トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「肩に来て止まれや竿の無いトンボ」

2022-09-20 | 小父のお隣さん
 漏水孔潰しの土木作業。予定外の大仕事になって給水タイムに立ちんぼしていたら肩に止まったデートのカップル。まあ、昔からデートの最小単位はカップルからと相場は決まっているものの、よりによって「なんで姥捨て山の孤老の肩に止まるんかい?」が正直なところだった。これでは身じろぎも出来ん。生まれも育ちも南魚沼の雅な百姓家であれば「恋路を邪魔する奴は犬に食われて死んじまえ!」程度は合点承知の助なのだ。

 ゆえに祖父母の訓導「他人様に迷惑を掛けないように」をも忘れず「他人様ではないなあ!」と思いつつも雅な出生の結果、優雅に肩を貸して差し上げたのである。庇を貸したり傘を貸したりは常日頃から忘れない「江戸しぐさ」でもある。これは祖父母からと言うより時代小説の賜物か・・・。
 まあ、ごちゃごちゃ妄想はともかく悩めるカップルに肩を貸した、と言う事実は歴然として写真に残ったのであった。自分の視点からはほぼ見えなかったカップルなのだが当てづっぽうで数枚撮ったら「当たり」があった。これは盗撮にあたるのだろうか、考えても結論は出ななんだ。
 
イトトンボ類ほどでは無いけれどハート形が感じられる。きっとこのカップルが小生に送ってきた秋波なのであろう。トンボから送られても困るがどぶ板長屋の鳥追い姉さんからならもろ手を挙げて嬉しいし今夜の夢に出てきて欲しい。
 しかしここで重大な事実に気が付いた。トンボは竿が無かったためだが小生も竿を失っている。これでは「同病相憐れむ」でしかない。人生とはあまりにも過酷なのだと気が付いた一時だった。結局、鳥追い姉さんの件は夢と消えたのだった。この消沈はゆめゆめ忘れない。

           

除草除草と爺馬は蠢く

2022-09-20 | 水辺環境の保全
 泥水池1の除草が終わり順序からでは泥水池2になるべきだったのだがオオカナダモの抜き取りのため胴長をはいたので普段の長靴では水没してしまう泥水池4を次にしたのだ。しかしこの日も32℃を記録した真夏日で風の涼しさは感じられても日差しは強いままだし胴長だと胸まで防水布だから蒸れて不快この上ない。

 除草量は比較的少ない水域だから我慢したものの途中で漏水孔が判明し下段の接続池は干あがっている。理由も箇所も判明して一件落着したのだが漏水部の顕在化にはほとほと手を焼く水域である。まあ「身から出た錆」そのものだから文句も言えない。漏水孔を潰し接続池の除草を済ました頃から水が入ってきてようやく通常の姿になった。

 池の外周、護岸木内の植生は完全には排除せずに何株かのカサスゲは残した。まだ羽化するトンボがいるし植物体に産卵するトンボもいる。最後に接続部の池の刈り払いを行って終了。この部分も周年、湛水が望ましいけれど最終段なので水量が減れば干上がり易いし流域上部に漏水があれば干上がると言う宿命を背負っている。もともとが放流するための落差を解消する池なので、その意味では湛水の期待は出来ない池である。

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今日のエッ!品「糀発酵香煎でクラッカー」

2022-09-19 | 何よりの楽しみ
 他人様に「どうぞ!」と言えるようなものは作れない小生である。この日も雨降りお憑きさんではやれることが限られる。結局は午前の「糀発酵香煎のフォカッチャ」に続いて午後の一時を「クッキー」でも焼こうかとキッチンに立った。しかしレシピを眺めると砂糖もバターも「これ!」と言うほど多用する。お金が貯まるならまだしもお臍の周りに油を貯めてどうするんだいっ!、てなもんや三度笠で「プレーンクラッカー」に宗旨変えしたのだが、既に糀醗酵香煎を使う事を決めてあるから正しくはプレーンクラッカーではない「モドキ」であろう。
 まあ、最初に記したように他人様にご披露するものではなく自らご疲労するだけの物質であるからして問題は無いのだ。基本のレシピは下記の通りなのだが「糀発酵香煎」を加えるから水は用意しない。基準の薄力粉に「糀発酵香煎」を加えながら生地を調整していく手法だから「糀発酵香煎」の混入量は計測は不要だ。

