畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

新聞掲載「予算屋」(その3終わり)

2020-06-17 04:12:41 | 暮らし
       予算屋(その3終わり)
 
 「決算見込み」や、年度末処理の時期には、悪夢を見て飛び起きることもしきり。
配布予算よりも多く決算した夢を見て夜中に飛び起きることになる。
いや、実際にこの失敗をした職場もあり、勘違いから二重決算的な処理をした結果驚くような金額を使い過ぎた例さえ有ったのだった。
 
 運よく、無事に三年やって担当を代わり、もう同じ仕事なんてすることも無かろうと思っていた。
事実、その仕事は出世コースの一部でもあり、担当後は支社へ転出するとか、
中間管理職そして区長などの現場長になる花道が待っていたのだから。
 
  でも、へそ曲がりで現場勤務を望み、現場の仕事へと変わったのだが、
その後思わぬ展開が待っていた。
 現場長が顔見知りの人になると、また予算担当をさせたいと、現場から再び保線区の予算担当に舞い戻ったのです。
 
 でも、久しぶりにやる予算の仕事はパソコンが導入されて以前に担当した際とは全く様変わりしていたのだった。
現場にいるときにパソコンが導入され始め、講習会も開催されていたが「これからは若い人たちの出番だ」と、若者たちを出席させていたのが仇となってしまった。
年度当初の人事異動は、前年度の決算処理の時期でもある。
 
 いきなりパソコンを使える人などいるはずも無く、その例にもれず私も泣かされることになる。
ゴールデンウイークの休みはすべて返上して処理し、恒例の家族サービスさえできない最悪の連休になったのだった。
         (終わり)
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山の畑は霧でした

2020-06-16 04:20:22 | 

 久しぶりに朝早く山の畑へと出かけた。

以前のような気力に欠けて日の出前とはいかず、朝霧の中に日が昇ってからでした。

 

 山の畑に到着です。

ジャガイモ畑越しに霧の中に朝日が昇っています。

 

 広いスペースを有効に埋めきれず植えたスイカです。

その向こうには「マクワウリ」がたくさん植えてあり、そのまた向こうにトマトです。

 

 一通り畑を見て、そして雑草を少しだけ取って帰宅。

いつもの、谷一つ隔てた隣の山の畑の風景です。霧が残っていました。

 

 「タラの木」の原木畑越しに家々が見えてきます。 

下の村々はまだ眠りの中のようです。朝早くから働く人は減ってきましたね。

 一昨年病んだ連れ合いの病気が再発し、昨日からしばらく不在になりました。

畑に家事にすることだけは減らず、看病も含めて気がめいります。

しばらくはブログも途絶えがちになるかもしれません。そんな事情からです。

 

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梅雨で野菜が生き返る

2020-06-14 07:56:12 | 野菜
 灌水はしていたけれど、葉色も悪くなり心配だったナス。
梅雨入り宣言とともに降った雨により、生き返ったかのようです。

 今までは、添え木であるイボ竹にも縛り付けることさえ控えていました。
これで、縛ったり芽を欠いたりの仕事が可能になってきましたが、その数100本余り。

 キュウリもなんだか緑が濃くなったよう。
初収穫もして、漬物にして試食したけれど味は上々。

 いくら暑さに強いとは言え、水分不足に喘いでいたゴーヤです。
これも雨が降ったとたんに伸びだし、掴まるものを求めているかのよう。

 簡単に山の畑の周りで採ってきたカヤの棒を添えます。
高温と降雨、多湿でぐんぐんと伸びて、ネットに絡みつくのもすぐでしょう。
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新聞掲載「予算屋」(その2)

2020-06-13 05:41:51 | 暮らし
      予算屋(その2)

 現金を扱うわけではなく、決算は事務屋さんの手を通じて支社が決算するシステム。
現金での買い物だったら残金も目に見え、管理も簡単。使い過ぎなど起こるべくもない。しかし、数値的な管理だとここが難しく、しかもその時代はパソコンの導入以前の事であり、電卓一つで管理をしていたのだった。

 支社から年初に予算の通達があり(その後生じた理由により補正予算のようなものもあったが)その予算を前年立てた計画に従い、修繕工事から保守用機械の維持管理に配分し、計画的に消化していく。

 「決算見込み」と呼ばれた、中間決算の確認調整などで間違いのないように予算管理を進めていく。
その「決算見込み」の資料作成に追われ、最終電車で帰ることも多く、帰宅して夕食の後に就寝するのは午前0時と言う事もしばしば。家内には「先に休んでいて」なんて連絡していたものだ。

 仕事を覚えるとともに悪いことも覚えましたね。いわゆる裏帳簿の操作、裏金作りさえしました。いえ、決して個人的なやり繰りではなく、事務屋さんと結託して、極度の節約を強いられた事務用品の購入などのためではありましたが。
        (続く)
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新聞掲載「予算屋」(その1)

2020-06-12 08:08:26 | 暮らし
          予算屋(その1)

 通称「予算屋」と呼ばれた、予算関係の仕事を三年間担当した。
駅などの直接的にお金を稼ぎだす営業職場とは一線を画し、
施設を保守する職場は、線路設備関係の保守にお金、予算を使う職場だ。
(もっとも、会社の体制が変わったら、集客や団体旅行の添乗員などもしたが)

 そして、所属した保線職場でもっとも予算をつぎ込まなければならないのが、
線路の保守関係予算。
あらかじめ作った修繕計画に基づいて、割り振られた予算を仕事ごとにバランス良く配分し、管理するのが主な仕事。
ま、家庭に例えたらやりくり上手な主婦的な存在の仕事でもある。
そして、保線職場ではもっとも大切で、誰もが出来るという仕事でも無かったのである。

 そんな仕事を昭和50年代の半ば、あの「56豪雪」とも呼ばれる歴史的な大雪の冬を挟んで担当していたのだ。
除雪経費は災害対応に近く、配分計画などは無いが、決算処理はしなければならない。その大雪の年は数億円の予算を管理したように記憶している。
       (続く)
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