいたところが狭くなるし、ムスコは喘息と診断されて少しでも郊外に行ったほうがいいと思ったのである。住んでいたところは東京でも空気が悪いスポットに近かったし、今だったら色々なところが近くて便利♪と思うけど、その当時は子育てには向いている場所ではなかったのだった。
なんとなく引っ越したいねといって確か弟の車でふらりと覗いた不動産屋でこの物件を見つけて一目ぼれしたが、他の同じ条件よりかなり安いけど大家がうるさくて店子の職業を選ぶという高飛車な事を言われた。他にも希望者がいたが、どうやらおめがねにかなったらしくて借りられることになった。

大家はこの辺の大地主で大金持ちのおじいちゃんだった。
当時 このマンションの向かいにアパートがあって そこの掘っ立て小屋が大家さんの事務所代わりだった。
そこで家賃や駐車場代を現金払いの人から日曜日などは受け取っていたおじいちゃん。
私たちが引っ越した当時挨拶に行ったら、ちょうど集まった家賃を数えていた最中だったらしく
「ああ よろしくお願いしますね」と元はお百姓さんだったのがしのばれるごつい右手を差し出してきたのだけど 左手には分厚い一万円札を握り締めていたのがおかしくて笑いをこらえるのが大変だった。
大金持ちなのにいつも地下足袋を履いて麦藁帽子をかぶって マンションの庭の木の手入れはいつも自分でやるし、気が向くとトラックで庭木を運んできて植えるのにはお金を惜しまなかったが、建物に不具合があると業者使うよりまず自分で直すという 気前がいいんだかケチなんだかわからないおじいちゃんだった。

もうその大家は亡くなり、今はそこのムスメ婿が残された不動産を管理しているらしい。
アパートと掘っ立て小屋もこぎれいなマンションに建て替えられた。
私の住んでいたところも今はせいぜい築20年だし、鉄筋だったからもっと持つだろうけど、直し直ししているよりは綺麗なのを建てちゃって貸した方が高く貸せるのかもしれないし。他にもたくさん不動産を持ってるみたいだから資金には困らないのであろう。
まあお金持ちは思い切ったことができるもんですね。

3階と低層で一階に4所帯 あわせて12所帯の小さなところだったけど、一階には芝生の庭があってブランコを置いたりして遊ばせられるので当時は便利だった。ちょうど隣には家の子より1歳ずつ年上の兄妹がいて、そこの奥さんとも仲良しになった。
夏には交代で庭にプールを置いて水遊びさせたり、小さなサクラの木でお花見の真似事をしたり、その木にたくさん毛虫がすみついているのを発見して大騒ぎしたこともあった。

敷地は広かったので駐車場の空きスペースでウチの子供たちは自転車の練習もできた。

駅の反対側の今の家に引っ越してきて、ごくたまに前の家のそばを通ることはあったが、広さの割りには家賃も安くて駅にも近くて日当たりもいいので いつも空き室はなくて誰かが住んでいる状態だったのでこんなに早く壊されるとは思わなかった。

建築確認で後に建てられるのも共同住宅となっていて大家も同じ名前だったので、小奇麗な新築マンションが建てられるのであろう。

私は実家は生まれたままの家なので、自分の思いいれがある場所が壊されているのを目の当たりにしたというのは初めての経験である。

なんだか淋しいこと。

子供たちに壊されたマンションを写メで送ったら

「へ~ なんか淋しいね」と同じ感想が帰って来た。 
コメント (4)
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