水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

白ゆき姫殺人事件

2014年04月01日 | 演奏会・映画など

 4月1日。学年会議、教科会議、職員会議、入学式準備など、もりだくさんに新年度がはじまる。
 指導部長から、生徒のSNS使用についての指導のあり方の確認がある。「なんかついていけないよなあ」と声を漏らす同僚もいる。
 ラインもツイッターも単語としては知っているけど、使った経験もないし、どういうものかわからないという教員も多いからだ。
 学校の先生たるもの、そんなことではいけない、進取の気風が足りないとのおしかりを受けそうだが、自分もよくわかんない。かろうじて家族のLINEだけは入ってて、非常に効率よくアッシー指示させられる装置であることは承知しているが。
 サルに自慰行為を教えると、延々とそれをし続けるという、ほんとかどうか知らないけど、なるほどそうかもしれないなと思わされるよく出来た話がある。
 いまの子供たちにとって、SNSはそんな機能になっているのではないだろうか。
 譬えとして適切ではない気はするが、そう思わざるを得ないくらい、片時もスマホを手放せくなっている子どもがいるのが現実だ。
 昔のたまごっちやら、ゲーム機とかとは次元がちがうレベルで浸透していること、大人自身もどうしていいかわからない状態であることが、問題を難しくしている。
 未成年はLINE、ツイッター禁止ぐらいにしておくのが、われわれの情報処理能力と合致していると本気で思うけど、非現実的だろうな。

 映画「白ゆき姫殺人事件」は、事件そのものに深みはないが、今の社会における情報の扱われ方を端的に示していて、よくできた作品だ。
 サスペンスはキャスティングで犯人のめどがつくの原則がある。
 主演の井上真央さんがそのまま犯人ということはさすがにないぽくて、同じ会社員役で名前知ってる方が蓮佛美沙子さんと、えれぴょんだから、まあそういう展開かなと思っていると、案の定そのとおりで、美人OL菜々緒さんを殺害にいたった経緯についても、そんなに深くはない。
 謎解きのおもしろさはそんなにない、というか作品の真意はそこにはない。
 犯人のちょっとした企みと、安易にそれにのっかるメディアによって、真央ちゃんが簡単に犯人に仕立て上げられてしまう現代の怖さだ。
 そう、現代の怖さは、個人のちょっとした言葉で、特定の誰かを殺人犯に仕立て上げることさえ可能になっていることだ。
 昔は、一般市民がそこまでするのは難しかった。
 検察と警察が事件をでっち上げ、証拠を捏造し、マスコミはその通りの発表をし、それで無実の人を犯人にすることが完成した。袴田さんの事件が現代におこったなら、さすがにあの捏造は無理だったのではないだろうか。すぐに「検察のでっちあげを許すな」スレが立つだろう。

 「事実」とは何か。「事実と意見を区別して書け」という作文指導が国語教育では時々行われ、「そんな区別は不可能だ」という批判を宇佐美寛先生が繰り広げた。
 「意見」と完全に区別しうる「純然たる事実」なるものは、おれ的にはないと思う。
 SNS問題を考えるときに必要な視点だと思う(おっと、何も生み出さないまとめになってしまった)。

コメント
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