1994年11月5日
とうとう初の海外訪問が巡って来ました。中東4か国訪問です。
雅子様はこの日をどんなに心待ちにしていたかしれません。
海外でなら自分の能力を発揮出来る。うじうじした日本と違ってはっきりものを言っても叱られない。そんな風に考えました。
サウジアラビアに到着。
砂漠の空気が心地よい。いよいよ来たぞ。
早速油田の見学。
サウジアラビアでは王族方が非常に手厚く接待してくれて雅子様は嬉しくてしょうがありませんでした。
皇太子妃だからこそ受けられるこの待遇!
滅多に見られないものを見たり、
随行員付きで遺跡をみたり。
ちょっと水分補給。
オマーンもまた素晴らしい国でした。皇太子さまを無視してしまう程。
オマーンの国王陛下は大葬優しい方で、雅子様を優しく受け入れて下さいました。
何と言ってもラクダレースの面白かったこと
そして馬を見せられました。素晴らしい馬です。
雅子様は思わず「なんて素敵な馬なんでしょう」と言ってしまいました。
周囲は顔色を変えてしまったのですが、国王は冷静に笑い「では差し上げましょう」とおっしゃいました。
馬を褒めてはいけないとあれ程注意を受けていらしたのに雅子様はその禁断の一言を口にしてしまったのです。
アハージュ号は早速日本に送られる事になりました。
単なる贈り物ではありません。オマーンからすると「頂戴」とおねだりされたから差し上げただけです。
「ものをねだる」という皇族としてはもっともやってはならない事を雅子様はやってしまったのでした。
オマーンでは王族と会う事もあり、着物を着用。御坐ればよろしいのに、上から目線で中腰になってしまい、これまた側近に叱られてしまいました。
ちょっと水分補給
バーレーンでは公務もしました。現地の日本人学校を訪問したのです。
船上でもてなされると不思議に心が高揚します。
こんなに楽しいものなんて!海外大好き。熱い砂漠も何のその、雅子様は道中一度も体調を崩す事はありませんでした。
けれど日本に戻って来ると、やっぱり「ご懐妊はまだ」の声が聞こえてきます。
日本ではどの公務も堅苦しくてつまらない。
自分がやりたいことと、回りが希望する事が真逆である事に雅子様は悩みました。
1994年12月9日 雅子さま31歳の誕生日
相変わらず記者会見では極度の緊張から、何を話しているのか自分でおわからなくなる状態に「なぜ記者会見が必要なのか」と皇太子様に詰問してしまう事もありました。
侍従も女官もどうも皇太子夫妻の仲があまりよろしくないという事に気づいていました。
そもそも1日のスケジュールが違うのです。
最初の数日だけは雅子様も皇太子さまに合わせていましたが、慣れてくると雅子様は自分のスケジュールで行動します。
すなわち、皇太子様は独身の頃と同じように朝の6時には起きて7時に朝食、テレビを見ながら新聞や音楽を楽しむのに対し、雅子様の起床時間はほぼほぼ午後。
朝食はとらず、昼食を代わりに召し上がるし、寝る時間も決まっていません。
不規則な雅子様の行動に皇太子さまも合わせようとしましたが、すぐに諦めてしまいました。
侍従長から「不規則な生活はいけません」と言われていたからです。
女官長に言われた雅子様は「これが私のルールだし、プライバシーじゃない?」と言い返しました。オフの日くらい、何時に寝て何時に起きるかくらい好きにさせてよもう。
侍医達は一向に懐妊の気配が見えず、しかも不規則でジャンクフードばかり食べたがる雅子様に四苦八苦しており、体温一つ計らせてくれない事にも困っています。
皇太子様に掛け合っても「雅子の好きにさせてあげて」と言われるばかりです。
1994年12月29日 佳子内親王殿下誕生
「とにかく女の子でよかった」と皇太子殿下はほっと胸をなでおろされました。
もし親王だったら皇位継承順位が違ってくるからです。
いくらのんびりやの皇太子さまでも、自分ではなく弟宮に先に男子を持たれたら困るのはわかっています。
そうでなくても、小さい頃から何かとこの弟は兄に先んじることがあり、結婚も子供を持つことも全部先にやられて、いい気はしていません。
しかも、秋篠宮家はあんな職員用宿舎に住んでいるというのに、やたら幸せそうじゃないか。
こちらは改修された東宮御所で贅沢な日々を送っているのに妻は全然優しくしてくれないし、自分の立場も考えてくれない。
自分だって「皇太子殿下。よろしいですか」とか言われてみたいのに、雅子様と来たら「あ、これ、どう」ってなものです。
皇孫として大事に育てられてきた皇太子さまは、妻にぞんざいな扱いをされるとは思ってもみなかったのですが、じゃあ、それを厳しくたしなめることが出来るかと言ったらそれも無理でした。
なぜなら、6年も待ってやっと結婚してくれた人だからです。
雅子様が結婚してくれなかったら、もしかすると自分は今も独身だったかもしれない。そう思うと怖くて何も言えません。
それに天皇陛下も皇后さまを叱った事など一度もありませんでした。
皇后様は東宮時代から、1から10までご自分が決めてしまわないと機嫌が悪くなるご性格で、公務でもプライベートでも訪問先の事、相手の事、ファッションから用意するものまで完璧になさるのです。
ゆえに天皇陛下は皇后陛下に頭があがらず、ほぼ言いなりになっていました。
そんな父君を見て育った二人の兄弟。秋篠宮はかなり亭主関白ぶりを発揮しています。
何でそれが許されるのかな・・・・皇太子さまは生まれたばかりの内親王を目にして、可愛いとは言えませんでした。
勿論、雅子様も「生まれてよかった」とはおっしゃったけど、「おめでとう」とか「可愛い」とはおっしゃいませんでした。
むしろ、宮内庁病院に駆けつけることすら苦痛だったのです。
二人目は女の子でよかった。
でもこのまま3人目とか4人目とか産んだらどうしよう。その一人が男子かもしれない。
紀子妃はまだ若いのだ。これから何人でも産んでしまう危険性がある。
病院を訪れた皇太子夫妻は、心なしか顔色がよくありませんでした。
それでも雅子様にはまだ楽しみがおありでした。
そう。二度目の中東訪問です。
いつから”ガッテンシー”になったのだろう。
過去がよく分かります。
労力のいるまとめのお仕事、ありがとうございます。
1箇所だけ。
眞子さま佳子さまがお生まれになったのは
宮内庁病院ではなくて、愛育病院だったかと
思います。
こちらは些細なことです。
つづきも楽しみにしています!
愛育病院でお生まれになったのは悠仁様のみで、眞子さん・佳子様は宮内庁病院でお生まれになっていますので、ブログのままであっていますよ。
横からすみません。気になったので。
それにしても、悠仁様に関して生まれる時から頑なに皇族御用達機関(病院にしてもに学校にしても)を避けてるってことは、やはりもう皇孫が利用するに値しない機関に成り下がってしまってるんでしょうね…
なのに、その後は、秋篠宮皇嗣家は、危険な目に遭わされっぱなし。宮内庁、真面目に働け!