「バンビの事」-(2終わり)
そこで「バンビ」に手振りをしながら話し掛けた。「こうしてな、首に巻いていた手拭いを落としてしまったよ。バンビ、見つけて来なさい。」と。
しばらくしてゼンマイ採りを続けていた婆ちゃんの前に、手拭いを咥えた「バンビ」が現れたそうだ。本当に賢い犬で、私の話を理解したのだと、嬉しそうに話した。
そしてしばらくの後、どんな事情かのっぴきならぬ理由が出来たらしく、
そんな可愛がっていた「バンビ」を手放してしまった。
二十数キロも離れた小千谷の鯉飼いに譲ったのだと言う。
我が家は「バンビ」が貰われた小千谷の家と母の実家のほぼ中間に位置していた。
ある日外で何かしていた私が、ふと国道を見ると「バンビ」がトコトコと歩いているではないか。
「バンビ!バン!」と大きな声で呼んだ。バンとも略して呼ばれても居たのだ。
その犬はチラッと私に視線を向けたが、立ち止まりもせずに歩き去った。
国道もまだ砂利道で、車の通行もまれではあった。
似ていたが違うな。「バンビ」のはずが無い。それにしても似ていたと思った。
その頃は犬の放し飼いだって珍しくも無かった。
しばらくして、驚くべき話が聞かされた。やはりあの犬は「バンビ」だったのだ。
痩せてやつれ果てた姿で実家にたどり着いたのだったと言う。
そして、そのまま床下に潜り込み死んでしまったのだそうだ。
話を聞いて涙がこぼれた。どうしても帰りたくて、命がけで帰ったのだ。
しかし、疲れと自分の居場所が無いと言う絶望感からか、
哀れ餌も食べずに死んだのだ。
哲学者じみた垂れたヒゲの顔が思い出され、その気持ちに考えさせられ、
私の思い出し泣きの涙は止まらなくなってしまった。
(終わり)