局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

無人島にはワケアリカップルとともに

2007-11-12 23:52:31 | 
さて、壱岐二日目 旅館の方が天気が良いのでぜひ離れ島にと勧められ、私とFさんはドロエステに心を残しながら辰の島という無人島に行くことにした。

貸してくれた軽自動車を私が運転して港へ ちょうど同じ旅館に泊まっていた中年夫婦(?)も同時にレンタカーで現れて四人で島に行く船に乗せてもらうことになった。



透き通った海に白い砂浜が広がる。夏は海水浴場になってにぎわうらしいがこの季節は誰もいない。船が帰った後は 私達四人。



島は海にそそり立っている 周辺は殆どが崖。海面から50mくらいの高さの崖っぷちに手すりやロープさえない。



蛇ガ谷という所 この突端まで行けるらしいけど風が強かった上、足がすくんでいけない。
火曜サスペンス劇場で片平なぎさが犯人を追い詰めるような崖っぷちだった(笑)



山の中腹には色づいた木もあり、草原にはすすきやつわや野生の菊の花が咲き乱れて秋の景色が美しかった。

私もデジカメで写真をとったが、同行のカップルも 男性は高級そうな一眼レフ、女性の方は小型のデジカメでそれぞれ秋の景色を撮っていた。
四人で歩いていたので 自然と話すようになり、男性の方が 「お二人を撮りましょうか?」と私のカメラでFさんと一緒のスナップを撮ってくれた。お返しに私も二人を撮ろうとしたが、なぜか頑なに 「いえ 私達は風景専門ですから」と撮ってもらおうとしない。

ちなみに男性の方は痩せ型でテーラードカラーの皮ジャン、ちょっとこじゃれた風の眼鏡をかけた50代半ばくらいの小金持ちそうなチョイ悪風、女性は40代後半、やはりこぎれいでケバくはないが濃い目の化粧の人だった。バッグと靴はトッズだった(我ながらよく見てるわね)

帰りも同じ船に乗って帰ってきて 二人はまた違うところに行ったようだが、私とFさんは旅館に帰った。 
従姉妹と島茶漬けを食べながら (また食ったんかい)「なんか あのカップルって夫婦にしては不自然だったよね~」「だいたい二人の写真を絶対撮らないってどういうことかしらね~」「やっぱり証拠を残しちゃまずいってことですかね~」なぞと小声で話していたら(まあどうでもいいんですがね)
従姉妹が 「ああ あれはワケアリたい。わたしは昨日の猿岩の時から そう思ってたとよ やっぱりお忍びは島に来よるとね~」 とあっさり結論づけてくれた。

なるほど・・・

確かに ワケアリカップルにもお薦めの隠れ宿です(笑)





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どこに行ってきたかと言えば・・・

2007-11-11 19:49:11 | 
福岡に飛び、博多港からジェットホイールに乗って長崎県の壱岐まで行ってました。
同行は夫、夫の従姉妹、着物仲間のFさんの四人。

従姉妹の会社で行きつけの旅館がとても素晴らしい(食べ物も温泉も)と言うので一度はいってみたいと思っていた。



夕刻に壱岐港に着く。ちょうど夕日が沈む時刻だった。海に熟れたような太陽が沈むという景色って胸に染みますね。



港まで旅館のお迎えが来てくれていて、途中、奇岩 猿岩に寄ってもらう。
本当に猿の横顔にそっくりの岩が海中から突き出ているのよね。

旅館はO山旅館(Oは平です)
ここのお料理は有名らしい。グルメの従姉妹も褒めていたので期待がふくらむ。
建物もそう大きくはないけど、掃除も行き届き、随所にある生け花なんかも自然でステキ。お風呂も天然温泉だった。従業員もとても親切。

楽しみにしていた夕飯は

  

先付けの小鉢も気が利いていて 新鮮なお刺身類。特にあらがおいしかった。あらの肝って言うのも初めて食べたけどホント珍味でした。

  

さざえのつぼ焼き 鯛の塩焼き 写真撮るのも面倒になったので このほかにも透き通ったヤリイカ あわびのステーキなど ゲソの天ぷらの揚げたてもおいしかった。
 
  

