「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「最後の訃報連絡」

2024年12月10日 | つれづれ噺
そろそろ本格的に年賀状の準備に入ろうとした今日のこと。
少し遅めの訃報葉書が届いた。仲よし同級生からの一通で「長男〇〇が今年11月、58歳で永眠しました」と書かれていた。
この世で何が辛いかと聞かれたら答えに窮する。それは、想像に絶するほどの不幸を体験していないからではないかと思う。 

彼女にとって、この年齢になって自分たちより先に我が子の不幸を見送る立場に立つことの辛さは如何ばかりか。
もっとも、身内の誰が旅立っても深い悲しみに沈むのは確かであるが、親より先に逝く子の気持ちも測ることの出来ない重さを持っているのだろう。
中国の古いことわざに「親より先に旅立つことほど親不孝なことはない」と言われるが、確かに一理ある。子は親より長く生きて、親をちゃんと見送るのが中国古来の親に対する最高の尊敬を言い当てた子の道徳心であったのだろう。

とうぜん、年賀状を出す友の一人であったが、急遽変更。さてどんな言葉で気持ちを和らげられるのだろう。
そう云えば私の母は、自らが長生きした分二人の子供が先に旅立つ不孝を味わった。ただその分を私たち次男坊夫婦が母の命を全うさせられたことで、その悲しみを取り戻してあげられたのかな、などとちょっと思いあがっている。

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