水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

百人一首

2013年04月10日 | 日々のあれこれ

 今年度から週に一回もうけられた2年古典演習をどうするか。この学年の11クラスのうち8クラスに入る科目で、ほぼ自分に開発が求められている。基本は市販の問題集を進めていく。これでわが学年のみんなは、古文は塾に行かなくても百%だいじょうぶさ。
 漢文の時間は、今年も「重要例文集」の音読練習を毎時間やっていく。
 古文も何か読みたい。「祇園精舎~」や「奥の細道」の暗唱もいいかと思ったが、そうだ百人一首にしようと、実力テストの監督中に思いついた。
 毎時間百首はきついので半分にしぼり、さらにその半分25首をさっと読める形のプリントを作ってみた。
 何か新しい朗読CDが出てないかとamazonを調べると、若い声優さんの出しているCD(「田中理恵の百人一首」)があるので、注文する。
 「ツンデレ百人一首(by釘宮理恵)」というのもあったのでクリック。きっとツンデレキャラで有名な声優さんが朗読しているのだろうと予想し、届いたものを明けてみたら、じぇじぇ! 小倉百人一首ではなかった。
 カルタ内容自体もツンデレだった。
「か、勘違いしないでよ。暇そうなのがあんたしかいなかったから、しょうがなく誘っただけなんだからね! 折角だから私の水着姿をあんたに見せてあげるって言ってるのよ! ラッキーと思いなさい!」
 という札が百枚。どうしよう。折角だからどこかのクラスで一度やってみようかな。
 『ちはやと覚える百人一首』も買ってみた。最近読んでないけど、あの傑作マンガ「ちはやふる」の末次由紀さん、あんの秀子先生が出された解説本。いろいろあるなあ。
 1000年ものの文芸作品を、こうしてたえることなく現役の文化として楽しむ国って、なかなか素敵だ。
 学問の言葉は自国語でなく英語という国も多いが、そこでは起こりにくい現象なのではないかと(よその国は知らないけど)予想する。
 日本語を国語として使い続けられる幸せに感謝しないといけない。

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4月8日

2013年04月09日 | 学年だよりなど

 学年だより「夢のあきらめ方1」

 公開中の映画「ボクたちの交換日記」は、お笑いコンビ「房総スイマーズ」が主人公の作品だ。
 甲本(小出恵介)と田中(伊藤淳史)は、高3の時にコンビを組み、文化祭のステージで喝采を受けたのをきっかけにプロの芸人を志した。
 事務所に属して活動しはじめた頃は多少なりとも注目されたが、その後は鳴かず飛ばずのまま10年以上が経っていた。
 バイトなどで生計を立てながら、いつか売れてやるという夢を追いかける二人。
 とはいえ、長くコンビを続けているせいか、お互いに面と向かって言いたいことを言いあう関係ではなくなっている。
 それを打開するために、お互いの今の気持ちを伝えあおうと甲本が考えたのが、交換日記だった。
 交換日記を書き「なんとかしよう」とは言うものの、恋人(長澤まさみ)のマンションに入り浸り、知り合いから借金を重ね、それでいて合コンに足繁く通ってしまうのが甲本だ。
 TSUTAYAでバイトを続け、倹約した毎日を送りながら、ネタを書き続けるのは田中の方だった。
 甲本は、よく言えば天真爛漫。高校時代は人気者で、恋人もいて、スナックのマスターにもかわいがられる。憎めないタイプだろう。
 ただし、そういう人柄は、芸人として成功する必要条件ではないし、もちろん十分条件でもない。
 監督であるウッチャンこと内村光良氏は、お笑いの世界を知り尽くし、幾多の芸人さんたちとふれあっている。
 きまじめな生活をし、毎日ノートにネタを書き続ける田中の方がむしろ成功するタイプと描くのも、内村氏ゆえに描けるリアリティなのかと思えた。
 みんなも知っているとおり、お笑い芸人さんを目指す若者は山ほどいる。
 そしてメジャーになって活躍できるのは、そのうちのほんのわずかな人たちだ。
 比率でいえば、目指した人のうち90数%は、夢をあきらめることを余儀なくされるのが現実の姿だろう。
 年度当初から前向きでないような話で申し訳ないが、「夢をどう諦めるか」は人生設計を左右する。
 「諦める」を前提にしなくてもいいかもしれない。「夢と自分との折り合いの付け方」と言った方がいいかもしれないが、それにはいくつかのパターンが考えられる。
  a 最初から夢を追わない
  b ちょっとやってみてから諦める
  c 期限を決めてやってみる
  d とにかくやるだけやってみる
  e 何があっても諦めずに追い求め続ける