ウニと海老の入った豆乳蒸しと 今朝とれた卵で作った特製プリンがデザート。

お酒は 島焼酎 壱岐では麦が主流らしいのでそれを。クセがなくておいしかった。例によってよく飲みました。

途中 女将が様子を見に来てお話した。従姉妹がしょっちゅう来ているので話も弾んだ。60を少し過ぎたくらいとお見受けしたけど、綺麗で とにかくエネルギッシュな方。繁盛している旅館の女将の仕事だけでも大変だろうに、ここで出される無農薬野菜の栽培、ここの名物の島茶漬けのインターネット販売(お取り寄せお薦めです。)茶漬けに添える梅干は彼女の手作りだそうだ。
あっさりと 「毎年量が増えましてね、去年は1t着けたとです。梅干用のハウスを2棟建てよったですと」 と言う 
その他島興しのイベントなど多数主催したりかかわったりして全国飛び回ることもあるようだ。
とにかく元気で前向きで明るい女性だった。お話できてよかったと思う。

もうダメと言うくらいたくさん食べて(おいしそうな炊き込みご飯と果物はさすがにはいらずおむすびにして部屋に届けてもらった)温泉に入る。

男湯と女湯の他に 3つ家族風呂があってそれぞれに露天風呂がついている。サウナもある。
お湯は鉄分が入っているらしくて最初は透き通ったのが出てくるが時間がたつと茶濁するらしい。とても温まりお肌つるつる。

かわいそうに夫は次の日の朝一で仕事なので、最終のフェリーで福岡に戻った。
夫を送った後は浴衣でのんびり女三人でくつろいだ。

従姉妹とFさんは初対面だったが絶対に気が合うと私は予想していた。
とにかく気風がよくて太っ腹。おいしい物に目がなく自分も料理上手でふるまい好き、世話焼きという同じ匂いがする。それにかなりのお金持ちでもある。
案の定二人は盛り上がり、今度はどこに行こうか イタリア?ベトナム?などと勝手に話が進んでいる。「局ちゃんももちろん一緒よね」って言われたけど、彼女たちと行くと局家の経済に破綻が生じる恐れがあるので注意しなくてはならないと思う。
そしてまた懸念が一つ。以前Fさんと飲みに行った時にも話が出たけど 「女は家族の影響じゃなくて友達の影響で太る。友がデブだとみんなデブ」の法則であります。これだけは阻止しなくてはならない。
この夜もあれだけ食べた後 私以外は大きなおむすびを 「不思議に入っちゃうわね~ あらおいしいわ この炊き込みご飯」と召し上がっておられた。

私も勧められたが さすがに 無理っちゅうものであった。



次の日の朝食がまたよかったのよね。



天然干しのアジの開きと手作りのしっかりしたお豆腐 これについていたなめろう味噌も絶品。それとその朝採った女将の畑からの生野菜のサラダがボールいっぱい。

帰りは2時過ぎの船だったので、従姉妹はここで泥パック(女将が死海のドロをドラム缶いっぱい買って帰ってきたそうです)とオイルマッサージでくつろぐといったが、私とFさんは 辰の島という無人島に行くことにした。

                 続きは明日にでも

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絶景でした

2007-11-10 10:09:09 | 
誰もいない晩秋のビーチを堪能
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そしてさらに無人島へ

2007-11-10 10:07:05 | 
気のいい船長さん
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日本海の荒波にもまれ

2007-11-10 10:05:23 | 
私のもとに食べられにきてくれたお魚さんたち

タイ あら ヤリイカ あわび 車海老ちゃんたち…
ありがとうm(__)m
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飛んできました

2007-11-08 21:56:51 | 
海も渡りました。
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忙しいと余計

2007-11-07 19:20:49 | 描く
先週の連休前からずっと外出が続き、舞台も映画も見た。その合間を縫って家のことと仕事 ジム行って絵付けして、犬の散歩は欠かせず・・・

夕飯終わるとへとへとであります。でも、そういう時期に限ってなんか作りたい病が高じてしまう。

特に宝塚の舞台に刺激されて、何か綺麗なものが作りたくなった。

ってここのところ描いたのがこの三枚のスカーフ。

紫の菊

 

ピンクの薔薇

 

紫の薔薇

  

紫の薔薇は 轟悠さんのイメージで

なんだかんだ言って はまりつつある私 宝塚もペイントも・・・
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宝塚超初心者の観劇記

2007-11-06 19:45:29 | 見る(映画 劇場 美術館など)
3日に轟悠さんのコンサートを観にいったので それで感じたことを忘れないうちに書いておこうと思う。

