ウリパパの日記

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史跡足利学校を見学 2016.4.29

2016-05-01 21:31:46 | Weblog
足利市の鑁阿寺を訪れた後、日本最古の学校である足利学校へ向かいます。まずは足利学校について足利市のHPから引用します。

足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元を招いて初代の庠主(しょうしゅ)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。

足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。

江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復原完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。(以上引用終わり)


まずは受付で入学証を購入します。正面に学校門が見えてきます。


日本で唯一 ”學校”の額がかけられた門です。


学校門の紹介です。寛文8年(1688年)に建てられ、江戸時代から今日まで受け継がれてきました。"学校"は儒学の教科書の一つである「孟子」の中にある言葉です。


学校門をくぐると、旧遺蹟図書館の前にナンバンハゼの木が立っています。栃木県の天然記念物に指定されています。


ナンバンハゼは、もともと日本には自生していないです。足利学校は孔子に縁が深いことから、大正11年(1922)に林学博士の白澤保美が植えたそうです。学名はピスタシア・シネンシス。別称「孔子の木」「楷」「トネリバハゼノキ」など称されています。


学校門の正面にある杏壇門をくぐると孔子廟が現われます。聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟です。建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。


聖廟の中央にまつられている孔子坐像です。


孔子坐像の説明です。頭巾をかぶり儒服を着けた像で、この姿は「行教像」といわれています。日本最古の孔子の彫像として大変貴重なようです。


孔子廟に隣接する方丈と庫裏です。方丈は学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところ、庫裏は学校の台所、食堂など日常生活が行われたところです。


方丈の裏手には庠主の墓があります。室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。以後、明治元年までの430年間に23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓があります。多くは無縫塔で、庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、残りの9基は不明のようです。


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