予定と言うか構想には無かった設えなのだが「成り行き次第」の作業でもあるから終わってみなけりゃ分からない、と言う面もある。作業の積み重ねで漸く完成形に近い姿が眼前に現れ「ヤレヤレ嬉しや!」と思う反面「右岸の障壁」とも言うべき出っ張りが目につくようになってくる。「これが無ければ急カーブにならずに済むし侵食圧力も減少するはずだ」との思いが芽生えてきた。ではどうするかの答えは「取り除けば良い」に尽きるけれど爺力0.2馬力以下ではどうにもならない。
そこでつらつら、テカテカ頭頂部をナデナデいい子いい子しながら考えたのは「水流を制御して左岸方向へ侵食圧力を向ける」と言う事だった。これなら設えは丸太を横たえ杭止めしておくだけで数年単位の時間は必要だが放置で構わない。となると性分がもろに現れて一休みする心算をしていたのに出かけた。必要な杭は無く、据える丸太材も無いけれど「現地調達」と大日本帝国陸軍工作隊に成り代わっての出陣である。この日の構想は段差工を施した二段目に整流木を二本並べる事にあった。この二本の抵抗で増水時には突撃流が緩和されて下流方向へ制御されると言う絵面である。
用材は上流部の流木が折り重なりテンヤワンヤ状態の場所から調達し、杭も腐食して心材になっただけの倒木から作り出した。固定できる品質があれば良いので何とか用意出来て打ち込み、ここだけは番線で結索しておく。使う予定の無い2mの端材がもったいないので使い、都合3カ所に整流木を設置する。終わってみれば3本ではコブを侵食させるだけの効能までは及ばず、もう1本コブに突撃流を向ける丸太が必要だった。がしかし、体力気力と頼みの膝小僧・腰娘の不機嫌さが解消しないのでこの日はここまで。翌日からは雨予報なので数日は休める。
写真右側の丸太の先端方向に出っ張りがあり、その先端には排除できていない根株があって、これが屈曲を強くしかつ水路幅を狭めている元凶なのだが、この根株に続く右岸の瘤を侵食流で排除出来れば流路の拡幅が完成しコーナー部の侵食圧も減衰するはずである。根塊が露わになれば切除も可能だ。かの治山治水に実績を残した賢将、信玄公に倣うアナログ制御方法だけれど神君・家康公の言う「人の一生は巨木を曳いて三途の河原を行くが如し」との喝破をまた我も体感しているのである。「夢は儚く破れてもくじけちゃいけないバズが爺・・・」それに加えて「我が人生に杭無し」で、朽木を使う羽目に、てなもんや三度笠。