               薄力粉        80g + 糀発酵香煎
               オリーブ油     大匙1
               黒ゴマ       大匙1
               塩         小匙1/2

 薄力粉に糀発酵香煎を加えながら生地の粘度を調整する。レシピでは80gなのだが少しばかり残ったので全て使い切ることにした結果110gほどになってしまったが問題は無い。

 作業に必要なクッキングシートが無くなって、わざわざ購入に走るほどでもないので午前に使用したシートをゴミ箱から再利用する。サイズがギリギリなのでまな板にテープ止めし木枠をその上にテープ止めして動かないようにしてから延ばした。枠に入っているうちに目印に合わせ切れ目を入れれば良かったのだが枠を外しプレートに収めてから切れ目を入れる羽目になっていささか形が不揃いだ。午前午後と同じような作業をするとぞんざいになる。まあ、切り方はどうとでも焼き上がりに違いは無い。
 ましてや出る時は呉越同穴であるからして三角形であろうと丸であろうと神戸牛であろうと稗粥であろうと「みな平等」である。これほどグローバルかつマイノリティも王侯貴族も無い縄文時代の様な安定した姿は類を見ないだろう。

 さて予熱180℃20分で焼き上がり。冷えてから試食するがクラッカーのパリパリ感が無くモッチリした感じだ。噛みしめると旨味を感じるけれど日持ちがしなそうなのでビスコッテイに真似て更に150℃20分焼いてみた。水分は多少は飛んで固めになったもののパリパリ感は出ずモッチリ感が残る。まあ、粉自体がクラッカーのレシピではないからやむを得ない。これで数日はお茶の友がある豊かな日々を送れるのだ。

          

 

台風前の漏水孔潰し

2022-09-18 | 水辺環境の保全
 台風14号の直撃コースか北東象限に当地が入る可能性が高まった。これはウカウカしてはおれない。自宅周りの始末もそうだけれどフイールドで始末しておかねばならないのが2項目あった。1点は送水管のバルブを閉じて送水を遮断しておく事。これは降雨出水に伴う砂泥の流入で送水管の詰まりを防ぐための処置で、今までに行った事が無いものの送水を続けていれば砂泥の流入は防げないのである。9月の定例会はこの対応で事実上不参加で栗拾いや草刈りをしている場合では無かった。もう1点の放水路の漏水孔、大きいものは2カ所で草刈りを行い水路を点検すると親指程度の漏水孔も幾つも現れていた。
                    冒頭の分水路写真の二カ所

 結局はバルブの閉鎖より優先するべき事項は棚田部の横に設えた沈泥池とそこからの放水路の補修だ。先日の見回り時に大きな漏水孔、と言うより泥水池1の除草時に放水路あたりからの漏水と思われるトンネルを発見したからで、上の棚に上がり点検し確認できた孔である。まあ、孔と言うより穴と言った方が適切な大きな空洞が地下にあった。大人一人は楽に押し込める空間で潰すしかない作業であるが「埋土をどこから調達しようか⁉」が真っ先に思い浮かぶ。

 とりあえず漏水孔を漏水口から崩しつつ穴を辿ったらくだんの空洞に行き当たった訳で、まずは空洞上部を崩して穴の底に落し胴突きで突き固める。空洞部の上部を崩すと座布団大になったが横の奥行きは更にスコップがはいるほど深い。そこまですべて潰す労力は持っていないから横穴の部分は土嚢を押し込んで応急処置である。
 座布団1枚大の縦穴に上の池畔の浚渫土を一輪車で6杯運んで埋め戻し終了。当然、一杯毎に胴突きで突き固めを行うけれど有機質の多い浚渫土なので締め固めきれない。要はフカフカなのである。有機物の入らない山土を入れ込めば最適なのであることは理解していても採土する場所は更に先になるから、ここは埋め戻しを優先した。午後にでも台風の予兆の雨脚が来る予報もあったからだ。
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 もう一カ所の漏水孔は視認した段階では地下1mまで直行していて広がっている感じであったが、ここはスコップで切り下げて粉砕し胴突きで鎮圧して誤魔化した。台風の襲来直前にもたもた作業は禁忌である。長雨で出水が続けば漏水トンネルは大きく侵食されて地盤構造の崩落にも至りかねない。越流も堤を流出させ大きな被害につながる。とにもかくにも姑息な手打ちであっても行っておけば多少は被害を遠ざけられようというものだ。
 小生、この歳になっては流失や崩壊した法面の復旧作業には身体がついていかないだろう。その前に骨身に滲みても崩壊を防ぐ手立てだけは何事にも先んじて行っておく必要があるのだ。