一緒に行ったのはこのところの舞台観劇仲間N。彼女は年季の入ったヅカファンで出待ち 入り待ち お茶会も参加。諸事情もあってジェンヌの知り合い、その父母などの知り合いも多い人である。 彼女に誘われまあ半ばご招待状態で行ったわけです。

タイトルに記したとおり 私は超初心者ですから、舞台の上の人たちを見ても本当に区別がつかない。化粧すると同じ顔に見えるし、まして、プログラムに載っている普段の顔と舞台の人を一致させることは殆ど困難なんですね。
そう言ったら 「慣れだよ 慣れ」とNに言われたけどね。

だけど そんな私でも 轟さんって言うのは他の人たちとたとえ同じ衣装で舞台に立ったとしても区別がつくであろう 特別オーラの持ち主だってことはわかるのよね。
彫刻のような美貌とスタイル。一昔前の少女マンガの主人公のヒーローの体現なんですね、これが。。。確かに美しいと思う。
そして表現力っていうか役への成りきり度って言うのもすごいんだろうと思った。

ちなみに、Nの友達のジェンヌママにも紹介されたんですが、ああいう父母の方たちっていうのは いつも娘のプロフィールを持ち歩いて宣伝活動をしてらっしゃるんですね。その中の写真でトップと写っているのを見たけど Nの解説によれば
「ね、このトップの人と表情が違うでしょ、こっちは行っちゃってるじゃん、まだ彼女(3年目)はそこまで自己陶酔できてないって言うか中途半端なんだよね、表現が こういうのところがトップとの差なんだよね」とのこと。
なるほど深い・・・

ってことは観客の側も陶酔できないと真のヅカファンにはなれないんじゃないのかなあ・・・ とも思った。
別に今更真のヅカファンになりたいわけじゃないんだけど、こういう観劇で胸ときめかせられるって幸せじゃないですか、「無償の愛」の対象があるってピュアなことじゃないですか・・・ と どうも邪念が入りまくる私は思ってしまうのよね。
情熱を傾けるものからのフィードバックがなけりゃいやです。省みても恋愛とか憧れとかの場面で現実派だな つくづく。

って こういう事考えながらの観劇は異端なのかしらね? でも異端は異端なりに舞台とそこに集まる観客の人たちを観察して楽しめるもんです。

あれこれ理屈づけつつ舞台っておもしろいわ。
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最後の祭に

2007-11-04 22:41:06 | 家族あれこれ(犬も含めて)
夫と息子の学園祭に。
おととい実家の父母と電話で話した際、そう言えば 「OOの文化祭があるんだよね。」と言ったら、「最後だから行ってみたい」 とのこと。急遽二人で上京するということになった。
最寄の駅で待ち合わせて大学に。

そう言えば 私は大学の時に両親を招いたことはなかった。父も現役で何かと仕事が忙しいこともあったし、私自身、そういうイベントに対してクールだったのだと思う。学園祭の時期は旅行に行って過ごしていたような・・・

しかし、息子はお祭り男ですからね。学内のサッカー大会にエントリーして出場したり、自分のサークルの模擬店の凝った飾りつけにこの半月かかわっていたらしい。

キャンパス内で息子に会って 模擬店の食べ物を買い、サークルの仲間に 「俺の父母とじいさん ばあさんだよ」と紹介された。
「OOさんのご家族ですか?」とみんなとても親しみ深く挨拶してくれた。
ここに彼の居心地のよい場所があったんだなと改めて思った。

この素敵な環境でいい四年間を過ごせてよかったね。

父母にも喜んでもらえたようだ。帰りにホームで見送った後姿は年取ったなとも思うけど、まだすぐさま東京まで行ってしまおうとさっさと決めて実行する気力があることは私にとっては嬉しい。
家に帰って「本当にOOは良い子だねえ」との電話があった。年寄り受けは母ゆずり(笑)
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ALWAYS  続 三丁目の夕日を早々見た

2007-11-03 23:58:24 | 見る(映画 劇場 美術館など)
友人と六本木ヒルズにて。

前作がかなり好きだったので はっきり言っておそるおそるという感じだった。
だって たいてい続編とか 二作目ってがっくりすること多いじゃないですか?