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ゼロ・ダーク・サーティー

2013年04月09日 | 演奏会・映画など

 「ゼロ・ダーク・サーティー」というタイトルは、最初SVOかと思ってたので意味がわからなかったのだけど、「午前0時半」を意味する米軍の専門用語だという。
 9.11テロの首謀者とされるビンラディン氏の居場所を何年もかけて探り出し、ついに突入を果たすその時間がタイトルなのだ。
 丑三つ時とか、19時の街とか、ジェットストリームの時間とか、お昼休みはうきうきウオッチとか、特定の時間のもつイメージというのはあるもので、アメリカの人はひょっとしたら「ゼロ・ダーク・サーティー」と聞くと、「ああ、あの日ね」とイメージ出来るのかもしれない。
「午前0時半」と事件の内容の結びつきもわかりやすい。
 たぐいまれな情報分析力でビンラディン氏の居場所をつきとめたのは、マヤという若い女性CIA局員である、と映画は描く。
 もちろん現実には、ここまで個人の資質に頼った結果とは思えない。
 しかし彼女のまわりにいる男達、任務遂行の努力はもちろんしてものの、自己の保身ゆえに本来の目的からはずれた結論に向かってしまう男達の生態がリアルだ。日本とかぶる。
 「女」は基本的に原理主義。「筋としては君の言うとおりだけどね、まあ、いろいろ事情も考えると、なかなかそうは言えないんだよ、ま、ひとつそのへんは汲んでいただいてね … 」的な発想になってしまうのが「男」。
 特殊な題材ではあるが、歴史の真実を映像化したというよりも、マヤというたたき上げの女性CIA局員の成長を描く仕事映画として見応えがあった。
 男社会の中でで凜として生きる女性の姿と、それを演じる女優さんの演じ方が見事だった。
 むしろ女性の見るべき作品ではないだろうか。

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『ダメをみがく』

2013年04月08日 | おすすめの本・CD

 自己啓発本を大量に読み、そこで得られた情報を生徒さんに語り続けていると、「じゃ、あんたはどうなの? 言ってるほどやれてるの?」という声は時折聞こえてくる。
 「不幸の量は決まっている、幸福の量は自分しだい」とか「あたりまえのことを継続せよ」とか「成功するコツは成功するまでやることだ」とか、元気なときは自信をもって語れるけれど、時には疲れるときもある。

 ♪ 説明することばも 無理して笑うことも しなくていいから
   何かあるなら いつでも頼ってほしい 疲れたときは肩をかすから
   どんなに強がっても ためいきくらい する時もある (「Story」2番)

 そんなとき「Story」を絶叫して泣くのもいいが、この本なんかも効くかなと思った。


 ~ 津村 コミュ力はすごいむずかしい。天性の才能やから。でも「ないとダメ」って言われた日にはどうしたらいいんでしょうね。
深澤 それは「美人」とか「足が速い人」と同じ才能ですから、ないものはしょうがないです。 … あと、私がもう一つ言いたいのは「ありもので生きる」ってこと。
津村 「ありもの」ですか?
深澤 そう、よく料理上手な人は冷蔵庫にあるものだけで料理ができるって言うでしょ。とにかく、自分の中にあるありもので―肉しかないとか、米しかないとか、野菜しかないっていう人もいるんですけど、それはそれなりのありもので、自分の人生をつくっていくしかないかなと。 (津村記久子・深澤真紀『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』紀伊國屋書店) ~