 大きい漏水孔二カ所はスコップと胴突きで、親指程度の孔はスコップで刺し崩し踵で踏み固めて応急手当が終わる。沈泥部の泥浚いも施し台風の出水に備える事が出来た。

         

                  御漏孔忘れた頃にin 漏だ

                  漏水は年中行事の水商売  てもさってもそじゃないか てもそじゃないかあ

危機一髪だった!

2022-09-18 | 今日は真面目に
 この日の水見回りでトンボ池内のミソハギの中に丸い物体が見えた。何だろうと思い老眼乱視遠近両用メガネを通して凝視したらそれは直径15cmにもなるハチの巣で外殻には多くのハチが蠢いていたのだ。
 この時点では堤の上だし距離も3m弱はあったから危険な感じは無かったのだが背筋が冷える思いだった。それと言うのも二日前に池の中のウシノヒタイやカサスゲの抜去を行ったばかりで、ハチの巣があるミソハギの株はそのまま残したのだが周辺に繁茂していたウシノヒタイは四本鍬で引き寄せ引き上げている。ハチの巣のある株の周囲を眺めれば距離にして80cm程度のところまで鍬の跡がある。ホントに危ないところだったのだ。

 仮に蜂を興奮させ攻撃態勢に入らせてしまえば両足は長靴で泥中にある。作業中だって一歩一歩長靴を抜き損じない様に歩かねばならない泥中歩行だ。ここで襲われれば長靴などスッポ抜け泥足で逃げる事になっただろうし何カ所も刺された可能性は否定できない。
 思うにウシノヒタイが周囲にはびこっていたにもかかわらずハチの巣のあるミソハギには抜去の動きが伝わらなかったとしか言いようがない。ラッキーもラッキーで神仏、アッラー、シバ神や太陽神のお蔭であった。
 ちなみに冒頭写真では左側上部の黒く影になっている所にミソハギの株があり巣があるのだ。その右側、日が当たり濁りのある水面が除草した部分で先端と蜂の間は襲われてもおかしくない距離で、向こう側からも除草して迫っている。種はアシナガバチではないのは巣の形と蜂の体色からもうかがわれるが確認する気力もない。クワバラクワバラ。

       

            

今日のトンボ「未確認飛翔蜻蛉」

2022-09-17 | 小父のお隣さん
 画像は無いけれど妄想でも白日夢でも幻視でも無い「違いない!」と確信した飛翔蜻蛉だったのだ。トンボ池と横手の草むらの上空数メートルのところを飛翔していた個体のシルエットには見覚えがあったのである。年齢的に「短期記憶はすぐ消える」状態であっても昨日も食べた「クラウンメロン」は忘れないし今朝も食べた「松坂牛のユッケ」も忘れない。

 上空を旋回している姿のシルエットは胸部が特徴的で方形に見える。これの記憶を呼び覚ませばサラサヤンマが出て来るが既に出現期は終わっており、真っ先に思い浮かんだのは「ハネビロエゾトンボ」である。過去何度か目撃もし撮影もでき産卵も羽化体も見たことのある種なのだが昨季も今期も視認できていなかった。
 最初に視認し撮影できた場所はすぐ横の林内だったから環境的にも違和感はないはずだ。このごろ増えたタカネトンボとの見間違いの可能性だがシルエットの角張方と言うか舟形ともいえるシルエットは独特の印象がある。

