北陸のあの高名な、曹洞宗大本山の永平寺を訪ねてみたい、と思い立ったのはいつの頃だったろうか。
2015年10月に出かけた、東北6県の紅葉巡りの大本命は、平泉中尊寺参拝であった。もちろん高名な金色堂見たさでもある。
そのときふと思ったのが、東北の雄中尊寺、ならば北陸の永平寺にもいつかきっと・・・。と行きたい気持ちに灯が付いたようである。それからみると随分時間がたってからの実現ではある。
1泊2日という手頃なツアーが目に留まった。しかも節分を前にした真冬の北陸の気候を味わってみたい、そんな気持ちもあっって即申し込み。一旦は満席で断られたが、「キャンセル待ちが取れました」との電話がすぐに入った。ラッキー!
1月31日午前11時、新大阪駅をバスで出発。大阪万博当時の「太陽の塔」の顔を左に眺め、ほどなく名神高速へ。
京都の中心部を左手に見て抜け、大津を突っ切って近江茶屋SAでひとやすみ。彦根城を遠く左手に、ほどなく北陸道へ。
途中バスの中では、日本海側特有の厚い雲に覆われた暗く低い空から猛烈な雨が。
それが、永平寺に近づくにつれて雲の切れ目から薄日が。永平寺門前に着いたときは完全に雨はなし。用意した傘を濡らすことなく参拝開始。
道元禅師によって開かれた座禅修行の道場だけあって、七堂伽藍と呼ばれる、法塔(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院(くいん)、山門、東司(とうす)、浴室、それぞれの隅々はもとより、それらに至る廊下も全てピッカピカに磨き上げてある。勝手に歩かせて頂くのがもったいないような。
当時の著名な画家144名による230枚の絵天井の間「傘松閣」は圧巻である。これら自由に散策できる気安さで、ゆっくりとあちこち見させて頂いた。至る所「撮影禁止」の表示があり、カメラを持ってはいるものの、無遠慮にシャッター押す気も減退。お見せできないのは残念であるが、出来るなら一度永平寺をゆっくりお訪ねをされてみては如何だろう。
そして広い境内を流れる小川には、ゴーゴー音を立てて流れる清流がある。
そのお陰か、庭という庭はまるで絵に描いたような青々とした苔のしとねが目を射る。数百年の老木もお見事と云うほか無い。
開山は1244年ということから780年近い歴史が、目の前に横たわっている。おのずと心洗われる思いがする。
順路の途中に爽やかな絵が数枚掛けられていた。それぞれに言葉が書かれていたのにふと目が留まった。
「どう生きるか」 生まれて死ぬ一度の人生をどういきるか それが仏法の根本問題です
長生きをすることが幸せでしょうか そうでもありません
短命で死ぬのが不幸でしょうか そうでもありません
問題はどう生きるかなのです
「無常ならざるもの」 生まれたものは死に 会ったものは別れ 持ったものは失い
作ったものはこわれます
時は矢のように去っていきます すべてが「無常」です
この世において 無常ならざるものがあるのでしょうか 修行の足りない凡人には難しい世界ではある。