 津村記久子は芥川賞作家で、普通のOLさんが普通の会社で働く生態を書かせたら一級品の方だが、ご自身の会社務めの経験、結局はパワハラで退職を余儀なくされた会社経験が、作品を生み出すエネルギーになっていたこともわかった。
 深澤氏は、早稲田大学在学中から雑誌の編集に関わって名が売れ、いくつもの会社ではたらき、その後自分で会社をおこし、「草食男子」というネーミングの生みの親でもある。
 傍目には世の中の最前線で活躍するお二人に見えるが、女が世の中を渡っていくのは並々ではないことや、なんとか生きていくためのコツを語りあっていて、しかもそれがよくある啓発本の力強さではなく、こんな風に逃げればいい、こういう言葉はこうかわせばいいという方向性なので、きっと共感する女性も多いのでないだろうか。
 「女性が社会で働くための矜恃」とか「仕事に生きがいを」とか女性誌に書いてあるのを読んで、まじめな女性は呪いにかかってしまう。あり得ない目標設定をして行き詰まる毎日を送るより、ちょっとした工夫でなんとかのりきれ、やりすごせという教えは、女性にかぎらず役立つだろう。
 『ダメをみがく』ってタイトルは、言いたいことをうまく言い表しているな。
 人間誰しも「ダメダメ」な部分はある。なかったら神だから。自分のダメな部分を無理に矯正するのでもなく、しかし放置するでもなく、受け入れて工夫していく生き方。
 何でもない言葉に傷ついたり、なんの理由もなく将来が不安になるのは、べつに女子だけではない。(ちっちゃなクレーム一つで全てを否定されたような気分になることってないですか? 同業者のみなさま)
 面と向かって「がんばれ」っていう本はたくさんあるが、「そんなこともあるよ」って寄り添ってくれる本て意外に少ないような気がする。

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イタリアン

2013年04月07日 | 学年だよりなど

 生活指導研究会の代表が定年を迎えたのでコアメンバーで一度呑もうという連絡があり、川越駅西口から少し歩いたところにある「クチーナta・to」というイタリアンのお店に昨夕参集した。へえ、川越にこんな感じのお店があるんだと思えるたたずまいで、自分達おっさん6人以外はカップル客だったのも納得できる。
 生ハム、サーモン、スペインオムレツ風の料理の前菜から、アボガドと鶏肉のサラダ、牡蠣の香草焼き、魚介のパスタ、ピッツァ、牛すね肉の煮込み、イカスミの香りが漂うリゾット … 。呑み会と言えば居酒屋という暮らし向きの身にはめったに食べないラインナップはおいしかった。たまに醤油の関わらない食事もいい。
 新橋に「居酒屋ノート」とよばれる、全国各地の高校の寄せ書きノートを置くお店がある。
 その居酒屋のお客さんが、店内におかれた自分の出身高校のノートを探し、いろいろと書き込んでいく。また別の客が、そのノート目当てに訪れる。
 全国各地の伝統校、進学校のノートが当初中心だったようだが、現在は相当数の学校のものが置かれているそうだ。
 埼玉県内の高校も増えた。全国117番の川越高校、162番の浦和高校、1245番目にわが川越東高校ノートも置かれたという。
 埼玉県のノート一覧を見ながら、昨夜の主役Y先生は「おれの30年以上の教員生活のほとんどが、ここにノートのない学校なんだよ」と語る。おれもだ、と同席するもう一人の生徒指導一筋の先生。
 水持さんとこの子との違いはね、人に簡単にものを投げられるかどうかの違いなんじゃないかと思う、とY先生は言う。
 どういうことですか。
 誰かに何かをしてあげる、声をかけるということが簡単にできるできないのちがいかな。300円支払う、何かを手に入れる、みたいに、その場で完結する行為はできるんだよ。
 その場で完結しない行為って、いっぱいあるじゃない、これ貸しね、わるいね、こんどは俺がおごるよ、それは俺が○○しておいてやるよ、的な。そんなのを普通にできる層と、そうでない層があるんだよ。
 なるほど、それはもともとは家庭でのそういう関係ができていたかどうかからはじまりますよね。
 そうそう、目に見えないものの貸し借りを作らせる経験をさせるのが、学校の役割だよね。
 それは勉強より大事ですよね … 。
 傍目にはむさくるしい一団も、若者の将来を憂う、まじめな会話をしていたのである。
 自分でできること、自分でやった方が早いことも、どんどん他人に頼むようにするのが、教員生活晩年はいい、というお話も実に心にしみた。

