いろいろ考えたり悩んだりして人は様々な物事を決めるものだけど、結論を出す瞬間というのは、その瞬間の判断にすぎないわけで、それまで長々と考えてきた方向性とは正反対の結論になることもある。
いや、取り立てて何があったというのではないけれど、人が何かを決めるときというのは、結局そういうものなんだろなあと、ふいに思ったので。
たとえば、生徒さんが何かを言ってきたとき、何かをやらかしたとき、事件がおこったときにどう対応するかなんてのは、その瞬間に判断しないといけない。
顔や雰囲気から瞬時に「どした?」って言うのか「こるぁあ!」というのかは、判断というよりむしろ反射か。
センター現代文満点講座で、霜栄先生も最後は「勘」だとおっしゃっていた。
身体が総合的にはたらき思考より先に何かを選び取って働く状態を勘というなら、日常生活の大体のことは、習慣による惰性か、勘による決定の蓄積で構成されてる。
学校の先生としての「勘」を養うには、もちろん最低限の知識はいるし、それを現場で活用した経験がものを言う。
頭でっかちでもだめだし、経験則だけですべてを乗り切るのも無理だ。
生徒も同じで、正しく勘のはたらく身体をつくることこそが究極の目標だ。
そういう身体の完成は、その過程における金賞とか優勝とかよりも上位におくことができると思う。
そのために勉強したり、運動したり、芸術したり、あいさつしたり、そうじしたり、身なりを整えたりするのだろう。
学年だより「レコーディング」
数年前、岡田斗司夫氏の書いたダイエット本『いつまでもデブと思うなよ』が、大ベストセラーになった。約1年で117㎏から67㎏に痩せるという成果をまとめたものだが、岡田氏は特別な方法をとったわけではない。「何を食べたかを記録すること」、方法論はこの1点だった。
~ 会社の経営が苦しいときも、まずやるべきことは、お金の出入りの把握だ。自信満々で発売した商品の売れ行きがイマイチだったときも「発売から週何個ずつ売れたのか」「どんな店で何個ずつ売れているのか」という、売れ数の把握が第一歩だ。対策をすぐに考えたり、理由を安易に想像したりすべきではない。 … 現状を、冷静に数字で把握すること。具体的に、細かい勘定科目まで把握し、それから、合計したり、差し引きしたり、平均をだす。と、冷徹な事実が見えてくる。 … どうやって現状を乗り越えるべきか? 打開策の第一歩は? すべて、具体的な数字の把握から始めるしかない。 (岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』新潮新書) ~
この方法論を、岡田氏は「レコーディング」と名付けた。
現状を打開するためには、まず現状を把握するところからしかはじまらない。
こう書くとあまりにも当たり前のことなのだが、私たちは実はこれができないまま、目先のことを何とかしようと思いがちなのだ。
会社の経営を改善しようと思ったら、お金の出入りを把握すること。
ダイエットしようと思ったら、サプリメントを飲む前に自分の食生活を見直すこと。
成績状況を改善しようと思ったら、生活を見直すこと。
成績が思うようにあがらない原因は、前にも書いたけど、物理的な勉強量不足が圧倒的第一位だ。
じゃ、どうすればいいか? 勉強時間を増やすしかない。どうやって?
自分が何をどれくらいやったのかを記録するところから始めるのだ。
日付を書き、何を、何分やったかを、ひたすら書いていくのだ。
おそらく自分がどれほど勉強していないかが客観的に明らかになるだろう。
授業中の様子をみていると、生活そのものの改善が必要な子も多いと思われる。
何時に寝たか、何時に起きたかも、チェックしよう。
念のため言っておくけど、部活をやりながら大学進学を目指すのであれば、ゲームはいっさいやるべきではない。今日から、ゲームは完全に卒業しなさい。これだけは絶対条件です。
それなりに勉強時間はとれているけど、もう一歩伸び悩んでいる場合も、やっぱり書くべきだ。
書いてみると、時間配分がアンバランスなことに気づく場合もあるだろう。やっているつもりだったけど、思ってたほどでなかった場合もあるだろう。
何より、書くことで自己が相対化される。これが一番の目的だ。
~ レコーディングはすべてに応用可能な、「奇跡を当たり前にする」技術なのである。 ~
自分が何を問題と考えているかが意識できてはじめて、解決の光が見えてくる。
台風で、全部活おやすみ。連絡のまわってない生徒がいると困るからと、スクールバスの運転手さんが朝一でバス停にいき、今日は学校はあかない、電車が動いているうちに帰るようにと伝えてくれたようだ。
