学年だより「ディープ力(就職力2)」
就職を考えて学部・学科を選ぶという発想は、大学では就職後に役立つことを教えてもらえると考えているところから生まれるのだろう。
しかし、たとえば経営学部で企業経営のあり方を学んだ後、ある会社に就職できたとする。
新入社員が、その会社の経営について何か意見したりできるだろうか。「その経営方針は理論的にはおかしいですね」なんて言う機会があるだろうか。
そんなことがあり得ないのは容易に想像できるはずだ。
「よけいなことを考えずに言われたことをちゃんとやれ!」と叱られるのがおちだ。
むしろ、大学で勉強したことなんて忘れろとさえ言われるかもしれない。
まして、法律やら文学やらを学んだ学生がふつうに一般企業に就職して、直接仕事に何かをいかせることはない。
理系のごく一部の学生だけは、大学で(実質は大学院だが)学んだことが職業とつながってくる。
文系の場合、基本的にそれはないと考えていい。
だから、就職活動では、社会学部の人も文学部の人も法学部の人も関係なく面接を受けて、同じ土俵で比較され採用されていくのだ。
うちの会社は、経済学部の学生は採るけど、文学部の学生は採用しないということはない。
学部に関係なく「優秀な」学生が内定をもらえるというだけのことだ。
じゃ、学部・学科を考えることに意味はないのか。大学で学んだことはすべて無価値なのだろうか。そういうことではない。
「優秀な」学生というのは、採用する側に、ぜひ同じ職場で働いてほしいと感じさせる学生のことだが、その力はやはり大学でつけることができる。
それは、自分の選んだ学部・学科の勉強をしっかりすることだ。
その内容は将来に仕事に直接役立つものではない。むしろ、役に立たないことを教えるのが本来の大学であった。
経済学なら経済学を、政治学なら政治学を、文化人類学なら文化人類学をしっかり勉強すると、その学問の視点で物事を見ることができるようになる。これが教養だ。
漠然としか見ていなかった世の中の相が、ちがった見え方をするようになる。
~ 勉強でも運動でも、ディープに取り組んだものが、一生身について離れない血肉となるのだ。
ディープを面倒くさがって、最小限の単位取得とテスト勉強で、卒業までこぎつける学生もいる。彼らが学んだ授業は好きで取ったものではないので当然身についておらず、面接の場で「こういうものを学んできました!」と語ることはできない。
大学を卒業したのに、何一つ教養を得られていないわけだ。
… 少ない労力で卒業単位を取るというのは、あたかも効率のよい方法に思えるかもしれない。けれど、単位なんて考えず、ディープに勉強を掘り下げた学生の獲得した教養の方が社会でははるかに価値がある。 (斎藤孝『就職力』毎日出版社) ~