トンボの「我が世の春」も残り一週間ほどで終わる。既にマユタテアカネとオオアオイトトンボだけが日当たりの良い一画でボッコ中である。数日前にオオアオイトトンボの連結体を見たのだが、心配なのは有精卵が出来てどの枝に産卵するのか、と言う事だった。既に日当たり良好の狭い範囲でしか生存確認が出来ない。オオアオイトトンボの産卵は水面上の枝なのである。産卵場所で言えばモリアオガエル同様だ。トンボ池畔ではヤナギの大樹しかなく、この枝先に産卵するしかないと思っているけれど、枝先での産卵確認は視認できない高さだ。
一昔も前に、池の傍に植えたマユミの枝で集団産卵をしていたのを見たのが最後で、そもそもその樹は枯れてしまい追加で植え付けした樹は樹皮を白くさせてキノコだか苔だかに侵され衰退中で産卵枝は無い。
この番いも若さ溢れるカップルとは言い難く、老熟カップルと勝手に結論付けしている結果、有精卵を打泥産卵するだけのエネルギーがあるのかどうか気にかかる。とは言え考えるまでも無く有精卵を生じなくても打泥産卵せずとも義理も義務も無いのであって、この世の惜別として最後の選択、営みだと互いに情を通じ、しばしの時を過ごしていたとしても不思議はない。まあ、こんな風に考えるのは生殖とは圧倒的に関係のない回数をこなすホモサピエンスの穿った見方だろう。反省!反省!大反省!。
まあ、こんな考え方、我が身を振り返っての妬みや嫉みでも決してありませんからぁ。グローバルな世界基準ですたい。ホント、ご馳走様です。
一昔も前に、池の傍に植えたマユミの枝で集団産卵をしていたのを見たのが最後で、そもそもその樹は枯れてしまい追加で植え付けした樹は樹皮を白くさせてキノコだか苔だかに侵され衰退中で産卵枝は無い。
この番いも若さ溢れるカップルとは言い難く、老熟カップルと勝手に結論付けしている結果、有精卵を打泥産卵するだけのエネルギーがあるのかどうか気にかかる。とは言え考えるまでも無く有精卵を生じなくても打泥産卵せずとも義理も義務も無いのであって、この世の惜別として最後の選択、営みだと互いに情を通じ、しばしの時を過ごしていたとしても不思議はない。まあ、こんな風に考えるのは生殖とは圧倒的に関係のない回数をこなすホモサピエンスの穿った見方だろう。反省!反省!大反省!。
まあ、こんな考え方、我が身を振り返っての妬みや嫉みでも決してありませんからぁ。グローバルな世界基準ですたい。ホント、ご馳走様です。