待望の詩集『山芋』がメール便で届いた。
昭和12、3年頃と言う、日本が戦争に入る前の深刻な社会危機を抱えていた頃の詩集です。
今は長岡市の一部になる旧古志郡黒条村と言う、農村で生まれた「大関松三郎」少年の、
農民の子供と言う立場の魂が吐き出した、魂の詩です。
彼は自分でまとめた詩集『山芋』のはじめに、
「ぼくの詩は、こんな心でうたわれる」と言う言葉を横書きし、
その上に中野重治氏の有名な詩「歌」をかいていたと言います。
私も好きな詩です。
『歌』
お前は歌うな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや少女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もっぱら正直なところを
腹の足しになるところを
胸先を突き上げてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ね返る歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸郭にたたきこめ
そうか、この詩が大関少年の心を突き動かしたのかな、なんて思う。
『山芋』
しんくしてほった土の底から
大きな山芋をほじくりだす
でてくる でてくる
でっこい山芋
でこでこと太った指のあいだに
しっかりと 土をにぎって
どっしりと 重い山芋
おお こうやって もってみると
どれもこれも みんな百姓の手だ
土だらけで まっくろけ
ふしくれだって ひげもくじゃ
ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手
これは まちがいない百姓の手だ
つぁつぁの手 そっくり山芋だ
俺の手も こんなになるのかなあ
今までにも、単編の詩としては読んだことも有ったけれど、
指導教師であった「さがわ みちお」氏の解説で彼の運命、生きていた環境も知り、
一層の感動となって私の心を揺さぶった。
大人のような、いや、大人では詩い得ない魂からの叫びのような詩を生み、
そして、19歳で南の海で雷撃を受けた船と運命を共にしてしまったのです。
大関 松三郎少年も、佐藤藤三郎を含む、山元中学校の子供たちも、
戦争の被害者だと言っても間違いでは無かろう。
東北大震災で悲しい思いをしている人たちも多いと言うのに、
もう、世間では忘れたかのように、賑やかにはしゃぐ姿も見られる。
でも、どんな繁栄もそれをもたらしてくれるための犠牲も有ったことは、
決して忘れてはいけない事と思うのは私だけであろうか。
「星 寛治」氏の著作を再読したことから、色々な人の著作に触れることが出来た。
「佐藤 藤三郎」氏、そして山元中学校の生徒たちによる『山びこ学校』や、
前記お二人と佐賀の巨人「山下惣一」氏を加えた三人で、書かれた、
『日本の大百姓30人』のそれぞれ、胸を打たれる生き方を読み知ることも出来た。
さて、長かった越後魚沼の冬もようやく終わりを迎え暖かさを感じるようになってきた。
南では桜の開花も見られたと言うのに、まだ、2メートルを越える残雪ではあるけれど。
さて、パートも終業で帰ってきたし、農天市場へでも行ってみようか。
除雪を始めるにしても、国道脇の雪の壁を削り、登り口を作らなくてはならない。
どれ、支度を整え、スノーダンプを担いで行ってみましょうか。
大雪ではあっても、のんびりと読書で過ごせた冬だったけれどもそれも残りわずか。
また、目の回るような忙しさに追いかけ回される春も近い。