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二元論

2013年04月06日 | 日々のあれこれ

 ~ 詩人―作家が言おうとすること、いやむしろ正確に言えば、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない。人々はよく、ある詩人―作家の作品は「しかじかの主張をしている」、「こういうメッセージを伝えている」、「彼の意見、考え、感情、思想はこうである」、と言うことがある。 … 実のところ、ある詩人―作家の書いた文学作品が告げようとしているなにか、とりあえず内容・概念的なものとみなされるなにか、言いかえると、その思想、考え、意見、感情などと思われているなにかは、それだけで切り離され、独立して自存していることはないのである。〈意味され、志向されている内容〉は、それを〈意味する仕方、志向する仕方〉の側面、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しないし、コミュニケートされない。だから〈意味されている内容・概念・イデー〉のみを抜き出して「これこそ詩人―作家の思想であり、告げられたメッセージである」ということはできないのだ。 (湯浅博雄「ランボーの詩の翻訳について」) ~


 先月行われた東大入試より第一問(評論)の冒頭。
 かんたんに言うと、表現内容と表現形態は一体であり、分けて考えることは本当はできないということだ。
 内容と形式とどっちが大事かと問われれば、われわれは「やっぱ中身でしょ」と答えがちだ。
 しかし実際には、何を言っているかより、どう言っているかの方が大事だったりする。
 大事というか、「どう」の部分こそ相手に伝わる。
 形式と中身を区別する考え方は、昨日勉強した「物心二元論」とつながっているのに気付いたかな、と講習では説明した。
 職員室のもどりパソコンをあけると、オバマ大統領が、女性の州司法長官の容姿をほめる発言をして問題になっているというニュースが目に入る。
 けなしたんならしょうがないけど、褒めて謝罪しないといけないなんて、アメリカは大変な国だ。
 中身と外形とは、彼らのなかではまったく別物でなければならず、仕事の能力と見た目は峻別されなければならないのだろう。
 なるほど西欧近代合理主義が徹底されている、徹底されなければならないとみんなが考えている国なんだと思う。
 『人は見た目が9割』なんて本はアメリカでは出版できないのかな。

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経費

2013年04月05日 | 日々のあれこれ

 バイトの日はおにぎりがほしいと言われて今週はけっこう作ったが、昆布、鮭、梅かつお、明太子と地味なのが続いたので、今日はドライカレーを薄焼き卵で包んだのと、唐揚げを細かくしてマヨネーズで和えたのにしてみた。
 グリコのドライカレーの素に、前の日にタマネギとともに炒めておいた挽肉を加えると、ものすごくおいしくなる。
 問「この具体例を抽象しなさい」。答「何事も一手間工夫することでグレードがあがる」。
 う~ん、講習でつかえるほどの発問ではないな。
 講習では、「現代文は現象から本質を見いだそうとする科目だから、文章に向かっている時だけが勉強じゃないよ。電車のなかで聞こえてきた会話から、どういうことだろう? と次元をかえて考えられればそれが勉強だ、日々生きてる時間はその気になれば全部勉強時間になる」と気づいたら話してたが、なんていい話なのだろう。えらいぞ、勝手に動くおれの口。
 「現代文は、参考書を一冊読んでみるのもいいかな。書店で自分にあいそうなのを選んでみたらどうだろう。先生の最近にお気に入りは、これだな。中野芳樹先生の『現代文読解の基礎講座』」と本体を掲げて、思わず「安っ!」と声を漏らしてしまった。
 933円(税別)という定価が目にとびこんできたからだ。この本が1000円しないなんて … 。
「予備校主催の教員研修会っていうのがあってね、たしかこの先生の話を三回聴きにいってるんだよ。一回15000円ぐらいだから、45000円ははらってるんだよね」
 そこで教わったことのエッセンスがびっしりつまったこの本が1000円弱で世に出ているなんて。
 本とはほんとに安いと思う。なんかもうしわけないくらいだ。
 中野先生ご自身がこの一冊をまとめられるまでに費やした時間、読まれた本、積み重ねてきた授業などの総体を考えたなら、自分のはらった45000円でさえ安すぎる。
 講習のあと、2年の「国語演習」を一緒に組む若い先生と空き教室にいき、お互い授業をやってみる。
 教員二年目なのに、そつがない方で驚いてしまった。自分が二年目のときなんて、助動詞の活用言えなかったもんね(あかんやろ)。いくつかアドバイスをしたが、自分のこの言葉もかかった経費はけっこうなものだ(金、金、言うな!)。
 午後、ミニコン用の合奏を少し、会議がひとつ、プリントづくりと、漢文の授業計画。
 車で聴く中谷彰宏氏CDを今月も買おうとサイトを見てたら、「デート代を男性がもつのはあたりまえ」という言葉が目に入る。「女性は、エステ、美容院、化粧、衣装と経費がすごくかかってるのです。男がデート代ぐらいですむなら安いものと思わなければ」とあって、なるほどと思う。
 そっか、次からは全部もつか、全部もつと下心丸見えかな、でも下心のないデートはあり得ないのだから、ご飯代ぐらいは気持ちよく男がもつのが正しいあり方なのかもしれないと(一定の年齢以上はね)思った。
 何事にも直接目に見えない経費が存在するのだ。
 そうだ、「わたしは、すぐにしょせん原価はいくらいくら、と言う人に腹が立ちます」と怒り心党に送ってみようかしら。