昼頃には暴風雨になる。雨は昨日の朝の方が強かったかもしれない。
せっかくなので、静かな職員室でふだんはなかなか集中してできない仕事をさせてもらう。
気になってネットニュースを見ると、京都の方が大変なことになっている。
福井にも特別警戒が出ているようで、おそらく若狭の方だから実家のあるあたりは心配ないと思ったが、もんじゅ付近で土砂崩れがおこったというニュースは、大丈夫なのかと思う。
北関東を通過していった台風も、ずれて福島の4号機上空を通過したとしたら大丈夫なのか、台風じゃなくても竜巻が起こったらどうなのか。
日本の経済に原発が必要と言う池田信夫先生のお話もわかるし、反原発を唱える方々の中にはあまりに感情的にすぎて科学性が感じられないことが多々あるのも事実だが、しかし今時点で原発がおかれた状況は、たまたまなりをひそめているにすぎない状態であるのは間違いないのではないか。
猛暑があって、ゲリラ豪雨があって、台風がきて、秋が過ぎればまた大雪や寒波のニュースをきき、今年の天気異常だよねとかいう会話もあったりするこの日本だが、でもそのおかげで、豊かな自然があり、水に困らず、おいしいものが食べられる。
外国に行ったことは数えるほどしかないが(うそ、盛った。一回だけっす)、今まで生きてきた中で得られた知識を総合的に考えた場合、この日本の自然環境というのは世界的に見て奇跡的に恵まれている。
本来の自然にないものを無理矢理つくりだしていることへの慎重さは、いくらあっても過ぎることはない。
「人はな、海から恵みを受けて幸せになって海のこわさを忘れることがある。それが人の傲慢さだ」(by夏ばっぱ)
ご来場、ご声援ありがとうございました!
大雨の中を登校し、念のため星野高校さんのホームページを確認すると、通常通り文化祭は行う、ただし1時間はやく繰り上げて終わりにするという案内が載っている。星野高校の今井先生からも、時間は予定通り、中庭ではなく体育館でやりますとの連絡をいただいた。
会場の第二校舎付近は、例年以上に車で混雑している。雨でグランドを駐車場にできないため、係の先生や生徒さんも対応の苦慮している。若い女の先生も係になっているのだが、うちの若手の先生方が投入されたらどんだけ力を発揮するだろう。
集合場所では、すでに何人かが集まって踊りの打ち合わせをしている。現場の雰囲気をつかんでおくことは司会者の重要な仕事なので、体育館フロアにいき、バトン部さんや、マーチングさんの発表を少しみた。外よりも音はよくひびくのだが、意外に客席と演奏者との距離が遠い。自分の学校だったら、すぐに手直しするのだけど、さすがにそれは無理だ。お客様のお気持ちに頼るしかないと思いながら、リハーサル場にもどり、がんばろうと声をかけ、時間になったので移動。いっしょに写真撮ってくださいと3年生から声をかけられ、まだまだおれも捨てたもんじゃないぜと思いながら、教員の範囲を超えないレベルの笑顔で対応し、会場に向かう。
本番では、やはり自分的には客席との距離感が縮まらないままで終わってしまった。
出演者の保護者の方々や、星野の生徒さんのおかげで、暖かい空気感で演奏できたのではないだろうか。
終えて、片付けをしている部員たちに「明日、台風で練習できなくなったからね」と告げたときに露骨に喜んだやつをいじめ、帰り支度をさせる。
最後もミーティングで星野ウインドに皆様にお礼をいい、今年の合同演奏もあっというまに終わってしまった。
ほんとはもっと一緒の練習したかった。
終わってもなかなか楽器を運ばず女子とまったりしている全員をなかじま先生に一喝してもらい、選ばれし片付けチームとともに学校にもどり、いろいろ片付けて、学校全体の戸締まり確認などをした。
午後からは、ほんとうに台風来てるの? いっちゃった? と思えるような天気だった。
2時間授業のあとロングホームルームは、卒業生による合格体験談を聞く会。
四人のOBの話をきいたが、なんか学年主任講話より、みんなちゃんと聞くよね。いいけどさ。
身近な存在の身近な体験は伝わるものがあるのだろう。
同じくらい「いい話」はしているつもりだけど、勉強については、現役感覚というかライブ感覚というか、そういうのも大事なのだ。
どうしたらモテますか? みたい話と同じじゃないだろうか。
昼食後、とにかく一分でも早く合奏を始められるように準備せよと連絡して合奏。
譜面をさらい、暗譜で吹かせてみて、体の動きをさらう。
一人でやってみぃと言ったら全然できてない子も混じっているのはまちがいないのだが、元気でのりきってもらうしかない。