 S先生やSさんが居れば一発判定間違いなしだが小生の判断力では断定するにはいささか無理があって「ハネビロエゾトンボ」と胸は騒いでいるままである。せめて枝の先にでも止まり撮影できれば胸騒ぎは収まるだろうが高みを周回して木立の上に消えていった。シャローム・アデユー・アロハ・・・。幸せとは天高く消え去るものなり、なんちゃってシンデレラ・トンデレラ。

奮闘泥苦の甲斐もあり今日も泥田の今日も泥田の草が減る草が減る

2022-09-17 | 水辺環境の保全
 今夏は猛暑で雨が多かった事もあってか水域の繁茂が半端でない。と言うより天候不順で手が回りかねた事も一因だろう。既に水面の半分以上は閉ざされて早急に開け放つ必要がある。盛夏まではヤゴの羽化台として水域の植生はそれなりに必要なのだが秋に入ると「羽化台としての植生」より「産卵のための環境」を整える必要が増す。既に発生末期を迎えた種も多いからだし多くなる一方だからだ。

 水域の植生は急速に繁茂するウシノヒタイは根張りはマット状になるから鍬で掻き引けば大方は排除可能で容易な相手だけれどチゴザサはそうはいかない。細い茎を放射状に延ばし根張りも強固だ。いきおい四本鍬を打ち込み摺動させて根張りを緩めつつ泥付き根茎のまま曳上げる事になる。泥の中の移動を繰り返すことは体力を消耗するし長靴がスッポ抜けしないように気も遣う。脱げた足を泥中に突くくらいはどうとでも無いが沈は御免だ。

 水域の草抜きを開始しもう何回目だろうか。水面面積としては泥水池最大の場所なのだが日当たり良好の環境と言う事もあり半端な草勢ではなく既に草抜きを「そうせい、そうせい!」と我が背中を押し続けていた池なのだ。チゴザサもウシノヒタイも茎を長く伸ばして乱れ編みのごとくこんがらがって張り巡らされているから根茎を抜いて曳くとズルズルとお姫様のおすべらかしのごとく連なってくる。
 暑い最中、作業をいくばくも行わない頃でも意識が耄碌に変わってくる。チゴザサを曳く小生は泥映えでなく泥這いに思えてくるのだった。だからと言ってインスタ映えする状景は全く無いけれど・・・。

 重量にしてどれくらいなのか量る馬鹿もいないが鍬を打ち込み渾身の力で引きずらないと動いてくれない重さだ。これを泥の中を歩きつつ陸の凹みまで曳いて集積していくのだが足拵えが長靴なので油断はできない。スッポ抜け「爺さんコロリン」ともなれば財布から小銭入れからキーケースからスマホまで沈する羽目になる。ましてやチンまで沈してしまえば帰宅の運転でさえ…考えたくもない。

 終了させるに「二日程度」と読んでいたのに結果は天候不順もあり連続で作業は叶わなかったのだが単日でも連続作業はギブアップした手太楽であったしまあ、楽ではなかったと言う事に尽きるがまだ始まったばかりなのである。

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 水域内に侵出を許容していたミソハギも今回は全て抜去して久しぶりの池の全貌が現われた。ミソハギは陸地の植生だけで事足りて、水域内のミソハギはチゴザサやウシノヒタイの繁茂を助け温存する構成材になってしまうからである。
 この日、まだ水域にはクロイトトンボやキイトトンボが飛翔していたが水面に残る植物体で十分事足りる数になった。鍬では抜き取れず残ったチゴザサは水が清んだら手抜きで処理する事になるから「もう一日」作業が必要になるか。どちらにしても水商売は自転車操業であることは変らない。

 

今日のトンボ「オニヤンマの産卵」

2022-09-16 | 小父のお隣さん
 トンボ池の除草を終え直ぐ横にある流路の落込み部の壺にタカネトンボらしい姿をこの日も視認できたから撮影機会があった時のために落込み部の水域を眺める邪魔にならないようツゲやヒサカキなどの整枝をしたのだが下手の流路内のカサスゲの間にバックで降下するトンボの姿が見えた。
 ゆっくりと近寄って覗くとオニヤンマの産卵する姿が見える。めったにない機会なのでカメラを向けたけれどカサスゲや他の植物が邪魔をして全体をとらえ切れない。