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ボクたちの交換日記

2013年04月04日 | 演奏会・映画など

 今まで文化祭にきてもらった芸人さんを思い出してみると、本校が登竜門なのかと思ってしまうほど、その後「売れた」芸人さんが多い。
 古くは浅草キッドさん、爆笑問題さん。タカトシさんが来たのは「欧米か!」って言い始める前だったし、オリラジさんにいたっては「ネタ10分分はないですが、前座でつかってください」と業者さんに言われて来てもらった最初のころだ。DonDokoDon、ロバート、インパルス、我が家、渡辺直美、ロッチ … 。
 もちろん、未だにテレビではみかけない方もいる。

 DVD「紳竜の研究」に、島田紳助氏がNSCで若手芸人の前で行った講義が収められてる。 
 「はっきり言うとくけど、このなかに売れる芸人はおらへんぞ」って、たしか言ってた。
 どうしても売れたかったら、せめて俺らがやってたぐらいの努力はせえよ、と言って若い頃の話をし始める。  そして語ったのが、人気のある先輩のネタを録音して、テープおこしして、分析して、ポイントは何か、自分に足りないものは何か、そして自分に可能性があるとしたら何かを徹底的に考えていくという作業だった。
 これを見たとき、教師修行とまったく同じだと思った。
 うなづきながら講義を聴いている若手のなかで、この作業を実際にはじめた芸人さんはどれくらいいただろう。
 その日「よしやるぞ」と思っても、ほんとにやり始めるのは一握り、それを継続できるのはさらに少なくなる。
 その比率は、結果として生き残る芸人さんと、そうでない人との比率とほぼ等しいのではないか。
 それはちょうど、自分の授業を録音してみるという作業さえ、たぶん一回もしないで終わる教員の方が多いのと同じかもしれない。
 一方、札幌の堀裕嗣先生がいま次々と御本を出されている姿は、若い頃の努力をかすかに垣間見た身としては、まったく当然の結果と思える。
 教員は、芸人と違って修行しなくても「めしは食える」が、芸人さんは「食える」状態になれる人が、ほんの一握りであるというのが現実だ。

 お笑いコンビ「房総スイマーズ」の甲本(小出恵介)と田中(伊藤淳史)は、高校の時にコンビを組み、文化祭のステージで喝采を受けたのをきっかけにプロの芸人を志す。
 事務所に属して活動しはじめた頃は多少なりとも注目されたが、その後は鳴かず飛ばずの10年が経過していた。
 バイトで生計を立てながらも、いつか売れてやるという夢を追いかける二人。
 とはいえ、長くコンビを続けているせいか、お互いに面と向かって言いたいことを言いあう関係ではなくなっていた。
 それを打開するため、お互いの今の気持ちを伝えあおうと甲本が考えたのが、交換日記だった。
 交換日記自体は書くものの、恋人のマンションに入り浸り、借金もあり、それでいて合コンに足繁く通ってしまうのが甲本だ。
 一方バイトをして倹約した暮らしをしながら、ネタを書き続けるのは田中の方だった。
 甲本は、よく言えば天真爛漫。高校時代は人気者で、恋人もいて、スナックのマスターにもかわいがられる。
 憎めないタイプだろう。ただし、そういう人柄は、芸人として成功する必要条件でも、もちろん十分条件でもない。
 監督であるウッチャン内村氏は、お笑いの世界を知り尽くし、幾多の芸人さんたちとふれあってきた。
 きまじめな毎日を送り、ノートにネタを書き続ける田中の方がむしろ成功するタイプと描くのも、内村氏ゆえに描けるリアリティなのかと感じた。
 
