【立山カルデラを歩く(2)】
2012年9月28日(金)
その1 六九谷展望台
その2 立山温泉跡地
その3 天涯の水と天涯の湯
その4 白岩砂防ダムを降りる
その5 真川と湯川の出合
六九谷展望台から、バスは資材運搬道路で多枝原を通り立山温泉跡地に向かいました。
《その2 立山温泉跡地》
立山温泉は1580年に発見されたと伝えられています。夏場には500人もの客で賑わったそうです。1969年(昭和44年)の大雨で登山道が流され、1973年(昭和48年)に閉鎖、1979年(昭和59年)に建物が焼却されました。また砂防工事の事務所も初めはこの地にありました。(立山カルデラ ガイドブックより)
資材運搬道路を立山温泉に向かいます
立山温泉跡地にある看板。石碑類です
薬師堂跡の供養塔(後に鷲岳が見えます)・・・安政の災害時、温泉は数十mの土砂に埋まり、30余名が生き埋めになりました。1984年(昭和59年)に建立されました。
天涯の橋・・・立山温泉跡地と泥鰌池の間を流れる湯川に架かる橋は鋼鉄製のつり橋で、河原よりの高さが10数mあり、ちょっとしたスリルを味わうことができます
天涯の橋から湯川を見る・・・河原には泉源の跡?が見えました
どじょう池(泥鰌池)・・・安政の災害時に、とんび泥が湯川をせき止めていくつもの池が出来ました。食料としてこの池にフナやドジョウ、ニジマスを放流したり、池に小舟を浮かべて船遊びをして楽しんでいたそうです。
立山温泉・・・1580年、深見六郎右衛門によって立山温泉が発見された。本格的に温泉地として整備されたのは1770年以降で、その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、江戸時代は非常に賑わった。しかし1858年の土石流によって温泉街は壊滅したが、明治2年(1869年頃)になって新たな源泉が発見され、温泉街が復興し、1973年(昭和48年)の閉鎖まで賑わいました。
浴槽跡・・・消化系や神経系に効くといわれ、水で割ると効能が薄くなるというので、60℃のお湯を自然に冷まして入ったそうです。洗い場等はタイル仕上げになっていました
こちらは女性用です・・・どこかのテレビの放映で見たようなポーズ・・・かなり深い浴槽ですね
立山温泉跡地から見える浄土山と竜王岳
近くの山腹から水蒸気が上がっていました
山葡萄の実も色づいてきていました
ドロノキ・・・荒れ地に真っ先に生育する樹木の一つで、ヤナギの仲間で、高さが30mにもなります。
白い綿毛が青い空に沢山舞っていました
その3 天涯の水と天涯の湯 に続きます。