バスで星野さんに移動して合同練習。みんなでやればなんとかなるかな。
練習時間が少なかったわりに、うちのダンスチームは健闘してしていた。
たぶん明日は雨だろうが、とにかく楽しくやれたらいいなあ。
富士見市文化会館(キラリふじみ)は、松井館長がえらいのか、松井氏を館長にした富士見市がえらいのかわからないが、多田淳之介さんを芸術監督に迎えて、その監督という地位が実質で機能し、多田氏に存分に力を発揮してもらっている。
だから車でわずか15分のホールで、日本のお芝居の最先端にふれることができるのは、実にありがたい。
田上豊氏作、演出の「マザーリバーホーミング」は、キラリのマルチホールに、ざっとみて50人から60人ぐらいのお客さんを集めて演じられていたが、そして公演期間は三日間だが、それがものすごくもったいなく感じたお芝居だった。2500円て安すぎる。
それは田上氏の故郷熊本を舞台にした、ある家族の物語だ。
昭和55年、父が亡くなり、母と5人の兄弟の家に、素性のわからない少女がまぎれこんでくる。
その大家族の20年前、10年前のシーンがテンポよくはさみこまれて行く過程で、少女の父親が明らかになっていき、隠されていた家族の過去があきらかになる。
役者さんはみな訓練された熊本弁で演じる。みなパワフルだ。
どたばた、笑い、でも後半、気がつくと客席みんながはなをすすっていて、今はなき東京セレソンデラックスの「夕」を連想させた。
よかったなあ「夕」。はじめて二回見たお芝居だ。
セレソンはもうないけど、田上さんがいるではないか。そう思った。セレソンの「笑うまち」に出てた大柄の役者さんが出ていたのもうれしかった。
本多劇場で三週間公演している芝居とか、パルコで一ヶ月やっててチケット9000円とかいうお芝居にまったくひけをとらない。
つくづく、お芝居は役者さんの豪華さとかチケットの値段とかではないと思う。
東京五輪の開会式の演出は誰がするんだろうなんて話題があるけど、まちがっても蜷川氏とか浅利氏とか大御所を選んではいけない。
多田淳之介とか中屋敷法仁とか田上豊とか、若い才能をぜひつかってみてくれないだろうか。
大御所に頼むくらいだったら、吹奏楽の世界のイベントのしきりがやたらに上手な、たとえば市柏の石田先生とかにまかせた方が絶対いい開会式になるはずだ。
学年だより「根本を変える」
風邪をひいた、咳がとまらない、医者へ行った、咳止め薬をもらった。
鼻血が出た、繰り返し出た、医者へ行った、鼻の内部に止血剤を塗ってくれた。
背中が痛い、吐き気もする、医者へ行った、痛み止めを注射してくれた … 。
どのお医者さんも、その瞬間の症状を楽にするという意味では、正しい処置をしてくれたのかもしれない。それが正解であることも、もちろんありうる。
ただ実際には、表面的には見えにくい疾患がその症状をひきおこしている場合も多く、それを見抜いて根本的な治療をしてもらえることを、われわれは期待する。
~ (風邪のとき)、良いお医者さんはどうするでしょうか。あなたに、いくつも質問をしてくれることでしょう。夜更かしをしていないか、食事をちゃんととっているのか、うがいや手洗いをしているか、です。
それらの質問は、あなたの風邪の原因が、本当にどこにあるのかをつきとめるためのものです。そこであなたは、健康的な生活をしていないことに気がつきます。
今まで何も考えていなかったのに、客観的に自分の生活を見ることで「ハッ」と気づくのです。これが大事なのです。 (清水章弘『現役東大生が教える 頭がよくなる7つの習慣』PHP文庫) ~
何らかの症状があって、その原因をはっきりさせないまま対症療法だけを行っていても、根本的解決にはならない。
たとえば、ダイエット。テレビ番組で「ダイエット効果のある食品」として紹介された食材は、次の日にはスーパーから姿を消すぐらい売れる。「少しやせなきゃ」と考えていた人が、「いいこときいた!」と喜んで、毎日納豆を2パックずつ食べるのだ。
食生活をまったく変えないままに納豆を食べても、納豆分のカロリーを毎日増やすだけだ。
考えたらわかりそうなものなのに、でも、なんかやり始めた気分になってしまう。
日々の生活を改めないまま、「やせる薬」を呑んでも、むやみに運動してみても、ダイエット食品だけで生活してみても、根本は変わらない。
無理に何かをしなきゃと思ってやるダイエットは、ふつうはリバウンドする。
ほぼ無意識レベルで、食生活が少し変化したり、生活パターンが変化すると、意外と簡単にダイエットは成功する。
何を言いたいか、この先どんな展開になるか、もう予想はついたでしょ?