 芸人を目指すたくさんの若者たちがいる。
 役者さんの世界も、音楽家の世界も厳しさは同じだ。
 楽器のレッスンに昔きてもらった先生で、田舎に帰って「かたぎ」にもどると言って職業音楽家の道を離れた方がいた。
 好きでよく見にいく小劇場のお芝居も、見ている分には魅力的な世界だが、葛藤をかかえながら続けている人も多いだろう。
 そういう世界に足を踏み入れた人は、いつ自分にけじめをつけるのだろう。
 30歳までは好きなことをやってその時点で決めようとか、田舎の両親が元気なうちはやらせてもらおうとか、体の動く限りはとか、あと一回だけオーディションに出たらとか、それぞれにいろんな期限をつくるのだろうか。 スポーツ選手よりも、見切りの付け方が難しい世界かもしれない。

 暴走スイマーズが最後のチャンスと考えたコンテストでは、快調に決勝戦まで勝ち進むものの、最後の一線を越えることはできなかった。
 「解散」を口にしたのは甲本の方で、解散したくないとごねたのは田中だった。
 このへんの事情には後日譚がある。
 それがまた泣かせるけど、ここには書かない。

 人はどこまで夢を追いかけるべきなのか、どこで、どうなった時に夢を捨てるべきなのか。
 芸人を目指す若者を描くことでくっきりと浮かぶあがったこのテーマは、決して特殊なものではない。
 若いころなら誰もが感じている、自分の将来に対する根拠のない自信と漠然とした不安がうむ、普遍的な気分だ。
 あのぉ、実は若くないおれだって少しはそんなことを思う。丸谷先生や石田先生のようになれるとは思えないが、もう少し可能性があるんじゃないかと今だに夢想する。
 ただ … 、若いころの島田紳助氏や堀裕嗣氏のような努力を重ねることは出来ない自分であろうという自覚はあるのだ。
 もっと言えば、努力しようとしてやっているようではだめだ。気づいたら没頭してた、そうせざるを得ない自分だったという状況でやり続けた人のみ、本当のトップに立てる。

 職業柄「可能性」とか「夢」とか簡単に口にしてしまうけど、それ自体ではなく、それとどう向き合うか、それと自分との折り合いに付け方を人生と呼ぶのだろう。
 いい映画だった。
 エンドロールでかかったテーマソング「サヨナラじゃない」では、なけなしの才能をふりしぼって書いた定演のお芝居を思い出させられ、泣いた。
 あと、うまく言えないが「監督くささ」みたいなのがなかった。
 鬼才と言われるM監督やらS監督みたいに、いかにもおれさまがつくりました! 的な、はなにつく感じがまったくしない。これもまたウッチャンの希有な才能なのだろう。
 あとね、長澤まさみ様はもはや大女優です。木村文乃さんは美しいし、川口春奈ちゃんはオーラでまくっているので、レイトショー1200円では申し訳ないと思った。

