ウリパパの日記

自由気ままに・・・

八王子下柚木の永林寺 2014.1.11

2014-01-11 21:45:16 | Weblog
今日の八王子は最低気温-4.4℃、最高気温7.2℃と冷え込みが強まりました。今週も長沼の実家通いが続きます。その帰り道、下柚木にある永林寺に立ち寄ってみました。八王子の長沼に26年、狭間に17年住んでいますが、八王子八十八景にも選ばれているこの曹洞宗のお寺を一度も訪れたことがありませんでした。


訪れたのは15時過ぎ、駐車場に車を置き、まずは全景図の確認から。結構広そうなお寺です。墓地の奥には由木城址があります。永林寺は、戦国時代の豪族大石定久が滝山城に移る際に、居館(由木城)を叔父の一種長純に譲って永麟寺として創建され、その後江戸時代に現在名に改称して今日に至っている古刹です。元の「鱗」の文字は北条氏の家紋「三つ鱗」に通じるので徳川家に気を使い「林」の文字に改めたようです。


まずは朱塗りの総門です。説明によると天文15年(1546年)に建立。文禄4年に野火により消失。宝暦元年(1758年)に再建されました。公卿格式10万石を徳川家康から与えられた永林寺は、朱塗りの門と壁の五条線が許され、これより由木の赤門と呼ばれていすそうです。総門は文政11年(1828年)に八王子小町土佐棟梁により大改修され、平成8年に世田谷安田昭二棟梁により再大改修され現在に至っています。


赤門をくぐると、両側に十六羅漢像が並び、その先に三門があります。


三門です。総門と同じく文禄4年の野火で焼失し、寛文9年(1696年)に相州藤原貞通棟梁により再建、安永4年(1775年)12月に解体大改修され、その後昭和40年に大改修され現在に至ります。三門とは、空門(一切を空と観ずる)、無相門(迷いの煩悩を離れ悟りを得る、無願門(真実を悟り願求するところがない)三解脱門のことで、この三解脱を得て本堂へ向かう大切な門とのことです。


三門を見上げていると、近くからロウバイの甘い香りが漂ってきました。

 
三門をくぐると左右に立派な仁王像があります。中もしっかりと朱塗りですね。


階段を登り、中雀門をくぐると正面に堂々たる構えの本堂が現れます。本堂は総門、三門と同じく天文15年に建立され、文禄4年の野火で焼失。寛文9年(1669年)3月に相州藤原三郎道典棟梁により建立されました。間口11間、奥行き10間半木造入母屋造り銅板葺き。永林寺の中心となり建物で法堂ともいうそうでです。釈迦牟尼佛様をご本尊様にお祀りし、脇仏様に普賢菩薩様、文殊菩薩様をお祀りする。現本堂は、延享2年(1745年)4月に大改修されたもので、向拝(安政四年、1857年小谷田忠五郎棟梁により再建)は本堂中央より左寄りに建築された、この地方禅宗の特色の作りで、軒は唐破風付で上に千鳥破風を架している。本堂内には、正面に勅額護国殿を掲げ、三二枚の杉戸の襖には、狩野派相沢五流による荘厳な大画が描かれており、天井画には210枚の花鳥画が地元画家橋本豊治氏により描かれている。
と説明にありました。


本堂の左手には豊川殿が建っています。後方には三重塔がそびえています。


本堂左手から奥に向かうと六地蔵と岩舟地蔵があります。岩舟地蔵は享保4年(1719年)建立。子育て、水子の供養のお地蔵様として信仰されています。


さらに奥へ向かうと大石公の墓所があり、墓地の奥の高台は由木城跡となっています。またこの辺りから野猿峠までを殿ヶ谷と呼び言いますが、これは「往昔由木氏が旧跡なるがゆえ、殿のあとという心にて殿ヶ谷戸と唱えて村の小名にするなり」と武蔵名所絵図に記されているとおり、由木氏の居住地でもあったことに由来するようです。


由木城跡の一画に大石定久の像が建っていました。

近くにあって43年もの間訪れることのなかった永林寺、歴史と風格あるお寺でした。
コメント (2)
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