AKB48の大人メンバー募集に、有名人も多数応募しているというニュースがあり、キンタローや市井紗耶香さんが落選したのに続いて、春風亭ぴっかりも落選! とYahooニュースに書いてあったけど、「春風亭ぴっかり」なんて名前を知ってる人が、たとえばここを読んでいただいてる方の中にいらっしゃるだろうか。
春風亭ぴっかり。小朝師匠の弟子で、前座名を「ぽっぽ」と言う … と書いても、小朝って誰? という方さえいるかな。たぶん高校生は知らないよね。
東大二次の現代文に落語に関する文章が出るくらいだから、日本人として春風亭小朝師匠の名前を知ってるくらいには落語経験があってもいいのかもしれない。
若くしてその才能を認められ、諸先輩をごぼう抜きして真打ちになった噺家だ。
えっと、「真打ち」というのは … 、やめた。
落語を知りたければ、とりあえず池袋とか新宿の寄席に行ってみて、なるほどこんなディープな世界があるのかと体験してみればいい。請われればご案内します。
このへんに住んでる高校生は、でも恵まれている。
いつか生の落語を聞いてみたいと思いながら、角川文庫の落語全集をよみふけっていた高校時代。
それがかなったのは、大学に入り金沢で小朝師匠を聞いたときだった。師匠が飛ぶ鳥を落とす勢いの若手ホープだった頃だ。
少し電車に揺られ、1500円払えばいつでも落語が聞ける場所に住んでいる高校生の、なんと恵まれたことか。
時は流れて幾星霜。小朝師匠の弟子と言えば、圓太郎、玉の輔という今や実力派の中堅がいるが、若い女の子が弟子になったらしいと聞き、なんかの落語会で前座の彼女を見かけたのは数年前だ。
今みたくパーマのちりちり頭ではなく、さらさらのおかっぱに近い髪で、めくり(出演者の名まえが書いてある立て看みたいなの)をめくって耳元の髪を書き上げるしぐさが初々しかった。
落語界にはめったにない「女の子」ぽい子だった。案の定、コアな落語ファンのなかで人気が出る。
二つ目に昇進して「ぴっかり」と名前をかえ、昨夏は10日連続の独演会を開く出世ぶりだ。
えっと、なんでこんな説明をしてるかというと、ぴっかりちゃんがそれほどお客をよべるのは、女子であること、かわいいことも一つの大きな要素だということを言いたいのだ。
AKBの中に入ってもかわいい扱いされるレベルかといえば微妙なレベルだけど、男社会である落語界では十分すぎた。
彼女と同じくらい話せる男の二つ目さんは、はっきり言って山ほどいる。
でも、同じくらいの経歴で彼女より上手な噺家さんが独演会を開いて、ぴっかりさんほどお客をよべる方はそんなにはいないはずだ。
小保方さんもかわいい扱いされているが、理系の研究職の中にあってのそれであって、ちょっとおしゃれなオフィスに通う若いOLさんたちに交じったとき、あそこまでチヤホヤされるかというと、どうだろう。
あくまでも想像でしかないけど、小保方さんと同じくらいの研究能力をもつ男性研究者はかなり存在するのではないか。
女性であることを理由に、仕事上の制約を受けたり、もしくは過剰にもてはやされたりするのは広義のセクハラになると思うけど、ある程度は見た目が左右するのは仕方ない。
理研のユニットリーダーなどという、実力が最優先されねばならないポジションに、それ以外の要素が大きくはたらいて就いてしまったところが、今回の問題のポイントのような気がする。
男であっても、純粋な能力以外のいろんな要素が評価の基準にはなる。
それを思うと、純粋な実力で合格不合格に決まる大学入試は潔い。
入試に「人間性」なるものを持ち込もうとする改革は、やはり方向性としては間違っていると思う。
ぴっかりちゃんの偉いところは、自分の人気に、実力以外の要素がはたらいていることを、おそらく自覚している点だ。
プロの噺家さんである以上、どんな内容の人気であっても、利用できるものは利用していい。
多くのお客さんの前で本番を行うことほど実力をつけることはないから、
でも、いつまでもちゃんづけされる噺家ではいけないという気持ちがおそらくあって、快楽亭ブラック師匠に教わりに行ったりする行動にもつながっている。
ブラック師匠。異端中の異端だが、その実力は折り紙つきだ。ただし、そのネタをここで書くことのできない噺家だ。
「ブラック・ぴっかり二人会」という、あまりにミスマッチな落語界につい足を運んだことがある。
がんばっていた。ちょっとムリしていたけど、そういうのも含めブラック師匠は喜んでいた。
思えば小朝師匠は、ほんとにいろんなことをやってきた。
従来の落語の枠には収まらない才能を持つ方だから、落語界が、なぜ現状維持をよしとするのかと、苦悩されていたようにも思える。って、なんか知ってるふうのことを書いてしまった。
今は、少し達観してる風にも思える。
ぴっかりちゃんには、師匠を見習って何でもチャレンジしてみてほしい。
何十年に一人と言われる小朝師匠ほどの天分はさすがになくても、高座に出てきたとき、ぱっと客席を明るくするたたずまいは、持って生まれたものだ。
性別でも容姿でも、もってうまれたものは神が与えた才能の一つなのだから、自分がそれを利用して何も悪いことはないし、他人をいい気分にさせるためにそれを用いるのは、それこそ才能の正しい使い方だ。