畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

災害復旧山の斜面編

2018-07-24 04:47:42 | 暮らし

 昨年の7月18日に起きた豪雨災害、山の斜面の崩壊現場の復旧工事が急ピッチです。

こんな時に豪雨、雷雨が有ったら大変だと思うけれど、幸いと言うか日照り続きが工事をスムーズに進められる皮肉さ。

 

  再び斜面を切り取り、新たな法面を形成しようと言う工法のようです。

削って形成し終えたところにはブルーシートが張られている。最後は植生工になるのかな。

 

  斜面下の農道脇にはトンパックと呼ばれる大きな土のうが積まれている。

これで、農道を通る自動車の安全を確保しようと言う事です。

  こんな風に農道沿いにたくさん積まれています。

道幅が狭くなるために、片側交互交通になり、交通整理員が二人両端に着いている。

 

 再度斜面を削り取った土砂は山の下に仮置きされていました。

何十万年もの歴史を刻む土であり、何だか少し感傷的な気持ちさえ湧いてしまうスベルべです。

 工事現場を上から見たいと思うけれども、工事中は邪魔になるから行けません。

昨日の夕方は工事の従事員が引き揚げた後に通りかかり、行ってみましたので、後日紹介しましょう。

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空まで乾いちゃった

2018-07-23 04:32:21 | 

 

 月初めにニンジンを蒔いて以降、雨らしい雨は全く無し。

毎朝夕散水しているけれど、伸び方が目立つのは雑草のみです。

 

  わずかに芽生えが見えるようでもある。

しかし、ここで雑草を取ってしまったのではそのわずかな芽生えも枯れてしまうでしょう。

 

  言い換えるならば、雑草マルチかな。

雑草がニンジンの芽生えを守ってくれる効果にわずかな期待をする。

 

  お、やはり種子に土をかけ、その上に乾燥防止に撒いたもみ殻の中からニンジンらしきものが。

10畝の予定のところ、3畝蒔いただけだけれど今は土が乾き過ぎて畝さえ作ることが出来ない。

 

 酷い暑さが続き、降水量ゼロの日が半月以上にもなってしまった。

本当に異常な日照り続きの7月で、夕方になっても夕立どころか、入道雲・積乱雲さえ見えてこない。

 空まで乾ききってしまったようです。

畑も大変だけれど、稲作農家の水不足も深刻になってきているらしい。いつまで続くのでしょうかこの酷暑は。

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熱さでズッキーニも曲がる

2018-07-22 15:05:18 | 野菜

 

 続く暑さでズッキーニもぐにゃりと曲がってしまった。

そんなことは有りませんが、そうとも思いたくなるような暑い日が続く。

 

  収穫作業はいつも朝食前。

日が昇るか、昇らないかと言うタイミングですが、早起きミツバチはせっせと仕事中。

 

  毎朝、20本ほどのズッキーニが採れるけれども、売れ行きははかばかしくない。

この辺りでの、ズッキーニ栽培のパイオニアを自負しているが、栽培が簡単であっという間に広まったのが理由。

 

  でも、「熊取のおっちゃん」さんから種子を頂いた「山本ナス」だけは誰も真似が出来ない。

柔らかくて、何にして食べても美味しいナスです。でも、まだ認知度が低いですね。

 

 収穫籠からコンテナに移し、更に収穫を続けます。

トマトも大、中、小と大まかに3種類。そして、それぞれに赤黄色と有るので8種類ほどあります。

 一雨来たら、野菜たちも元気を取り戻すことでしょう。

午前中は小後に帰宅するまで働き続けたけれども、限界。もう少ししたら再び畑に出ましょうか。

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連載162「林檎と思い出と②」(その2終わり)

2018-07-22 04:42:44 | 暮らし

 大好きだったおばあちゃんと。なんと女学校でテニスをされていたというモダンガールの一面も。


           林檎と思い出と②(その2終わり)

 御主人のお話では、病院に入院していて、娘達は東京の学校へ進学した娘さんたちは、

母上を気遣って帰宅したそうだ。

それでも様態が良くなったと安心して再び学校へと帰った後に不幸は起きたと言う。


 東京に帰り着いた頃に様態が急変し、奥さんと娘さんたちは、携帯電話で会話を交わし、

励ましの言葉にも関わらず、その携帯電話を握ったまま、あの世へと旅立たれたと語られた。


 御主人の顔をまともに見る事も無く、数珠を握る手に私の涙もぽたりぽたりと落ちるのだった。

夫婦で涙ながらに帰宅したが、間も無く礼状が届いた。

その礼状には一人で林檎を作り続ける気力も無くし、全ての林檎の木は処分しましたと有った。


 二、三年の後に再び手紙が届き、私たちが大好きだったお婆さんも亡くなられたと有り、

我が家との縁は完全に切れてしまった。


 今では姉夫婦が同じ地域の林檎農家に伝手を得て、毎年買い出しに行き、分けて貰う。

その林檎を食べると美味しかったその家の林檎の味と悲しい結末、別れを思い出してしまう。

          (終わり)

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連載162「林檎と思い出と②」(その1)

2018-07-21 12:41:01 | 暮らし

 幼かった娘たちが、枝ごと採ってもらった林檎を持っている。

その頃の愛車はカローラバン。遊びも仕事もこれ一台でこなしていた時代でした。

 

      林檎と思い出と②(その1)


 あの地域でも、河川敷とか山の上とか林檎を作る畑は色々な場所に有り、

その家の畑は美味しく出来ると言う山の上の畑であり、

事実何処の林檎と比べても遜色のない美味しい美味しいものだった。


 長いお付き合いの間に畑は、我が家の母が亡くなり、その家のお爺さんが亡くなりして、

お互いに家族の構成も変わっていく事となる。


 ある年の事、林檎のシーズンを前にして一通の手紙が届いた。

奥さんが病気になり、対応できませんので御遠慮下さいと言う悲しいお便りだった。


 そして、一年近く後に奥様が亡くなられたと言う悲しい手紙が届いた。

私たちは夫婦ですぐに駆け付けた。

葬儀を終え、静かになったご自宅の仏壇に奥さんが使ったのであろうと思われる携帯電話が置いて有った。

           (続く)

 

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