      

 「仕方がないからお手紙書いた・・・」ではなく仕方なく「様子が判明すれば良し」として撮影したけれど半分は姿が無かったりボケてしまい、これってわが身の事⁉みたいだ。惚けが来てるし社会的には姿は無いも同然・同義語・・・。
 くだんの個体、上てから下てからと位置を変えて良い構図を捕まえるべき四苦八苦・苦心惨憺している小生には目もくれず産卵のための上下運動をつづけていた。降下して産卵開始し小生が脇でウロウロしていた10分以上、これは撮影した写真の打刻で判明しているが、それ以後も産卵していたから15分程度は続けていたに違いない。

 マルタンヤンマが草叢の中を後進降下して植物体に産卵しているのは何度も見ているものの、オニヤンマが開けていない場所に降下して産卵するのは初見である。

     

またもや漏水孔…

2022-09-16 | 水辺環境の保全
 泥水池1の抜去除草を行っていた途上、引き上げた泥付き根茎の崩れを押さえる丸太が欲しくて「たしか転がっていたはず⁉」と林接池への途中、二つ池の水位が低下しているのを見てしまった。上の棚からは十分な水が落ちてはいるし底が現われた部分へ流入水は流れていく。と言う事は当然、池内で漏水しているのであるが底を露わにしている範囲に漏水孔は見えなかった。
 きっとウシノヒタイに覆われている水際線のどこかに流入孔があるはずなので抜去除草は後回しにスコップと四本鍬を取りに行き、まずは水際線を見えなくしているウシノヒタイを鍬で掻き護岸木まで露わにした。漏水部だろうと見当をつけた付近も判然としないから池への流入部に浅く水路を穿って濁り水の流入速度を早く細くしてみる。この濁り水の筋を追えば漏水孔まで案内してくれるのだ。

 結果は歴然、予想した通りの何時も漏水孔の発生する範囲だった。この範囲が漏水部になる前はエコトーンとして堤を形成してあったので漏水のしようがなかった。堤を廃止し、その土をそれまで漏水に悩まされていた範囲を埋め立てた結果なのである。結局は「頭隠して尻隠さず」と言うべきか「頭隠して尻現す」結果であった。その尻の始末を自らしているのであるから文句は言えない。

 稲作をしていた頃の耕盤を貫通しての漏水孔で、耕盤下には漏水トンネルネットワークが存在している。根治するには重機で耕盤ごと破壊鎮圧する必要があるのだが0.3馬力の炭水化物エンジンでは非力である。漏水孔の周囲にスコップを突き立て耕盤を崩し踏み固めて一件落着である。これで当座は湛水を維持できるけれど、おっつけ水の浸透により漏水孔は発生する。まあ、二度童であるからイタチごっこで遊ぶのも一興なのである。
 補修は終わったものの思い違いで画像を消去してしまったので作業経過の写真は無し。とは言え満水位復活さえしてくれれば泥作業は役に立ったのである。ホント、水商売はいつでもいつまでも自転車操業なのだった。

 翌日は降雨、翌々日に確認に行った。水位は復活しオーバーフロー部まで達している。漏水部は頻発部だったから「何時もの事」なのだがイタチごっこやモグラたたきみたいに興じる事でも無いので一畳ほどでも埋め立てするしか手が無いと言える。用土は浚渫して調達するしかないから沈泥池で賄おう。

 二本出ている杭は護岸木を押さえていた杭で、ここにあった堤を漏水頻発部の埋め立てに掘り取った結果、ここが頻発部となった。ここの漏水は構造的な事なので頻発部は埋め立てるしか手が無い。

池の除藻は終わらない・・・

2022-09-15 | 感じるままの回り道
 先日の事、タナゴの繁殖確認のため糠瓶を仕掛けに寄った上の池にまたまたオオカナダモの姿が数カ所確認できた。今期はは既に3~4回の除藻を行っているのだが根絶はまだ目途が立たない。水の濁りが無ければ茎立った場所は容易に判明するし、その周囲を重点的に貝掘り熊手で泥ごと浚って根まで引き上げればその場所は根絶できようが藻の茎を辿って発根部までたどり着かないうちに「プツッ」切れてしまうのが差し障って次の生育につながる。
 水流の無い池なので茎を丈夫にする必要もなく水が濁っている事もあり日光を求め徒長気味なので更に切れやすい。こんなことを繰り返していると小生の脳血管やら心臓血管やらが「プチッ」と行く恐れも無きにもあらずなのだが已むを得ん。

