「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「春待ち月」

2016年02月23日 | つれづれ噺

              
                      2月23日の夜空に浮かぶ、いざよい月

昨夜が如月(きさらぎ)の満月。そして今宵は十六夜(いざよい)の月が、周りの雲と協調しながら中天高く冴えている。
2月の夜空に浮かぶ満月。なんと表現したらいいのか迷うほどの孤高の美しさを秘めている。
そんな見事な月に自己流の命名をしてみたくなった。
この際勝手に「春待ち月」と名付けてみた。何かの差しさわりがあってはならないと、その後辞書をひもといた。

案の定、「春待月」とは陰暦の12月のことを言う、とある。つまり春を待つ夜空に浮かぶ月を言い表すのではないことが判った。
それを承知の上で、敢えて、詩的感覚で名付けたのが「春待ち月」である。凡人の住む下界を明るく照らす、今宵のあの月灯り。
月を褒めるには確かに季節違いであることも承知の上である。なのに何故このタイミングでお月様か??

昼間の友との会話を思い出しながら、ふと見上げた夜空に浮かぶ、やや色白なお月様。
周囲の雲を脇役に仕立て上げ、少し寒そうではあるが、我が身の存在と輪郭はちゃんと引き立たせている様子に何かを連想した。
思いもよらぬ事態になり兼ねない由。確かな見解はもう少し先なので、この時点では何も確定されているわけではない。
しかし、人間の心理としては、不安が不安を呼び落ち込んでしまうのも無理からぬ話である。

こういった危機感を我が身に置き換えたとき、一体どのような心理状態になるのだろう。
そういった想像的な話は、この時点では控えるべきだと思うからその先は文字にはしないが、色々複雑な思いに駆られるのは確かである、と思う。
そんなときどうやって自らを鼓舞するのだろうか、という点は考えてしまう。
実際にその場に立った者にしか理解できない心境なのだから、軽々にあれこれ言えることではない。それも承知している。

その上で、多くの友や仲間が勝手に想像するように、少なくとも自分よりは長生きして欲しい。そしていつまでも、今の状態そのままに、楽しい時間をともに過ごし、知性あふれる笑いで引っ張って行って欲しい、などと願うことは皆共通していることだと信じている。

月並な言葉にしかならないが、『立ち向かいましょうや』 『共に闘いましょうや』と、月に向かって吠えてみる。
手の届かない天空に冴える月に、下界から贈れるものはささやかな応援の言葉しかない。路傍の石は月にはなれない。
そんな如月の満月に、暖かい春の訪れを託して『春待ち月』とは、我ながら佳き命名である。ということにしておこう。

コメント (2)
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