「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「里のおみやげ」

2015年12月23日 | 家族・孫話

          

昨夜は、柚子を浮かべた冬至のお風呂を姫孫と楽しむはずだった。が、あいにく親子グループの忘年会とかで外食。ジジは振られた。
ならば次の手を。今日は朝からジャガイモ堀に誘って、大喜びさせた。
このジャガイモも実は、先輩孫の悠雅君が散々掘って、全部掘りたいというのを、ホンの数株希姫のために残しておいたもの。

兎に角砂いじりが大好きな孫たち。畑に出るだけで興奮状態。「あれは何、これは何?」と植わっている物すべての説明がいる。
そして自分の手で触り、お構いなしに引っこ抜く。
今日ばかりは数本のジャガイモと、ダイコン・カブ・キャベツなど、季節の野菜をお土産に持って帰らそうと、手当たり次第抜かせる。
あのダイコンの葉のイガイガもものともせず、ヨイショッと引き抜く。母親は大喜びでカメラマンを。

ほんのわずかな借り物菜園ではあるが、作り手の腕が年々上達しているのは間違いない。
それに、種類に段々欲が出てきて、今年はハクサイ・キャベツに初挑戦。
それらを持って帰らせる土産になるほどの出来栄え。この腕もまんざら捨てたものではない。
植えりゃ出来るんじゃろ・・・というご意見もあろうが、そうばかりとは言えないところに野菜作りの奥の深さがある。

まあ何事によらず、その道に入り込むと、それなりの学習場面に出くわすし、教わる意欲が湧くものである。
人の真似ばかりでもいけないが、先ずは熟練者の見様見真似から始まることは多い。
ただいつまでたっても見様見真似の域を出ない場合もあるが、その愚を避けるためにはそれなりの努力が要るということか。

自らがそれを実行したから、お土産に持たせられる収穫を得た、などと思い上がっているわけでは決してない。
畑も人の心を知っているのか、手をかけ、少しの投資と愛情を施せば、確かな答えをくれることが解りかけている。

コメント (4)
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