3時半ごろからの上映に行ったのだが(午前中は轟悠のコンサートというハードスケジュールw)ほぼ満席。場所柄カップルも多かったが 年配の夫婦や友達同士なんかも見られた。
殆どの人たちが 前作を見ているのだろうと思うが、妙な一体感がそこにあった。
一平や淳之介が出てくると 近所の知り合いの子どもに再会したかのような親しみの笑い。 鈴木オート社長の切れる場面や 茶川の情けなさっぷりなんかが もう お約束ネタとして受け入れられている ある意味馴れ合い感。

それが悪いと言うわけじゃなくて なぜかこの映画が持つ 独特の観客とのかかわり感を作り出しているような気がした。

ですからね、ストーリーはほぼ予測がつく感じの展開だったし、ここは笑わせどころ、泣かせどころってわかるんだけど、ちゃんとそれに乗れてしまう。
「こだま」に乗ったヒロミが茶川の小説を読む場面では確かに泣けた。

ってことでちゃんとお金を払って見てもがっくりはしない続編だと思った。
いっそのこと シリーズ化してくれてもその都度楽しめるのではないかとも思った。水戸黄門みたいに(笑)

そして、前回もそうだったけど CGで表現された当時の様子はすごかったですね。
テーマのコピーみたいだけど 「34年・・東京の空は広かった」 って 確かにそうだったんだろうな。

この映画の中の風景で一番印象に残ったのは当時の日本橋です。
空が見えて、川が臨める橋。そもそも橋っていうのはそうであるべきものじゃないですか? そういう条件の元で 人は橋を渡り、時にたたずみ、空や流れる水やを見て色々な思いをはせる。
現況の日本橋が本当にかわいそうだと思った。あの歴史のある橋の上に高速道路を作ったって暴挙だと思うわ。


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お受験の季節だね

2007-11-02 19:13:35 | 記憶の箱
昨日の昼間電車に乗ったら 幼い子どもを連れた紺色づくめの親子三人組をちらほら見かけた。そう言えば 11月1日 東京の小学校受験の日なんだなあと思った。
懐かしかった。

家は夫も私も小学校受験組だった。と言っても大学までのエスカレーターじゃなくて節目節目でその後受験もあり大学も一般受験したからのうのうと遊べる環境ではなかったけれど。だから何となくというか当たり前のように 夫婦も 両方のジジババも 私達の子どもは小学校から国立または私立の学校に行かせるのだろうという意識はあったと思う。
だけど 息子は喘息だったことや学区の関係から受験はしないで公立にすすませた。中学受験からの中高一貫の学校の方が魅力的に思えたこともあった。だけど地元の公立ってのが家の息子の学年はひどく荒れていて 担任も 四人のうち二人はよかったけど 一人は教える能力がない30代男 もう一人は人間的にも最低と今でも恨んでしまうほどひどい50代の男の先生に当たってしまった。
息子はそう曲がることなく育ってくれたけど、あの時代がなかったらもっと穏健になったかなあなんて思うこともある。(まあたくましくはなったけど)

だから 本腰を入れて取り組んだのは娘の受験の時だった。
一年だけだけど受験塾と体操教室に通わせて模試も受けた。親の模擬面接なんかも受けた(笑)
娘は4月生まれだったし上の兄弟もいたので何でもすんなり器用にこなしてたので そう親子でその受験のための「勉強」に関してはストレスに感じることはなかった。
ただ、私立の小学校が求める 「親子像」「家庭環境」ってものが、娘の様子や親子面接なんてものからうかがい知れてしまうと言うのはなかなか大変なことだったと思う。
求める子ども像を端的にいってしまえば、家庭内が仲良く、親が子どもに愛情深くしかしきちんとしつけている。
例えば、毎食きちんと母親の作ったバランスの良い食事を食べ(おやつなんかも手作りだったりするとモアベター) 季節季節の行事を大切にして(お月見なんかはお母様とすすきを飾ったりすると望ましい) そして 朝ごはんの席でお父様が社会の出来事なんかを子どもにわかりやすく解説したりして(世界のこの国で今戦争が起こっているんだよ 何かOOちゃんに出来ることはないかな なんて問題提起するようなとうちゃんが望ましい)

んなもん無理じゃん。だいたいその頃の夫は今以上に多忙。職住が近かったにもかかわらず殆ど深夜帰りで泊りもしょっちゅう。子育ては殆ど私の役だったし、年子だったので そんな悠長に丁寧に夫婦で子どもに向き合うなんてそれまでできなかった。

