おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

大溝城跡

2010-05-03 23:45:37 | 湖国日記


先日、針江まで行った帰りに寄ってきました。
高島市にある大溝城本丸跡です。

この辺りまできたら、時々のぞくんやけど、
整備されてるのか、ほっとかれてるのか、中途半端な印象ですね。
今回行ったら、旗が立ててあったけど、歴史好きの観光客用なんかしら?

信長が湖西を制圧するために、甥の信澄を配したお城です。
でも、本能寺の変のあと、光秀の娘を妻にしていたことから、
信澄は、大阪城内に幽閉されて自害したらしいですよ。

ここへ初めて来たときは、
内湖の乙女ヶ池の水が石垣のそばまで来ていて、
さながら、水の中に石垣が斜めに沈みかけてるようで、
印象的というより、ホンマに、衝撃的な光景でした。



高島病院の病棟のすぐ裏から見たところ。
以前は、この原っぱも内湖の水の下にありましたねぇ。

こんな人々の生活の近くに城跡があるなんて、なんか不思議でしたよ。
当時はまだ、高島町の指定文化財にもなってなかったから、
何の整備もされず、石垣が無造作にある・・という感じでした。
たしか、天守台にはお社があったと思うな。



天守台のところから、乙女ヶ池を見たところ。
水位がかなり下がって、ここまで水がこないみたいですね。



平成8年に建てられた説明板によると、
琵琶湖とその内湖を巧みに取込んで築いた城で、
明智光秀の縄張り(設計)で出来たらしいです。
内湖をそのまま外堀に使うというのも、ここを選んだ理由なんでしょうかねぇ。



大溝城本丸の石垣は、沖の島から筏に乗せて運ばせたと伝えられています。
当時の積み方にしては、大きさを揃えた石を積み上げているしね。

本能寺の変の後は、天守は解体されて甲賀郡水口の岡山城に移築され、
江戸期には、ここに陣屋が設けられて、城を中心に形成されていた大溝の城下町は、
伊勢から移った分部氏によって、引き継がれて整備されました。

そんな、城下町高島にある日吉神社の祭礼が明日、本宮ですね。
近江の曳山祭の一つ、大溝祭。

いつになったら、見に行けるんやら・・・

今日も、心は、日野やら米原やらに行ってたんやけどね・・。