「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ヒマワリと月見草」

2020年02月12日 | つれづれ噺

                                                   

こよなく愛したプロ野球の選手の一人、ノムさんこと野村克也さんが亡くなった。もちろん偉大な選手であることは、その実績や残された数字などで推し量られる。その上に素晴らしいと思って憧れるのは、指導者としての手腕、人を洗脳させる影響力。残された数々の名言。
どれをとっても、単なる野球選手、野球チームの監督、とだけでは済まされない、楽しさを秘めた偉大な先輩の一人であった。

名言・至言の数々は、綺羅星のごとく、次から次へ出てくる。そんな中でも、「ヒマワリと月見草」の話が強く印象に残っている。
それは、小生自身の過去においても、少なからず体験してきた「月見草」の思いが、身体の中に息づいているからかも。
言わずもがな、ひまわりは、プロ野球界のレジェンドとして君臨し続ける、王さん長嶋さんである。

彼ら華をを持つ二人に対して、自分はと言えば、実績や活躍度は彼らを上回っている。なのに、人気という点でなかなか人が付いてこない。
王・長嶋はセ・リーグ。観客動員数は明らかに多い。一方野村はパ・リーグ。いつもガラ空きのスタンドに観客はまばら。
野村選手がどんな大記録を立てる記念の試合でも、大阪は7000人そこそこ。王・長嶋の東京ドームは普通の試合でも4~5万人。
華やかさ、派手さと言う点では比較にならない観客動員数。それでも、選手としての力量は誰にも負けていない野村。

そこに、「王・長嶋は明るい太陽に照らされる白昼に堂々と咲くヒマワリ」。
自分は人目につかない夜にひっそりと咲く「月見草」にたとえた。まさに至言である。
目立って日当たりのいい場所を歩く選手が必ずしも実績を残すわけではない。人目につかなくても、ひっそりとでも、自らの役割を果たし、チームに貢献する実力者はいる。

なんかしら身に詰まされる話に聞こえてならないが、まあそれが世間というものならそれはそれで仕方ない。
ひっそりと咲く月見草でも花には違いない。ヒマワリどころか、月見草にさえなれない人が多いことも考えて、己を知る。身の程をわきまえる生き方も、不幸せばかりとは言えない。自分の心の持ちようが大事ということか。月見草人生、決して悪くはない。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
「人や集団を動かすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」 好きな名言をふたつ。

コメント
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