 浮かしたバケツに抜き取ったオオカナダモを入れつつ今回の作業は終了したのだが冬季までにもう1~2回の除藻は必要だろう。世間の除毛はVIOとか言うらしいが「バカクソ、いつ終わる!」が小生のVIOである。それはともかく「池の除藻は終わらない」のフレーズは「村の女は眠れない」と言う詩題から流用したのだが若い頃にたまたま目にした詩なのに題だけは脳裏に残っている。
 と言うのも貧しい寒村、まあ、寒村は貧しいに決まっているのだが男衆は全て貧しい故に出稼ぎで不在な村なのだ。その夫がいない冬ごもりの孤独が詩になっていたのだが若い頃だっただけに少しばかり艶めかしい感じを受けた詩でもあった。

 似た様な情景は森山良子が歌った「風に吹かれて おとうが消えた 峠に向こうに霞んで消えた 村の畑は雪の下 足んね足んねで 出稼ぎ暮らし・・・」に想い至るが現代の生活の拠点は郷里には無く都会で出稼ぎならぬ派遣やパート、臨時雇い等々の生活基盤の無い不安定な世相が広がった。代わりに出稼ぎは外国人が占めるようになって新しい奴隷国家みたいな様相でもある。
 こういう社会に君臨する輩はオオカナダモみたいなもんで、健全化させようと思ってもプチプチ身を切って難を逃れしぶとく再生して来るのだった。姥捨て山のお爺は眠れない。オオカナダモ投入されて眠れない。悪い奴ほどよく眠る・・・。写真を見ていてビビビ!と来たのはオオカナダモをVの字形に整え熊手とバケツを並べれば造形のVIOになるが遅きに失したY。これこそ名実と共にVIOとなった秋の芸術作品だったのにい。

 でもなあ、どうしてなして「姥捨て山」だけで「爺捨て山」伝説は無いのだろうか。小生が耄碌した頭で回路が繋がった瞬間に思った事は「男の方が早死」するのは統計的に正しく、結果として「爺捨て」せずとも完結するからに他ならないのだろうと言う事だった。男って可哀想、ストレスで若禿げしつつ働いても年金は減らされるばかりなんだもん。悶絶悲憤死する訳である。色即税喰 喰即税色・・・。

仔魚確認は骨折り損…

2022-09-14 | 水辺環境の保全
 タナゴの繁殖確認をしたくてセル瓶で捕獲を試みたもののクチボソばかりでタナゴ一匹すら姿を見せなかった。最初に投入した一群は産卵管を出している産卵期の群れだし八月末のドブ貝の生存確認も出来ていたから「あわよくば・・・」と獲らぬタナゴの数算用」したのは正常性バイアスだったか。

 タナゴは見つからなかったもののクチボソは水域の落ち込み部に時を置かず仕掛けたセルビンにも入っていたから流下した個体数はかなりあるのだろう。
 上の池内の捕獲魚を観察しても当歳魚、二歳魚、三歳魚と入り混じっているから繁殖は順調なのが窺がえるもののタナゴの様子がようとして分からないままである。仔魚を見れれば祝着至極で成魚を見れれば一安心するというものだけれど今のところは叶わなかった。晩秋にまた仕掛けて再度確認をし、その結果で冬期にタナゴ釣りでもして来季用の親魚を補充しようか。
 カワセミは水見回りの度に一度は見かけるから定住してはいなくとも餌場の一つとして回遊しているのだろうと言うのは推測できる。食料としてはクチボソとメダカで呼び込めていると思って間違いないだろうが、そこにタナゴを加えたいのは小生の欲かおもてなしなのかよう分からん。端的に断じてしまうと所在ない高齢者の暇つぶしか。
 まあ、「トロルやーん あんたこの頃 モンドリかけたでないかいな  モンドリしたこつしたばってん タナゴどんが入っとらんで まーだ万歳せんだった・・・」てなもんや三度笠。

