見事にほころんだ梅の花
今年も梅がほころび、名状しがたい芳香に思わず “ 東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 ・・・ ・・・” などと詠ってみたくなる。
年長の孫三男坊が、「梅がきれいじゃね、匂いがいいね」などと、珍しくしおらしいことを言う。これには大笑い。
小さな庭にある小さな梅の木ではあるが、毎年、季節が来ると見事に花を咲かせ、佳き香りを振りまいてくれるのは有難いものだ。
特に今年は、高校受験にチャレンジする孫の動静が気にかかって、同じ梅なのに何故か例年以上に立派な花を付けたように思いたくなる。
応援する気持ちが段々エスカレートして、『風雪に耐えねば咲かぬ梅の花』 などと、古めかしいが言い得て妙がある言葉を贈りたくなる。
小学校高学年からずっと、色んなことに負けずに頑張ってきたのを目の当たりにしているジジとしては、辛さに耐えたものには必ず春が来る。だからきっといい結果が出る。それを信じて思いっきりぶつかれ。と言いたいのだが、贈られた方は「なんのこっちゃ」と思うのが関の山なのだろうか。
まあそれはそれでいい。兎に角今年の梅は一段とよく咲いた。彼に対する吉兆と受け止めよう。
そんな梅の花に誘われたわけでもないが、知人からお誘いを受けていた「いけばな、池坊展」に出向いた。
“花の道 育てよう 未来へ”とのテーマで行われた今回の華展。
なんと100人を超える岩国支部員の手による、100種類を超える見事な生け花が展示されていた。
季節の花、梅を筆頭に椿や木瓜、ふくらみかけたネコヤナギのつぼみなど、それはそれはうっとりする眺めであった。
そして、生け花とは、ある意味残酷な思いのする芸術であることにふと思い至った。
咲きかけの木瓜や、無数のつぼみが付いた梅の枝や桜などを、惜しげもなく切り刻んで窮屈な花瓶に挿し込んである。
と思ってじっくり眺めていたら、もう一つ別なことを思い出した。
木も花も全て命を以てこの世に生を受けたのである。その命をもっと輝かせるために、華道という、人の手によって生み出される芸術の域が生まれる。だから、たとえ一枚の葉っぱも、一輪の花も、仇やおろそかに扱ってはいけない。と聞かされていたことを。
そう考えると、持って生まれた命をさらに手を加えることで昇華させる生け花展。ちょっと洒落たいい時間を持てた。