玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

此の國の自由が不公平

2023-08-17 13:46:05 | つぶやき

警察権力が異様に強くなっている。それを何も報じない沈黙のマスコミ、もうテレビは全く見放した。

近頃のジャニーズ問題や木原問題はネットでは騒ぐが、政府や警察が社会全般にまで統制を持ち出して上意下達で事件を封印をしているように見える。

また本来の「政治」に付随する単に卑しい利権や非違行為でも、首相経験者という理由だけで警察は手を出さない。マスコミも同じく批判をしない。

権力を握ったモノだけが何者にも侵されない自由を持つようだ。

まともに汗して生きている人間から見れば、まったく不条理でまさに不公平である。

こんな社会では、個人の独力の攻撃行動は続くだろう。警察の権力者への阿り、裁判所の政権への忖度判決が続けば、今後人々はどういう行動をとるのだろうか。

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庶民は忘れていないよ

2023-08-16 15:16:09 | 報道

「4日間37.5度以上の熱が続かなければ、病院に行くな」と言った加藤六月の婿という世襲議員の加藤勝信さんが厚労大臣に普通に再任された。

コロナの時の庶民の苦しみ、恨みを全く知らないヒトの人事だと感じた。いくら派閥均衡と云っても、キシダは加藤氏を厚労大臣にすべきではないだろう。

キシダ政権は庶民の声を聴けない、いや聞かない政権であろうと言わざるを得ない。

コロナの流行がヒトの死を軽くしたのだろうか。

警察が戦前の特高警察のように人権無視の方向に回帰しているのだろうか。

そう言えば、伊藤詩織さん事件の逮捕状差し止めも腑に落ちない。キハラ事件で、人々が警察を疑い出したら、新聞・テレビに日大の大麻・覚せい剤事件が出て、更に再エネ利権の汚職の報道というメディアへのサービスが施された。

政府や警察は庶民の目晦ましをしているつもりなのだろう。

もう庶民には見飽きた政権・警察とメディアの出来レースの光景で、投げられた餌を懇ろに報道するメディアの賤しさばかりが目立つことになる。メディアも政権の僕(しもべ)であることが見えてくる。

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この日であるが故に、…

2023-08-15 14:38:42 | 報道

公式の終戦の日は、印刷局から官報号外として8月14日付けの「詔書」が公布された「14日」である。8月15日の午前零時に迫水書記官長から各社に「詔書」が伝達され、新聞は玉音放送の後に配達することが要請された。

各新聞社は記事を書き写真を載せ印刷をし、そして各地に配送をし、正午の玉音放送の後に新聞を配ることになった。

ということは終戦の記事はたぶん15日には書かれていないだろう。14日までに新聞各社は凡その記事を書いていて、「詔書」を足して載せたのだろう。

戦後、8月14日付けの詔書は「終戦詔書」と呼ばれるようになった。玉音放送は8月15日の天皇の詔書朗読の前段で、下村海南情報局総裁が「これよりつつしみて玉音をお送り申します」と言う内容のニュース原稿が残っている。つまりその日、その瞬間から天皇の「朗読」は「玉音」となった訳である。

放送全体のテープもしくは録音盤は残っていない。天皇の玉音録音盤も劣化して使えない。今我々が聞いているのは米国のテープを複写したものである。

この國は、「国家の記録」を粗末に扱うのが好きなようである。これは今も変わらない。

【参考・引用文献:迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、竹山昭子『玉音放送』晩聲社】

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あの日の為に言ふ

2023-08-14 15:21:08 | 報道

アサヒ新聞は戦争の総括をしたと2008年に『新聞と戦争』を刊行した。

8月15日に「涙でファインダーが曇り、アサヒのカメラマンは宮城前で泣き伏す光景を取れなかった」という趣旨のことを書いている。そして、つまり16日「敗戦初日の新聞としては完全に負けだ」とも書いてある。

しかし、2005年出版の『八月十五日の神話』(佐藤卓己)によれば、8月14日に二重橋前で或るカメラマンに「土下座をしてほしい」と頼まれ、写真を撮られた人がいることを書いてある。その時、カメラマンが泣いていたそうである

アサヒは事前にこの本を読めたはずだ。

8月15日正午の玉音放送の後にこの國の民草は宮城に向かって詫びたのであろうか。

『八月十五日の神話』によれば、朝日以外の8月16日に載った毎日や読売の写真は敗戦前の写真が転用された可能性を含めて検証の必要性を示唆している。

要するに、玉音放送の後に皇居前で人々が土下座した写真が実際に撮れたのだろうか?普通に考えれば、15日に写真を撮らなければ16日の記事に間に合わない筈である。

ということは、玉音放送の時に宮城の前にはラジオがあったのか?あるいは、各自で聴いた人々が宮城前に自然に集まって来たというヿなのか?そんなにモノヿは上手く行くのだろうか。

『八月十五日の神話』の著者は「私たちに必要なのは…。記録写真を持つことができない敗者だったという事実に耐えることではあるまいか」と言った。

 

【参考文献:佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書2005年、『新聞と戦争』朝日新聞出版2008年初版】

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メディアは政権の道具

2023-08-13 14:48:52 | 報道

心配とか脅威とか怖れを「懸念」という先走りの感情表現で種々の危機感を一緒くたに綯い交ぜにし、誤魔化している政府やマスコミ・メディアの現状を見ると、ふと、これが現代版の「伏せ字」ではないかと思うようになりました。

更に事実があるのに、「報道しない自由」を掲げて報道しない、そして無かったことにしようとしている。その悪弊がこれまで明らかにされなかったジャニーズの性被害であるし、これから無きモノにしょうとしているキハラ事件なのかも知れません。

官邸や警察はテレビや新聞のニュースの空白を埋めるために、態々マスコミに大麻事件や汚職事件を餌として与えているようにも見えます。

「官邸」という二文字が、タモリの云った「新しい戦前」の「官憲」や「内務省」を連想してしまいます。

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