今日のエッ!品「糀発酵香煎のフォカッチャ」

2022-09-13 | 何よりの楽しみ
 連日の雨天で朝食を食べれば眠くなるだけの高齢者では日中からウトウトするようでは夜が怖い。そこで午前中くらいは立ち作業で済ませたいのだが木工工作とはいかない。結局はお台所様として君臨するしかないのだった。冷蔵庫の中には先日に仕込んだ「糀発酵香煎」と「糀発酵ミルク」がまだ残っているがそうそう食べきれる物でも無いのだ。それで「フォカッチャ」の材料としてしまう事で消費を促進する事に決定。

 ただ「糀発酵香煎」は発酵管理する関係でドロドロ状態で水分が多い。強力粉と合わせ適切な粘度にするつもりだったが予定の強力粉は60gしかなく、やむなく頂いてストック状態の全粒粉中力粉を代用して生地を作った。「糀発酵香煎」をお玉2杯に強力粉と中力粉を加えつつ粘度を見たのだが粉の量は200gまで増えてしまった。
 全粒粉中力粉の袋書きに「パン作りには強力粉よりやや緩めにすると上手くいきます」とあったのでそうしたのだが軟らかいとやはり打ち粉を振っても扱いにくい。「耳たぶ程度の固さ」ではない「やや緩め」など未知の領域なのである。

           強力粉    60g   中力粉 140g
         糀発酵香煎  お玉2杯
         糀発酵ミルク   50ml (牛乳が無かったので代用。バター溶解用)
           バター    13g
          イースト菌    6g
             塩     2g
           キビ糖   大さじ1

        ※ 打ち粉、オリーブオイル、ハーブ塩 適量

 材料を混ぜ合わせレンジで一次発酵のスタート。常温10分でガス抜き成型後二次発酵させる。この後、オリーブオイルを塗り小さな擂粉木で窪みを付けてハーブ塩を振り生地の出来上がりだ。
 予熱200℃焼き12分でセットして焼き上がり。糀発酵香煎の甘味と風味が試食の段階から口中に満たされる。砂糖を控えたから甘味も控えめなのだが噛みしめていると「おいしい」感覚が広がる。セオリー通りのレシピではないから期待はしなかったけれどモッチリ感も十分で、結局はお昼の主食で消えた。お茶うけにと思い焼いたのだが当てが外れて、お茶の時間は「空っ茶」である今日も又・・・。

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              秋霖や今日も孤茶なり立つ窓辺





ヌカビンとかセルビンとか・・・

2022-09-12 | 何よりの楽しみ
 郷里にいた当時、ヤナギだったか割竹だったかの筒でウナギを獲る仕掛けは見た記憶があるが使った記憶は無い。ウナギ獲りと言えばウナギ針にカジカやドジョウを掛け缶詰缶に小石を詰め口を潰し重りにしたウナギ獲りの仕掛けが普通だった。捕獲したウナギは食卓に上ったのと魚屋に1匁1円で購入してもらったのは記憶している。100匁のウナギなど大きくは無いものの100円は当時としては大金でコッペパン10個を買えたのだ。

 似た様な漁具は幾つかの名前があって形や地方で呼び名が異なるのかも知れないが郷里での呼び名は記憶に無い。しかしガラス製のハエ獲り瓶は同じ機能で、この名前は「ハエ獲り瓶」だったかどうかも覚えていない。呼び名を拾いだしてみたら「モンドリ・ビンドウ・ウゲ・ヌカビン・セルビン」等々、ぞろぞろ出て来た。この漁法は多くの地域で「禁止」となっているのが理解できたがその理由の解説に「ガラス製で危ないから…」と言うのがあった。

 確かにハエ獲り瓶のように壊れやすいガラス製はあったにしろ一挙大量捕獲が問題なのだろう事は推察できる。小生の周囲では「糠瓶」で通用しているが子どもたちには「セルビン」が通じやすいようだ。「ビンロウ」ではなにやら怪しい薬物風に聞こえるし「モンドリ」では意味が通じなくなっている。