どうも成績が思わしくない、どうしよう、勉強しなきゃ … 。
そう思って「よし、予備校に通おう」という選択をするのは、とりあえず納豆2パックずつ食べ始めるのと変わらない。
成績が上がらない根本的原因が、予備校に通うことで解決する「症例」は、極めて少ない。
たとえば部活をやめてみても、ほとんどの人は根本的解決にはならない。
むしろ、そういう解決手段を考える精神状態がマイナスに働くことさえあるのだ。
ある運動部顧問が、オリンピックの年のインターハイ日程どうなるんだろ、と真剣に心配してるのを聞き、まだずっと先じゃん、顧問やってるかどうか、この世にいるのかさえ絶対じゃないのに、何言ってんだか、と思ってしまったが、もちろん口には出さず、でもインターハイに出てる人はそういう心配ができていいよなと思ってしまった。
7年後。実際どんな自分になっているか皆目見当もつかないが、せっかく電車で行ける土地に住んでるのだから、マイナーな競技でいいから一つぐらい見てみたい。
といっても、日本人のことだから、今マイナーとされる競技でも、7年後には盛り上がる状態にしてしまいそうだ。
町で寂しそうなひとり旅風の外国人をみかけると、声をかけたくなってしまい、ときどき本当に声をかけて自分のしゃべれなさに自己嫌悪に陥るけど、7年後にはもう少しなんとかなるようにと思って、とりあえずユメタンを覚えることにした。
7年後。今の高校2年生は24歳になるのか。
いい年齢だな。なんでもできるな。
7年間精進したら、今の段階で経験ゼロの競技でも、オリンピック狙える種目ってあるんじゃないかな。
自分も、開会式の演出のオファーがくるのを目標にがんばってみようかしら。あっ、「君が代」斉唱もあるか。
こんなのは冗談にもしてもらえない与太話かもしれないが、いまの小学生、中学生のモチベーションをどれだけあげていることか。
7年後。少なくとも、選手村が完成するより先に、仮設住宅に住む方々の落ち着き先が決まってないといけない。
平常授業。すでに文化祭が遠い日のことのようだ。
だから、百人一首を教えてても、「あの人、この間のクイズ大会でカルタの問題が出たのに答えられなかったよね、せっかく自分の分野の問題だったのに、残念なヤーツ」などと思っている生徒さんはいないはずで、みな集中していた。
プリントの小問を解き、黒板に出て答えを書いてもらう。20人分なので出席番号であてる。ばらばらっと出てくる。えっと、この子だれだっけ? え、この組? と感じてしまうことがあって、夏休みを越えるとせっかく覚えた人名と本人との一致度が脳内で減少している。しょうがないのかなあ。オバマくんもめっきり老けた。
放課後、新座市民会館でに出かけ、立教のしむら先生とともに当日の打ち合わせ。
舞台のスタッフの方が、仕事できそうなおじさんで、安心しておまかせできる気持ちになった。
あとは練習するのみだろう。それより、星華祭か。暗譜で演奏しようということになっているが、覚えてる気配が感じられない。明日みっちり様子をみる。
松尾スズキ作『悪霊~下女の恋』を観た。出かける前にwikiってみて、松尾スズキ氏(「あまちゃん」純喫茶アイドルのマスター役)が自分より年下だったので、ちょっとへえと思った。不思議ではないのだが。
三宅弘城さん、広岡由里子さんという、舞台の世界ではきっと大御所に近いような方と、賀来賢人さんという若手、ファブリーズのCMでおなじみの平岩紙さんの四人によるお芝居は、コメディー要素がなければ、なかなかにえぐい人間関係を描いた作品だ。
ほっといても仕事する役者さんばかりだろうが、特に、はじめて生で見た平岩紙さんのフィジカルの高さには感心した。(直前にテアトル新宿で観た「夏の終わり」の満島ひかりちゃんにも匹敵するかもしれない。満島さんの存在感は圧倒的だが、その能力を全開にしきった監督さんは未だご主人含めてもいないのではないだろうか。)
お芝居自体が何を言いたいのか、わかった気がしない。いや、筋はわかったよ。
人気のでかかったお笑いコンビ(三宅・賀来)がいる。三宅さんが婚約者の平岩さんを家に連れてきて、母の広岡さんに紹介する。相方の賀来君が平岩さんに出会うと、二人は意識し始める。三宅さんが事故で下半身の自由がきかなくなる。三宅と賀来は、実は異母兄弟だったことがわかる。母親が事故で亡くなる。その母親にうり二つの家政婦(広岡さん二役)がやってきて、賀来とラブラブになる … 。
舞台上はずっと、この4人。男女4人で想定されうる人間関係が、結局全部でそろっちゃったなあ、人間ってたしかにこんなもんだよなあと思うしかない展開。
客席は長年の「大人計画」ファンが多いのだろうか、平均年齢は高く、みな人生経験が十分にありそうだ。
だとしたら、このストーリーでギャグをちりばめてくれなかったなら、身につまされて見ていられない方々も多いのではないかと、心配になった。おれには他人(ひと)事だけど。
ちりばめられた伏線も小ネタもきれいに回収され、最後は松尾氏も顔も見せ、久しぶりに本多劇場らしい空間に身を置けて楽しかった。