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入学式

2013年04月03日 | 日々のあれこれ

 春の大嵐の中、519名の新入生を迎えることができた。自分の学年は外回り中心の仕事だったので、駐車場係の先生には、式の参列とか気にせずカッパ装填で仕事に専念してほしい旨依頼して配置についてもらった。
 国歌、校歌の二曲は無難に演奏でき、入学式のあとは恒例の新入生歓迎演奏会。
 昨年まで弦楽アンサンブルの方を何回かお招きしてきたが、今年は歌にしてみようかと上からのお達しがあり、何組かリストアップさせていただいていた。
 その過程で、なぜかラジオで何回も耳にしたのが、ボーカルグループAJIさんだった。
 NHK「みんなの歌」でもかかった「ほうき星」、NACK5パワープレイになった「someday」。
 ご縁だったのだろう。リハで「someday」を聴いたとき泣きそうだった。CDほど完璧なハーモニーでない部分もまれにあったりするのだが、そこがいい。生歌のエネルギーはやはりすごい。
 新入生のみなさんには喜んでもらえただろうか。
 部員に機材搬出をしてもらい、バスに乗り損ねた数名を送ってもどると、浦和学院さんが決勝戦を大差で勝って優勝したことを知る。今年も強敵がいる。
 その後、氷川会館に移動して新任の先生の歓迎会。
 ビンゴ大会で学校近くの焼き肉屋さんの食券5000円分という最高級の商品をあててしまった。
 今年度のくじ運は今日で皆無だろう。この先コンクールの抽選などは部長さんにがんばってもらわねばならぬ。
 もっと働けという神の声でもあると心得て、再び学校にもどり、講習の予習、授業計画づくりなど。
 雨はやんだが、風はまだ吹いている。
 今日までねばってくれたテニスコート脇の満開の桜は、これで一休みだろうか。

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新年度

2013年04月02日 | 日々のあれこれ

 4月1日
 年度初めの日は、市民会館の使用申し込み日でもある。11ヶ月前の月の初日、午前10時まで市民会館に行かねばならない。抽選があるとさらに10時半まで。普通にはたらいている人は行けない設定だが、誰も異を唱えないのだろうか。しょうがないかな。
 会議が続くので、新行事実行委員長のユーヤ君とみうら君に会館に行ってもらった。同時期に開催している学校さんと連絡していたこともあり、希望の日程がおさえられた。

 第22回定期演奏会は、平成26年3月23日(日)です。
 みなさま、予定をあけておいてください。よろしくお願いします。

 学年会議、教科会議をこなし、年度初めの職員会議の場所に移動してホリエモンのメルマガに目を通していたら、隣に腰掛けた同僚がそれ何? というので見せてあげる。仮釈放の日までの動きがなかなかドラマティックで、読み応えがある回だったが、その同僚はムショからこんなの発信してていいのか、と問う。ま、たしかにそう言われれば。月800円で一万人以上会員がいるよというと、ムショにいて儲けてていいのかと問う。どうなのかね。高くね? とも言われたがそれはないな。「現代」や「ポスト」は一冊400円だから毎週買うと月1600円。800円で「週刊現代」四冊分よりも有用な情報ははるかに多いから、むしろ安いと感じる。袋とじはないけどね。
 理事長による講話、学校長の経営方針説明、各部署から年間計画など、新任の先生の自己紹介などで1時間ほど。これ以降、ふだんの職員会議が15分を超えることはまずないから、おそらく県立さんに比べたら会議時間は少ない学校ではないだろうか。ありがたいことだ。

 午後は課題曲と、ミニコンで演奏する曲の合奏。
 最後の集合で、前日に体感してきたファンキー武生商業高校吹奏楽部演奏会の話を少し語る。
 夕方池袋に出てジュンク堂で少し本を買う。となりのスタバでレッスン依頼のメールをしたり、授業の計画を立てたり。コーヒー屋さんほど仕事の進む空間はない。原因はなんだろう。職場に比するとパソコンがない、同僚がいない、家と違うのはテレビがない、酒が出ないこと。そうか、一人になってお酒さえ飲まないとき、おれは仕事しかしないのかと気づいた。

 4月2日
 入学式の、というか入学歓迎演奏会の準備。機材搬入を部員で行い、そのあとは仕込みからリハーサルにずっと立ち会った。今年は前年までと違った会社さんにお願いしたので。
 音あわせのあと、完全通しリハまでやっていただく念入りさで、明日はいい演奏会になりそうだ。
 そのまえに自分たちが、入学式で演奏をびしっと決めなければならない。
 練習終えて、4日からの講習のプリントづくり、机の整理、歓迎演奏会のプログラム印刷など。
 昨日から全開で働き、二日目にして少し力が弱まってきた。あと363日もつかな。

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