9月16日「敬老の日」。異常気象の今年は、敬老行事に招かれて出かける人にも過酷なほどの暑さ。今日も派手にあっちの山こっちの谷の上空に遠慮もなく広がる入道雲。暑かったね~。
こちらでも、自治会がいくつか集まって敬老会行事は例年通り催された。
働き手が多くお祝いの会を催すにも多彩な人材がいた。その割に敬老招待者が少なかったひと昔前は、何事も元気で洒落ていて、招待者も盛大に盛り上がる敬老会であったように思う。この頃は敬老招待者の方が圧倒的に多くなり、企画運営する立場の人たちも大半が敬老招待者と同年齢のところも多くなった。
新聞やニュース番組でも、65才以上の高齢者が3625万人、高齢化率は主要国のトップであると。
受け止めようによっては良くない話に聞こえるが、医療が発展し食料に恵まれた先進国ニッポンの長所でもあるのではないか、と高齢者としては思いたい。一方で高齢者が世に溢れることは、いつまでも元気に長生きしすぎるから・・・と言われているようで肩をすぼめたくなる時もある。
一つには現代社会において65才以上を高齢者と呼ぶこと自体ナンセンスではないか。まして後期高齢者とひとくくりされると75才以上は、その呼び名からして何かしら生きにくさを覚えるねー。
昭和30年代・40年代の高度成長期を微力ながら皆が力を寄せ合って支えた自負も段々しぼんでくる。まいいか、いきなりこの年になったわけではない。少年・青年・壮年・熟年それぞれを精一杯生きてきた結果が今なのである。
一つ思うのは年齢という数字でひとくくりするのは止めて、ご当人の気力・体力・思考力が続く人はしっかり労働力として活用すべきではないか、それが高齢化社会を円滑化する方策ではないかとさえ思う。そんな感想も持ちながら、敬老って祝ってくれる子どもや孫たちと一緒に、今少し元気で長生きできたらいいなと思う。
後期高齢者という名称は問題だという意見がありますね。
確かに前期高齢者、後期高齢者とはお上が便宜上付けた名称でしょうが、「ついに後期高齢者になった」と自虐的に年寄りは言います。
もう終わりが無い、先が無いと言われているようで気分がよろしくないですよ(笑)。
もっと素敵な良い方にして欲しいと思います。
生年月日があって年齢があるわけですかた、行政上の色分けの都合で「後期高齢者」とひとくくりにするやり方。
言っても仕方ないけどやっぱり「大きなお世話」と言う感じは否めません。
高齢者を自覚して静かに生きる者のささやかな抵抗なのかも。