 小生は年に2回ほど梅雨期などの出水後と越冬期前に増水に乗った流下魚を落込み部の壺から回収して溜池に戻す作業は資源保護の視点から必要なので使用するが、厳密には「知事の許可が必要」なのは今回のサーチで知った。小生が使っていたのは焼酎のボトルを利用したのだが今回、少し小さめに更新した。
 従来品は4リットルボトルで更新品は2,7リットルボトルである。使えるボトルが不足して1本は漏斗で入口を作ってみた。2.7リットルボトルの底部ドームが丁度良く漏斗のカーブにあったから、ここをリベッターで留めて出来上がりだ。長さが従来式より長くはなったがその分、容量は増した。

 沈降を早くし水底で安定させるために帯鉄の重りを付けたかったのだがホームエンターを周ったけれど品切れで、L型アングルの切れ端はあるけれど突起が大きくなるし、結局は入荷を待ちきれず断続する降雨の中を拠点道具小屋まで行き廃材を切断しプレートを調達し自宅で取り付け終了。重心は偏りにして沈降時の空気排出と引き上げ時の排水を良好にする工夫もしてご満悦。
 この後、細紐を結んで投入と回収を容易にする手綱を付けて作業は完了したのだ。

        重りの鉄板を切り出す   ➡    長短、2形式完成

シェルター水路の除草

2022-09-11 | 水辺環境の保全
 最近の水面を覆う優勢種はウシノヒタイなのだがゴブナグサやキシュウスズメノヒエなどは衰退もせぬ常連種だ。これらイネ科植物を覆ってウシノヒタイが繁茂するのが今の姿である。ウシノヒタイは茎を長く伸ばし面積を広げるけれど根は水中や泥土にマット状にあるだけだから絡めれば容易に集草できるがイネ科の植物はそうはいかない。キシュウスズメノヒエなどは水域の宿根草で水域内を抜去除草したと思っていても容易に繁茂して来る厄介者である。陸側のものも水域に茎をのばし勢力を広げ定着しようとするから「厄介な水田雑草」と位置付けられる理由は良ーく解る。

 水域内に入り込み四本鍬で根こそぎ搔き集め始めて気が付いた。「なんだ!ここにもオオカナダモが投入されている」既に新聞紙1ページ分ほどに広がっていて投入されてから1カ月は経過しているだろう。水中に手を入れて探れば根元も何カ所かあってしっかりと勢力拡大への基盤造りは済んでいたのだ。上の池と言いここと言い、斯様な環境破壊行動を行う輩は絶えない。当然、出来る限り泥土の中の根までを抜き取って本体ごと人目につかぬ藪の中に投げ捨てた。世が世であれば隠密同心の如き振る舞いをして「天誅!」を加えたい気になってくる。

 さて抜き取った塊は棚の法面に押し上げる。抜去体には根茎に泥土の塊があるから多少なりとも窪みの整復には役立ってくれる。根茎の泥を落とさず抜きあげる事で、それまで行っていた泥浚いの必要が減ったのだ。水域全体の泥浚いを行わなくなったから水位は浅くなる傾向にあるけれど沈泥する泥の層は固くならないから浚う必要があっても苦労しないで浚えるはずである。
 狭まっていた水路が広く開いたからトンボの飛翔数は見ている間に回復するし産卵する個体やカップルも目につくようになる。林内の刈り払いや除伐を続けていると急に風が通る瞬間に出くわすけれど、それと同じように「回復した!」と思える一瞬である。

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*深川どぶ板長屋「チュッ風の名月」

2022-09-11 | 合混で闘作すれば
              名月を寝待月とし開け障子        与太郎

              開け放ち月風涼と身を任す        素浪人

              かのわらべウサギかぐやの影を追い    産婆

              寝て観れば名月二つコブふたつ      熊さん

              名月やまたも団子でまた太り       ぼて振り

              名月の光で流す今日の汗         駕籠かき

              浴びて寝て夏掛け纏う南中時       金太

              丑三つや奈落の底か穴仰ぐ        放蕩息子

              用足しに起きて月愛でまた眠る      ご隠居

              名月や一晩見せた丸裸          幇間