ウリパパの日記

自由気ままに・・・

昼休みに笠間稲荷神社と市原観音へ参拝 2023.1.10

2023-01-10 20:36:39 | 茨城県

今日から茨城県での生活再開です。在宅勤務の昼休みにアパートから車で10分の笠間稲荷神社へ参拝に出かけてきました。また、早朝散歩の際にアパート近くで見かけた市原観音の赤文字の看板が気になったので地図で調べたところ、国道50号沿いにあることが分かったので、帰りに立ち寄ってみました。

まずは笠間稲荷神社です。ここには毎年数回訪れています。昨年の記録を見ると、1月7日に雪が残る中、参拝に訪れているので、昨日より3日遅いお参りです。

 

楼門に掲げられる初詣、謹賀新年の文字がやたらに大きい。

 

拝殿前に設けられた仮設の賽銭箱。ここで新年のお参りをします。

 

拝殿右手の大きな看板。昨年は招き虎でした。今年は可愛いい うさちゃんです。

 

境内のあちらこちらで見かけた「たいみくじ」

 

昨年同様、聖徳太子がお祀りされている聖徳殿にお参り。大黒天も合殿でお祀りされています。

 

拝殿の中をのぞくと、黒いブロンズが見えました。フラッシュを使わずにコンデジでパチーリ。打ち出の小槌が隠れてしまいましたが、これが大黒天様でしょう。

笠間稲荷神社の新年の参拝を終えて駐車場へ戻ります。

 

楼門の出口側にも、謹賀新年の大きな垂れ幕。

 

続いて笠間稲荷神社から5kmほど友部寄りの国道50号沿いにある市原観音へ向かいます。

案内に従い駐車場に車を停め、赤い文字で案内された市原観音へ

 

到着しました。

正式名称は、市原観音如意輪寺。季節の花々に囲まれた天台宗の寺院です。まずは如意輪寺についてHPから引用しておきます。

その歴史は古く推古3年(595)、明星輝く明方、豪族 伊知波良氏は嵐によって打ち上げられた木の中に納めてあった仏を感得した。豪族伊知波良氏は、御堂を建て奉安し供養していた。このことが、時の帝、天武天皇に伝わり、天武天皇9年(西暦680年)に天武帝の勅願寺となったと伝わっております。関東三十三観音の第三十二番札所、また東国花の寺百ヶ寺の茨城第4番札所として、多くの参拝客そして多くのご祈祷を受けられる信者さんが当寺を訪れています。(引用終わり)

 

坂の上にある中堂です。総本尊の如意輪観音、不動明王、毘沙門天、十二支守本尊、ぼけ封じ観音様が奉られているそうです。

 

中堂の周囲では冬ぼたん園が開催されていました。なかなか風情ありますね。

 

元旦から1月中旬まで開催されているそうです。友部駅近くに案内版が設置されていたので、牡丹の花を目当てに車で訪れる方が多いのでしょう。今日は誰もいませんでした。

 

中堂から戻り、車で近くを通った社号標まで歩いて戻ります。天台宗、如意輪寺と刻まれています。

 

参道の先には山門

 

山門をくぐり左手には経蔵。ここには経典が納められています。

 

経蔵の先の高台は祖師堂。本尊は十一面観音。天台大師、伝教大師、慈覚大師、元三大師、徳一上人が奉られているそうです。

 

参道の正面は回向堂(えこどう)。学僧たちの学問や修行の場だったそうです。阿弥陀如来・勢至菩薩・観世音菩薩の三尊が奉られています。

 

工芸品、彫刻、絵画の町指定文化財が納められているようです。

 

工芸品の鰐口の説明がありました。

 

回向堂の右手には市原小学校跡地の石碑。明治7年から明治9年までの2年半、ここに市原小学校がありました。

 

HPに掲載されていたように、如意輪寺は東国花の寺百ヶ寺の茨城第4番札所となっていて、四季折々の花が楽しめるそうです。

 

如意輪寺に隣接して三嶋神社がありました。今日は時間がないので、ここで引き返すことにしました。次回、ゆっくりと散策してみます。

 


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