水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

4月8日

2014年04月08日 | 学年だよりなど

 1年生は5日から授業開始、上級生は今日が始業式で、新クラス発表、ホームルーム、写真撮影など。
 午後は部活動紹介からのミニコンサート、楽器体験。終えて個人練習、基礎合奏。
 1年生の集まり具合はけっこういいかんじ。西部地区の某共学校に転勤された先生が、元吹奏楽部員は50人ぐらい入学しているとの話を先日聞いた。やはり女子の多い学校はちがう。本校には経験者が5人入学しているようで、これは史上最高数だろう。今週末の部活決定まで残り僅かな時間になった。

 

 学年だより「男を磨く」

 およそ三年前、東日本大震災からまだ日も浅い時期に、駿台予備校主催の「入試問題研究会」という研修会に参加した。
 この学年の多くの先生方にとっての前の代(26期生)の生徒が、高3になった頃である。
 国語担当の霜栄先生がこうおっしゃっていた。
 「この春迎えた浪人生は、例年よりしっかりしているように感じる。自分の受験と震災とが、一つの経験として結びついていて、受験生として過ごせることに感謝する気持ちをもっているからではないだろうか」と。
 東日本大震災がおこった3年前の3月11日は、その年の国立後期日程試験の前日だった。
 ちなみに、その日私は出張で河合塾新宿校を訪れようとし、駅から会場に向かう歩道橋の上で何かが激突したかのような激しい揺れに襲われた。
 予定されていた研修会は中止になった。同じく会場に来ていた山口先生は一路車で引き返し、熊谷先生は徒歩で川越まで帰られた。事態を甘く見てふらふらしていた私は、結局どうしようもなくなって河合塾で一晩過ごさせてもらった。
 その夜、自習室で時折余震の揺れに身を任せていると、「明日の試験どうなるのかな」と会話する不安げな声を耳にする。
 後期試験に向けての最後の調整を行おうと予備校を訪れ、そのまま帰宅できなくなってしまった受験生の声だった。
 けっきょく後期試験はとりやめになった大学も多く、その場合にはセンターの結果だけで後期の合否が判断された例が多い。
 センターで思うような点がとれず、後期入試で挽回しようとしていた受験生は、そのまま不本意な結果に終わることになる。
 結果として浪人生となった子たちは、だから、自分自身の受験と震災とが不可分の経験となって体にしみつく。
 震災によって命を奪われたたくさんの人たち。
 その中には当然受験生もいた。
 受験生でなくても、自分たちと同世代のたくさんの若者たちが波にのまれていった。
 生命の危機を脱したものの、住むところも、通うべき学校も、友達も失った若者がいた。
 そういう状況を目の当たりにすることになった受験生たちは、入試で思うような結果が出せずに浪人させてもらえることに自然と感謝の念を抱いたのではないか。
 自分たちに与えられた時間のかけがえのなさを、無意識のうちに感じていたのではないか。
 もちろん当時の浪人生にかぎらない。
 震災直後に高3になったばかりの高校生たちにとっても同じことが言えただろう。
 本校の前の代の生徒たちも、心のどこかにそんな思いを抱いている子が多いようにも思えた。

 みんなはどうだっただろう。
 3年前、震災の後、計画停電があったり、電車が平常ダイヤにもどっていなかったりした時期に、中学三年生になったみなさんは、当時の状況をどう受け止めていただろう。
 埼玉県にも、たくさんの方が避難して来られていた。
 そんな中で、普通に中学生最後の年を過ごし、部活を引退し、高校受験に向けての勉強をしていたことに、何らかの思いを抱いていただろうか。
 自分たちに与えられた時間のかけがえのなさを知ることは、震災経験の有無にかかわらず大切なことだ。
 何回も同じようなことを言ってる気がするが、世界中の17歳、18歳の若者を見渡したとき、衣食住の心配もせずに、自分のためだけに勉強し続けることができる若者比率は、おそらく皆さんが思っているよりもかなり低い。
 だからといって、すぐにアフリカにボランティアに行けとか言いたいわけではない。
 せっかく勉強し放題な環境にいさせてもらえるのだから、精一杯利用すべきだと思うのだ。
 その結果として得られた力をさらに大きくし、人として大きくなれるなら、何年後かに仮にアフリカに行ったとして、今の何倍もの貢献ができる男になっているだろう。
 受験生が勉強するのは当然だ。勉強して力をつけなければならないのは当然のことだ。
 ただし、受験生としてどんな一年を過ごすことができるか、どういう結果になるのか、それを決めるのは、「自分に与えられた時間がどれだけかけがえのないものかを自覚すること」ではないかと、霜先生はおっしゃられていた。
 受験勉強の出来が人間の価値を決めるものではない。
 どの大学に入ったかが、または卒業したかが人間の価値を決めるものではまったくない。
 でも、受験勉強にどのように取り組むかという姿勢は、まさしくその人の物事への取り組み方だ。
 それは学校生活に対する取り組み方であり、大きく言えば人生の過ごし方である。
 日々を積み重ねた結果を人生というなら、一日をどう過ごし方かがすなわちその人の生き方だと言える。
 人として、男として、やるべきことにどう立ち向かうか。
 やる気がわいてこないからとか、今一歩気持ちがのってないから、などと言ってはいられないことが、人生には多々あるものだ。
 我が身の生命の危険が予測されてさえ、男にはやらなければならない時もある。
 今の時点で自分にやりたいことが見つかってなくても、健康な心身を賜った日本男児なら、この先世のため人のためにできることは山ほどある。
 今は懸命に自分を磨いていってほしい。
 「勉強」と「部活」は、そのためのきわめて有効な手段だと思う。
 とんでもない事態にでくわした時、逃げるのか、立ち向かうのか。
 物事に逃げずに立ち向かっていく力は、今年一年の過ごし方で十分に養うことができる。

コメント
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