まあその私立学校があげる理想像って言うのは間違っているものではありませんからね。むしろちょっと前のよき日本の家庭像にグローバルな視点っていうのを付け加えた理想家庭をあちらは求めているわけだから それを無理して形作ろうとするのは悪い事ではないと思った。
ですから かなりの付け焼刃だったのだけど、それなりにがんばったわけです。受ける学校の沿革とか教育目標を分析し、塾のアドバイスなんかも聞いた上で夫にレクチャーして、結構お受験ってものが大変だよって事を理解してもらった。(自分たちの経験は殆ど記憶にないからね)
私の言うことも聞くことは聞いていたが、夏休みに模擬面接を受けて しどろもどろになった経験を経て夫も変わった。割りに甘く見ちゃいけないって事を感じたらしい。そうなると、自分の受験に関してはその度燃えてクリアして来た人だから結構真剣になった。

この経験でよかったなってことは、それまでもちろんお互いに環境が違う家庭で育った(私のの母親と姑はかなり性格も家庭運営も違ったので)、私達夫婦が ある意味 スタンダードの子育ての指針ってものがはからずも与えられたことだったと思う。 どちらの家庭がスタンダードに近かったのかは敢えて言いませんがww
そしてそれを踏まえて 受験クリアと言う共通目標を持ったことで 子どもに対してかなり真剣に向き合えた時間がもてたこと。
結論から言って この経験で夫はかなり変わったと思うから。それまでは仕事にかまけて子育てに決して積極的な人じゃなかった。その後はそりゃあ忙しくて物理的にかかわらなくても かかわって行こうと言う意欲だけは感じられた。それだけでも私にとっては嬉しい変化だったから。

だから我が家にとってはよい経験だったと思う。

お受験というと 特殊なもの。あんな小さい子に色々詰め込んでかわいそうなんて話も聞かれる。
私も沿線の女子小を受けに来ていたであろう母子数組が、電車の中で一斉に折り紙をやりだしたのを見て 「そこまでやらんでも・・・・」と思ったこともあるし、模擬試験の後で男の子を叱り飛ばして泣かせている母親も見たことがある。
まあ、そこまでヒートアップすると怖いもんがあるけど 子どもの小さいうちに子どもと向き合って色々なことを教えたりする親子の時間って上手に使えばいいものなんじゃないかしらね と 思う。
この頃は物騒で なかなか公園などで子ども同士で遊ぶ機会も減り、ほうっておかれた子どもたちはどうせゲーム三昧になりがちなんだから。。。 それよりはましな時間の使い方だと思うけどな。

娘は入りたい学校に入ったわけだけど、それが彼女にとって良かったか悪かったかはまだ計り知れない。ただなかなか窮屈な学校で 私も色々苦労はしたけど、全体的にはいい教育をしてくれた学校だったと思う。
娘も厳しすぎると文句を言いつつ 大学になった今も 何か悩みがあると中高の先生を訪ね、週末はたいてい その頃の仲間と遊んでいる。離れてみると本当によかったと思えるらしい。

かと言って小学校で不合格になったからと言って その後の人生が狂うわけじゃないですからね。チャンスはそれからたくさんあるしね。
ただ、今は 緊張したおももちで面接スーツで学校に向かう親子に 秘かに 「がんばって」とエールを送ってしまう。


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娘のその後

2007-11-01 11:16:18 | 家族あれこれ(犬も含めて)
さて 京都に撮影旅行(?)に行った娘はその後もっと西にシフトして(夜行バスで)九州に行っている。
家の夫の両親は九州出身なので あちらには夫の従兄弟たちがたくさん居るし、行けば歓迎してお姫様扱いしてくれるので 居心地がいいらしい。
行ったきり帰って来やしない。

と思ったら 先日こんな写真。

気合を入れてから土俵に上がるのが特徴の人気力士とのツーショットが送られてきた。

ソフトバンクの選手や力士などもお客に多い割烹に夫の従姉妹に連れて行ってもらって一緒になったらしい。
「ここのフグって最高だね」 って 20歳の娘が贅沢しすぎ! 母は河豚なんて食べたのは30過ぎてからだったと思います。
家に帰ってきたら粗食に耐えるのだぞ。

さっき 「スカイメイトで今から飛行機乗るね、おいしい明太子ってどこのだったっけ」って電話があった。「稚加栄!」と返信はしといた。
本当に食に関してはマメな娘だわ。
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